2010年8月30日月曜日

Kyoto: Le Petit Mec


京都・今出川大宮のLe Petit Mec
5回生の頃は、バイトとバイトの間に週1くらいで来ていたが、働きはじめてからはもはや新宿丸井の方に足を運んでいた。
休みの日のみ、京都に帰ってくる宇治市民に今出川は遠く、そうして遠のいている間に新入りたちが増えていた。

久しぶりの洋梨のタルト(基本的にここのタルトはなんでも好き)に、ココアなプチパン、後お持ち帰り用にバゲット(結局会社の同期にあげた)におかず系2点と甘い系2点。カフェオレを飲みながら、Figaro(の他、ELLE DECO、STUDIO VOICEがおそらく店主の好み)を読みふけぼーっとする時を再現。長らく手を出していなかった、サンドウィッチが食べたくなった。変わらないものと、変わった自分が見えたひと時でした。

2010年8月28日土曜日

Shanghai-Kobe: 2泊3日フェリー①

いよいよ帰国。
ユースホステルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらう。
フェリーは13時発で、1時間前には出国審査などしなければならない。
ちょっと時間に焦りながらも、無事フェリー乗り場に到着。
1ヶ月前に着いた地に再びいる。
その時と同様に、車両通用口から入るとすでに人の固まりがいくつかあった。
何やら日本人の団体。学生らしく、引率の先生らしき人がいる。
上海行きは断然中国人ファミリーが多かったが、日本行きは日本人が多いらしい。
久しぶりに耳に入ってくる日本語に少々びくついてしまう。
出国手続きの開始を待っていると、焦ってやってきた日本人らしき青年が。
とりあえずまだ間に合っていることを伝えると安堵する青年。
どこかで見たような風貌だなと思い、記憶を辿ると、昨夜ユースで見た
マフラーと読書姿が何故か印象的な青年だった。
手順を踏み、いよいよ乗船。
あと2泊3日で日本に着く。

(7. Mär. 2009)

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2010年8月26日木曜日

Shanghai: 幸運


杭州蕭山国際空港に着いたのが予定通りの13時過ぎ。
上海のつもりでチケットを取ったけど、ここは杭州です。KFCやカフェもある、到着ゲート付近でゆっくり行動しようと悠長に構えていたが。どちらにせよ今晩は上海に1泊したいので、上海行きのエアポートバスのカウンターに行くと衝撃の事実。
バスがほとんどない。あるにはあるけど、飛行機の発着に合わせた時刻しかなく、まもなく発車する上海行きのバスを逃すと次が完全になかった。しかもカードで支払えず、慌てて元を引き出しチケットを購入。すでに発車していたバスの乗務員とカウンターのお姉さんが連絡を取ってくれ、私のためにバスを引き返してくれた。
あぁ、間一髪。気づくのがもう少し遅ければアウトでした。何せ上海までバスで3時間かかるのです。

3時間もバスに乗っているのは暇。整備された高速道路を快調に飛ばし、上海入り。
高架下の怪しげな停留所にバスは止まり、乗客たちは降ろされる。適当に散っていく現地の住民に、少々戸惑う異邦人。
地理も見当が付かず、英語なんて通じず、止まっていたタクシーに乗るしか先が見えなかった。角刈りでメーターのないタクシーの運転手のおじさんに、“明日、フェリーに乗るからその近くのホテルに行きたい”ことを、筆談を交えながら必死に訴える。運転手のおじさんは、自分の携帯に私の訴えを言うように促し、とりあえずそうすると、ちょっとは理解してもらえたように車を走らせた。
1件、ホテルに案内してくれだが、1泊が結構高く、カードが使えなかったか何かの理由で諦める。その間もスーツケースは積んだままなので、逃げられやしないかどきどきしてしまった。さらに付近を走ってもらい、路地を通りすぎるときに「ユースホステル」のマークが見えた。必死に引き戻してもらうよう訴え、フロントで空いているベッドがあることを確認。安堵とかなり消耗した頭で、運転手のおじさんが最初に提示した金額から交渉して、確か70元くらい払った。
あぁほんとこんなに意思の疎通ができなかったのは初めてだった。しかも隣の国で。何よりユースの看板を見逃さなかった私にあっぱれだったけど、危なかったな・・・

カードキーのデポジットを含んだ料金を支払い、部屋に入る。どうやらこのユースは新しそうできれい。見つけたところがここでほんとによかった。所持金の少ない私は、2つ先の角にATMがあると言うので、外に出ることにする。
さすが中国、ひとつの角がでかかった。ATMでなぜか引き出しができないので、残高を確認すると、なんと150円くらいしかなかった。フェリーでは円が使えるが、明日のことがあるので、あの手段は使いたくなかったけど、日本に着いたら即入金する気合いで、クレジットから借り入れる。
手にした元を持ち、セブンイレブンが見えたので食糧を調達し、ユースでお湯をもらってカップ麺を食べる。それでもなんだか腹が落ち着かないので、軽食も出すラウンジで何か軽く食べる。日本で働いていたというアメリカ人や、明日高山鉄道か何かに乗るという日本人のおじさんに絡まれる。

同室には何人か女の子が泊まっていたようだけど、結局だれにも会わずに就寝。
いよいよ明日、フェリーに乗る。

(6. Mär. 2009)

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2010年8月24日火曜日

Kuala Lumpur-Shanghai: 5時間AirAsia


前日の下調べにより、KL Sentralからクアラルンプール国際空港へ向かう際、エアアジア利用者はエアポートエクスプレスには乗ってはいけないことを察した。ホテルをチェックアウトし、KL鉄道駅をほぼ始発に近い時間に出て、KL Sentralから真っ赤なAirAsiaの香り満載のバスに乗り込む。FAさんたちも普通に利用するようで、隣に座ったお姉さんは、がっつりお化粧タイム。1時間もあれば充分濃く仕上がります。

着いたところはLCCT (Low Cost Carrier Terminal)。要するにクアラルンプール国際空港をハブとする、AirAsiaの居城ともいうべきターミナル。大きな箱のような建物に雑踏と出国カウンターが並ぶ。荷物の多いアジア系ファミリーが多いなか、稀に一応ビジネスっぽい人や欧米系ファミリーもいた。おそらくオーストラリアの方でしょう。自分の行き先のカウンターでパスポートさえ見せれば発券してくれた。メールを見せる必要さえない。楽になったもんだ。


リンギットが余ったので、コーヒーとちょっと空きっ腹に入れてもよいものを摘みながら、自分の便が呼ばれるのを待つ。
聞き取りにくいし、表示板も怪しい(わかりにくい)ので、耳頼り。いよいよ呼ばれ、自分の足で飛行機まで向かう。あぁ久しぶりのこの感じ。自ら搭乗スタイルは、GermanwingsやAirBerlinではなく、Ryanairに通ずるものがあります。

そう、ヨーロッパのLCCに乗ったことはあったけど、アジアはなかったので単に乗ってみたかったのだ。それをも考慮して仕組んだ旅程でした。後からわかったけど、LCCTはクアラルンプール国際空港の、貨物地区につくられたターミナルらしい。あの設備の感じがとても納得。そしてテイクオフ。


座席は狭めでも、食事があるのでそれを最低限考慮した広さ。こんなモニタも付いてました。何かするには有料ですが。
チケットを買った時、朝も早いので食事をオーダーしておいた。ちなみにベジミール。が、しかし置かれた食事は濃い色の焼き飯に、焼き鳥のようになにか串に刺さった肉魂のようなものが一本。ベジにも種類があって、そのなかから選んだのに絶句。エアアジアの食に対する気の配り方を心得る。そんな私の横を、FAのお姉さんたちはToxicのブリトニーのように歩いていく・・・

そして始まる機内販売。事前に前シートのポケットに入ったリストを見ていると、AirAsiaキャリア型のUSBメモリを発見。
自分にもいいなと思ったけど、弟土産にいいかもと買う気でいたのだが。肉魂の串事件に対するショックと、前のインド人ぽいおじさんがやたらと長々注文しているので冷めてしまい、お姉さんを呼び止めることはなかった。そして上海、といっても杭州の空港に無事、到着。

(6. Mär. 2009)



2010年8月22日日曜日

KL: 夜、クアラルンプールの路上にて


この写真、お気に入りです。
ぶらぶらしながら偶然撮れた一枚。ペナン島もだったけど、マレーシアはこういう、屋外ぶら下がり照明が多かった気がする。気のせいだと思うけど。
インド人街に行きたかったけど、それはちょっと断念。そんなに遅い時間じゃないけど、辺りがしっかり暗くなったので帰路へ。歩いている途中モスクがあり、コーランが聞こえてきた。その建物へ吸い込まれていくのは男性ばかりなので、門をくぐるのは遠慮した。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月21日土曜日

KL: 24時間


翌日の朝8時10分の飛行機で旅発つため、KLに居られるのはちょうど24時間ほど。
私がチェックインしたのは、KL Sentralの隣のKL鉄道駅構内にある、The Heritage Station Hotel Kuala Lumpur という約100年の歴史をもつ、クラシカルなホテル(参考書情報)。この旅においては、ちょっと贅沢のつもりで、翌日の移動にも便利でホテル自体にも惹かれたので決めました。
早朝にも関わらず対応してくれて、シングルの部屋はなかったけど、ツインでも安い部屋があったので即断。一泊、日本のユースホステル並みのお値段でした。この湿気と暑さに耐えてきた木造の館内は、旧式なエレベーターや当時の意匠のある、夜がちょっと怖そうな洋館。外観も解釈に迷う不思議な出で立ちでした。


部屋のふかふかのベッドがとても嬉しい。ひと休みしてから、いざ外へ出てみる。
何せ24時間もないので、郵便局、モノレールに乗る、ツインタワーへ行く、くらいにゆるく目的を設定。まずはちょっと歩こうと、Sentral駅前のチャイナタウンを通過するとスタバを発見、そして逃げ込む。現金不足のため、カードの使えて(確かWifiも入ったような)カフェは私の味方。何せすごい湿気で、不快指数が高い。
気を整えたら、道に惑わされつつも郵便局へ到着、ポストカードを郵送し、土産用に切手を買う。そこからツインタワーの方を目指すつもりで、モノレールやLRT(と言っても高架鉄道)に乗るも、なんだか乗り換えや路線の連結がよくわからない。ただビルとビルの間を行く、近未来的な都市構造に驚いた。

本当はツインタワーに登りたかったけど、展望台へは整理券が毎日枚数限定で配られるそうなので断念。最寄り駅KLCCの人の多さにびびりながら、そのままの流れで地下の巨大なモールフロアへ進む。ISETANがあった。人にも酔うし、買い物にも興味がないので地上へ出る。


その近辺の店でちょっと早いけど、カードOK(確かWifiもOK)な店でVeg.のラザニアか何かを注文する。かなり待たされたけど、お兄さんたちの感じがよかった。腹ごしらえをしたら、またそのまま辺りをうろつく。現地で調達した地図を持っていたけど、どうも位置が掴みにくい。ハードロックカフェがある所や、色々な建物を手がかりに現在地を把握して、ぶらぶらする。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月20日金曜日

Butterworth-Kuala Lumpur: 9時間夜行列車


列車はButterworth発ではなく、タイのHat Yaiから来ているため、既に乗客があった。
私の座席は完全な寝台タイプで、カーテンを閉めればすぐに寝れてしまう感じ。二段式の下で上に乗客は来ない模様。通路挟んで向かいには、大人サイズと小さなサイズの靴があった。同じ車両のほとんどのカーテンは閉められているけど、向こうの方で上下段、向かい合わせで乗車している家族?か仲間の姿があった。

スーツケースを固定させ、カーテンを閉めてうずくまる。寝るにはいいけど、本を読むには暗い。
だから隙間を作って明かりを入れて、眠くなるのを待った。乗務員さんが通りかかる気配を感じたので、食堂車はあるのか聞いてみた。向こうのほうにあるとのこと、しかも何時までとか時間制限なしに、クアラルンプールに着くまで開いているらしい。今までどれだけの夜の移動をしてきただろうか。夜行列車もないことはなかったけど、夜に食堂車を求めたことはなかった。少しおとなしくしてから、いざ、貴重品と参考書を持って、食堂車へ行くことにする。

乗務員のような制服を着た兄さんたちや、おじさん、などとりあえず雄雌なら男ばかりだった。
そんなことはこの時気にしていないけど、とりあえずカウンターで何か暖かい飲み物でも頼み、唯一空いていた4人掛けに座る。夜だしなんだか落ち着かない。皆も暇をつぶしているのだろうが、ちょっと緊張した心持ちで私は座っていた。すると前に兄さんが腰掛けてきて、話をすることに。たしかクアラルンプールの近くで日本の車メーカーで働いていると言っていたような。長さのあるあご髭がねじねじとあごから垂直に下を向いていて、単純にそれが一番印象的だった。明らかに地元民ではない、アジア女が一人でいると、彼らにとっては格好の興味の対象となってしまう。それは仕方がないことだが、そういえばこのねじねじの兄さんは私が日本人だと問題なく当てた。職場が関係しているのか、クアラルンプールという街がそうなのか、マレーシアに入ってからは“どこから来たでしょうクイズ”の正解率が高くなった。

もうちょっと食堂車に居座るつもりだったけど、あの食堂車の怪しい雰囲気に負け、ベッドに入ることにした。
予定到着時刻は5:20。6時には列車を降り、KL Sentralの駅構内にいた。日本語が多い。高校のマレーシアやシンガポール帰国の面々を思い出す。
こんな早朝、開いている店は万国共通なのかマクドナルドに人が吸い込まれていいく。私もそこに座って、KLに着いたことに一息つき、参考書情報で決めていたホテルに向かうことにする。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月19日木曜日

Pulau Pinang: Penang Island


ということで、さっそく鉄道の駅から看板が示す方向に進んでフェリーに乗車。
まさかのペナン島行き。行き先と旅程を完全に決めてかかった旅の中で、唯一思ってもみなかった地名。
もうひたすら流されている。常夏な気候だけど、フェリーは風をきるので気持ちがよい。イスラム教が国教なので、スカーフをした女性をちらほら見かけて新鮮に思う。

20分ほどでペナン島に着くと、参考書の地図を手がかりにして、街の中心の方へ向かう。
ジョージタウンという、この島で最も栄えているエリアにある、Komtar: コムタという巨大な複合ビルを目指すことにする。知らなかったけど、ここはマレーシア第2の都市で、リゾート地でもあり、実は世界遺産の街。その街並みは、確かに淡くカラフルな建物の色合いがさわやかで、この気候に似合っていた。

暑くて朦朧としながらも、パラソル付きの人力車には乗らずただ歩き、コムタ周辺に着いてスタバを発見。しかもどうやらwifi完備+電源が取れるようなので、3つ穴の接続部をその辺で買って、ちょっと居座ることにする。
もう、なんだか完全に守りに入っている。現地民の集わないスタバに留まること自体、敗北しているに等しいが、身体がそれを求めてしまった。そんな守りに入った自分を鼓舞して、マレーシアの「素食」レストランに行くことにする。


扉のない、道路に面した店構えで、自分の好きな料理を皿に盛る。量り売りだった。割と一人でふらっと食べにきているような客がいて、ベジタリアンレストラン特有の痛い感じがなかった。要するに食べ物の選択肢として市民権を得ているということ。この善し悪しで、その街の文化を汲み取ることもできるだろう。

長居する雰囲気ではなかったため、そこから近い、街の中心部の拡大図にもなるエリアをサラッと通る。安宿街で、もし自分がここに泊まるならあんな宿なんだろうな、ともしもを想像しながら軒先を拝見する。おもしろいことに、止まっている車、通り過ぎる車が結構いい車。昔のベンツとか。なんだったか、際立って多いなと思った車種があったけど、思い出せない。イギリス統治時代の名残を感じるような、そんな印象だけ残っている。


結局まだ時間があるので、Komtarに戻る。そのビルの展望台から(この時は無条件にあると信じた)ペナン島が見渡せればいいなと思い、上に登ろうとする。Komtarに隣接するビルも割りと高くて、広いフロアをうろうろしているうちに、どっちにいるかわからなくなった。私が最初にいた方は、Komtarではないショッピングモールのビルだった。Komtarに移り、それらしきエレベーターに乗るも、オフィスがあるばかりで、彷徨える旅人には完全に場違いなところだった。

そうこうしているうちに時間はやってくる。KL行きの列車は21時発だから、20時くらいから動けばいいと思っていたけど、案外時間がない。フェリー乗り場までの移動+20分フェリーに乗らなければいけないのに、時刻表というものを確認しておらず、かなり焦りながら時にはダッシュで暗い道を急いだ。ちょっと悠長にし過ぎた後悔と、この列車を逃すわけには行かない不安で息切れながら、滑り込むようにちょうど発車するフェリーに乗り込むことができた。ギリギリ21時前に着く時間だったから、ひとまず安心。最悪すべての計画が崩れることすら考えたほど、必死で走ったけど、こういう時の付きものなのか、列車がこなかった。待てど待てど来ないと、他の乗客たちも列車が来る方をずっと待ちわびた。ようやく列車が来たのは1時間ほどあと。完全な寝台タイプの自分の席を見つけ、寝床をつくった。


(4. Mär. 2009)

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2010年8月12日木曜日

Butterworth: 到着


予定通り、昼過ぎ13時頃、Butterworth到着。
前述の通り、マレー鉄道と呼ばれても、3国間を跨ぐ路線のため、BangkokではButterworth以降のチケットを買うことができなかった。取り敢えずまず、KLまでのチケットを確保。フアランポーン駅ではクレジットカードが使えなかったが、ここでは使うことができた。
21時の出発まで時間があるので、どこか街に行こうかと。そんな旅人を見兼ねてすかさず、駅で荷物を預かるよと駅員のおじさんが声を掛けてくる。ロッカーもなく、駅ならとりあえず大丈夫だろうと思い、高いか安いかわからないけど、一つあたりいくらと言われて荷物を預ける。Butterworthにはやはり特に何もなさそうで、駅の人にもフェリーですぐに行けるペナン島に行くことを勧められるので、そうすることにする。

(4. Mär. 2009)

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Bangkok-Butterworth: 22時間マレー鉄道


マレー鉄道に乗りたかった。
特にこだわりがあるわけではないが、“鉄道”、“半島”、“横断”という私の好きな3つを満たしてくれるのがそれだった。
一般的に言われるマレー鉄道は、タイ〜マレーシア〜シンガポールをつないでいるもので、全線を制覇するには最低2回は乗り換えなければならない。私はクアラルンプール(KL)まで行くので、BangkokからButterworth、ButterworthからKL間を2泊3日かけて南下します。

14:45にBangkokから出発すると、しばらくして乗務員さんが車内食の案内を持ってきた。
夜と朝ご飯の組み合わせで、4つの選択肢がある。欧米の旅行客も多いからかVeg.のものもあったので、これにすることにした。写真は晩ご飯。値段はちゃんと覚えてないけど、かなり安くてよい印象。
向かいの席の若い兄さんは、ご飯時に乗り込んで来たおばさんから、発泡スチロールの容器の入った食事を3つ買って、2つを食べていた。地元民に倣うも、単純に旅行者になっても、食いっぱぐれることはない。


車内の作りは、Nong KhaiからBangkokまで乗車した時と同じタイプ。
その時は上の段だったので、今度は下の段にすることにした。既に枕が作られて、皆、食後のおくつろぎタイム。
車窓からの景色は、なんだかどんどん暖かい所へ向かっていると、植物が教えてくれている気がする。バンコクより南のタイという国土を思い出し、ちょうどあの細い部分を走っているんだなと想像する。海が見えやしないかと期待するが、ゴムっぽい背の高い植物が続きは途切れの繰り返しだったような。
外の景色が全く楽しめなくなったころ、乗務員の兄さんが、上の段のベッドを手際よく作りにかかった。
既に年季の入った参考書を見直したり、音楽を聞いて、就寝。


起床。
朝食はフルーツやコーヒーなどを含んださわやかなラインナップ。
いつだったか通路を挟んで横の席のメンツが変わっていた。子供2人を含む家族連れ+いるべきところに収まったくま。マレー鉄道はそんなにスピードは速くなく、割と泊まる駅も多い。長旅に利用する人や、近距離を移動する人などいろいろである。


前のお兄さんはただ黙々と席に座っている。
私も黙っていままでここまで流れてきたことを思い返したりする。
色んな強い感情が起こったが、マレー鉄道に乗ってもなお、Wienに行き、Hundertwasserの生誕80周年記念展を見られなかったことを後悔する。悔やむ気持ちを押さえきれず、購入した図録をじっと眺める。


どうやらタイ/マレーシアの国境に差し掛かった模様。
ゆっくりと場所を定めて列車は泊まり、乗客は荷物をすべて降ろしてパスポートコントロールへ。
青いパスポートのタイパンツを履きこなす、感じのいい青年がいた。その子の後に続いて列に並び、順番がきて荷物検査を受ける。スーツケースを開けさせられたが、Freiburgで買った、ビールグラスに入ったビールのグミを見て、どこから来たのか聞かれる。割と好意的に受け止められたようで、他の人より早くそこを通過。今までの教訓に習って、忘れずにタイバーツをすべてマレーシアリンギットに交換し、列車に戻る。
マレーシアに入った後、もう少し列車は進み目的地に近づいて行く。
トイレに行ったり、歯を磨いたりして、降りる準備を整える。


(3, 4. Mär. 2009)

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2010年8月9日月曜日

Bangkok: 馴染む


お互いに電話やメールが常に使える状態じゃないと、会えるかどうかは、その時の運にかかっている。
バンコクに着いたその翌朝、神戸から乗ったフェリーからハノイまでの盟友Fちゃんと再会を果たす。
ベトナムやラオスでゆっくりしていた彼女は今朝、バスでバンコクに着いたのだ。
この日はなんと、初めて出会った日からちょうど1ヶ月。恋人なら1ヶ月記念日な日なのである。

Fちゃんと共に流れていた時、私はお初のアジアに不満を垂れて弱音を吐いていた。
そんな私を見ていた彼女に「たくましくなったね」と言われて嬉しい。道中で出会った日本人などに、私の旅程の話をしたそうだが、やはりこの発想はあり得ないらしく、引き気味の賛辞を頂いた。
カオサンのお気に入りのcafeでくつろいだのも束の間、私はそろそろ行かなければならない。
宿に戻ってスーツケースをタクシーに積んで、Fちゃんも一緒に、プアランポーン駅へ向かう。


割と余裕を持って着いたので、駅のスーパーでタイガーバームや長旅に備えて食べ物などを買って、2人でアイスを食べた。
Fちゃんはいつも話に聞くのがおもしろい、お姉さまの友達を訪ねる予定らしい。そろそろ電車に乗れそうな時間になり、再会もすぐにお別れに。でも1度ではなく、2度会って別れると、これからもこの調子が続いていきそうで特に寂しくない。
それよりも会えたことの方が何倍も嬉しくて、なんだか安心して、手を振った。


南へ、流れます。

(3. Mär. 2009)

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Bangkok: 再び


仕組んだのは自分だけど、2週間振りに戻ってきてしまったBangkok。
最初に着いた時とは違い、ちょっとは勝手知ったる地になっている。
今度の部屋はファン付きの個室。さっぱりしてからfalafelを食べて腹ごしらえし、Wat Poへマッサージを受けに行く。
水上バスでの移動はお気に入り。きらきらした水面に惑わされながら、どんどん風を受けて進んでいく。


2度目のWat Poも90分のコース。前回の早朝時とは違い、受付で渡された番号札を持って待つ。
客層が見れるのがおもしろい。今回は男性のお兄さんが担当だったけど、力の加減が女性よりも好みだった。終わった後は、頭に全身に血が巡り、爽快な中にほーっとした感覚が最高に気持ちよい。ジャスミンぽいようなドリンクを貰って水分補給し、休憩した後、水上バスには乗らず、歩いてカオサンまで帰ることにした。


Wat Po付近は王宮があったり、防衛省のような官庁があったりするエリア。近年の欧州の街に習ってか、レンタサイクル用の自転車も整備されていた。バンコクの道はごく一部だけ、自転車レーンがあるように思ったけど、まさかこんなものもあったとは。利用者はほぼ皆無な雰囲気でした。
夕方、日も落ちてくるなか、路上でなにやら商売をしている人がずっと続いている。商売といっても、偽ブランド物や、家の中で現金になりそう(もしくは不要)なものを、とりあえずもって来たような印象。そういえばバンコクもブランドの偽物が多い街。わたしも昔、彼氏のお母さんに小物を貰ったことを思い出した。

水上バスで20分なので、歩くと結構な道のり。せっかく癒されたのにまた疲れて宿に戻ると、1階のcafeスペースで映画の上映中。何か飲み物を頼んで寝転がりながら、他の宿泊客とともに鑑賞。近くにいたシンガポール人の兄さんたちグループと話して仲良くなり、誘われたけど、時差ボケと明日の大事な待ち合わせを理由に断って、かなり早い時間に眠りについた。

(2. Mär. 2009)

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2010年8月8日日曜日

Berlin-Bangkok: 11時間AirBerlin

19:30にBerlinを離陸した後のことは、あまり覚えていない。
メインの機内食がMünchenに向かったときより美味しくて(確か野菜ラザニア)、そのまま映画も特に見ずに寝た。
翌日の11:40にBangkokに予定通り着いて、スーツケースも受け取った後、ロビーに乗り継ぎに彷徨える年配のドイツ人がいたのを覚えている。

カオサン行きの空港バスに乗ったら、前の席にWat Arunに一緒に行った、Canonで働くRICOHのカメラが大好きな兄さんがいた。ミャンマー帰りの兄さんは、癒されに行ったはずのミャンマーで腹痛を含む体調不良に襲われ、散々だったと言っていたような。相変わらず例の"さくらハウス"へ吸い込まれていったが、私は別の宿にしようと決めていた。
南京虫に怯えて寝るのは嫌だし、あの雰囲気も前回で充分だった。結局、ランブトリをチャオプラヤー川方向に進んだところにある、"New My House"というゲストハウスに泊まることにした。

この旅も、最後の一週間。
これから一週間かけて、京都まで帰るのだ。
長い、長い帰り道のはじまり。

(2. Mär. 2009)

2010年8月6日金曜日

Berlin: 日曜日


友達のベッドはお手製で、部屋の中央に細い階段をつたって辿り着くように作られていた。
その下は、少し膝を曲げれば歩けるほどの高さがある。うさぎたちに邪魔されず眠ることもできる、大人になった少年の夢のようなベッドだった。うさぎたちとあまりお近づきになれなかったことは残念だが、トイレの壁に既にあるのと同様に、友達や同居人の女の子に宛ててメッセージを書いて、部屋を後にした。

昼前に昨日も会った友達M宅に荷物を置かせてもらい、ブランチ目当てにcafeを目指す。
道中、彼はBerlinと東京を対比し始める。ここは東京で言う原宿とか、六本木とか。アウトバーンを首都高に見立てる解釈がおもしろかった。ドイツ語のクラスで一緒だった、当時Berlin留学中の友達Kくんとも合流し、なんとか席に着いた。昨日からの案内でもわかるように、Mのセンスはやはりcool。彼の住んでいるこの辺り、いいcafeが多く、休みの日には多くの人がブランチを楽しんでいる。

そんなMがガラクタばかりだという、ベルリンのFlormarkt: 蚤の市に連れて行ってもらった。
Kくんのベルリン仲間もやってきて、皆で好き勝手に気になる店を見て回った。ベルリンの蚤の市と言えば、何かものすごくいい掘り出し物が見つかりそうな気配があるが、この時は特に自分にとってこれと言ったものは見つけられなかった。ただこのFlormarktを訪れている人は割と多く、皆ぞろぞろと店店の間を行き交い、それに飽きれば横の広大な敷地で好きなことをして楽しんでいた。色々なベルリン事情を垣間みた後、そろそろ私は行かなければならない。

Mは大学まで通うルートだという、トラムやバスを乗り継いで、Tegelまで送ってくれた。
地下鉄で通う方が早くて便利だが、地上を見たいというのが彼らしい。京都でそんなにゆっくり話したことはなかったけど、今回とてもお世話になり、この先をどう行くかという話もでき、有意義な再会だった。

そして17時頃、部屋に泊めてくれた友達が仕事帰りに空港まで来てくれた。
以前私が京都を案内したことがあり、Berlinに私が来た時に抜けられない仕事が入ったことを悔やんでいた。それでもよくしてくれたことがとても伝わってきたし、こうして疲れているのに少しの時間のために会いにきてくれて嬉しかった。
思い返せばじっくりそう思うことができるが、この時は限られた時間の束の間の再会。短期間にものすごい距離を移動し、色んな人に会っているので、私の心身も疲れで若干おかしくなりつつあった。割とあっさりと別れたあと、ドイツ人とタイ人カップルファミリーの多い、飛行機に搭乗した。

(1. Mär. 2009)

2010年8月4日水曜日

Berlin: 徘徊と再会


Tempelhofを後にして、U6を少し北上する。見覚えのある駅名があるので、懐かしさ半分降りてみた。
Berlinは3回目。これまでの2回を合わせても1週間もいないが、いつも来る度、都市としての大きさが他と違うと痛感する。
ベルリンはでかい。だからまだまだ楽しみがある。

壁博物館やチェックポイント・チャーリーを確認した後、まだ未開拓のOranienburgerstr.の方に行ってみた。すると何やらものすごい破壊的な建物が。まさにBerlinと思いながら、小腹の空いていた私は、その向かいのfalefelの看板の文字に引き寄せられた。むしろそのお店全体に引き寄せられたのだが、この独特なセンスを放つお店の名前は"dada falafel"。ケバブ屋に付随しているドイツのfalafelとは明らかに異彩なお店。しかもdadaって。さすがBerlinである。
衝撃に衝撃を受けながら、食べたfalafelは美味しかった。この旅でfalafelは常に美味しいと言っているが、falafelは味付けによって幅が出るので、そのお店でかなり異なる。極まれに散々な組み合わせに合うことがあるが、ここは正真正銘、falafelの店。味の違いを表現するのは難しいが、美味しくないわけがない。横のインド料理屋さんもいい匂いがした。

後からそれが何かわかったけど、その時はあの破壊的な建物に入る勇気がなかったので、引き続き、嗅覚のする方へ。Bonbonmachereiという飴ちゃん屋さんもあるHeckmann Höfeを発見。Hof: 中庭といえば、Hackenscher Marktが観光地的に有名だが、この二つの間が今回よかった。ギャラリーやショップが存在感を放つように、またひっそりと居を構えていて、どんどん足をうばわれる。特にこちら、Kunst-Werke なんて、coolなBerlinそのもの。私が行ったときは、ショートフィルムを何本かいくつかの箱で流していたので、最初は映画館かと思いました。


wifi対応のアジアンテイストな料理を出すcafeに入る。友達と連絡がつき、なんとなく自分がいる場所とお店の名前を言うと、簡単に見つけてくれた。そこがBerlin。京都で自分もできると思うけど、何処何処で落ち合うのではなく、拾ってもらえることのすばらしさ。基本的に逆の立場が圧倒的なのて、余計に身に染みて嬉しい。

7カ国語を操る彼は、京都もドイツで言うFreiburgみたいだと、かなり気に入ってくれたけど、ドイツ帰国後、住んでいるBerlinがさらに好きになったと言う。私にとって京都がそうであったように、共通した感情が起こっているように思った。これまたいいcafeに連れていってくれ、そこでゆっくりした後、最近Berlinで人気だというベトナム料理屋さんに連れて行ってくれた。満席で少し並ぶほどだったけど、こうしてパリのように異国情緒を楽しめる街にベルリンも向かっていると思った。その後さらに、ビールを飲みに行き盛り上がった後、明日の集合時間を決めて解散した。

(28. Feb. 2009)

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2010年8月1日日曜日

Berlin: Tempelhof



今回Berlinに来たのは、飛行機に乗るため。
それを主目的としてはずせないルートにすれば、少しは滞在を余儀なくされるので、1泊2日することに決めた。
欲張りだけど、自分に負荷を掛け、楽しみを増やす図式である。

友達の部屋のPCを付けると、かつて京都で会った時の、私のものすごく赤い顔の写真がデスクトップに表示され、やられた。この短期間でうさぎさんたちとどれだけ仲良くなれるかが、課題だなと思いながらシャワーを借りた。
あの時は髪が長かったので、ドライヤーが欲しいと思っている時に物音が。“彼氏の所”と聞いていた同居人の女の子が実はいた。彼女は先生になる勉強をしている学生で、いたずらっぽい感じがキュート。一緒に朝食を食べながら、私が泊めてもらっている部屋の主や、iPhoneの話題で盛り上がった。彼女もiPhoneユーザーで最近変えたらしく、私がJにダウンロードされた「羊が一匹」を彼女に見せると、ものすごくウケていた。この日彼女は姪っ子とプールに行く約束をしているらしく、私より先に出かけていった。まだ特に予定の決まっていない私に、夜暇だったらごはんでも、と自分の予定に誘ってくれた。あぁこの感じがやっぱり好きなのだ。


うさぎに行ってきますと言い、再びZOBに向かう。行きのKopenhagen-Malmö間、バスに乗れず鉄道移動したので、その払い戻しをしてもらうためだ。着いた時は閉まっていた、事務所にいる女の人に説明するが、自分は今日代わりに働いているのでわからない、ここに電話を、とチケットを入れる包みを渡された。もちろん、この時にすべてが片付くと思っていないが、このすんなり行かない感じにちょっとヤな予感を抱く。

気を取り直してBerlinを楽しもうと、観光?というか唯一絶対行きたかった、テンペルホーフ空港へ向かうことにする。2008年10月で閉鎖になると、Freiburgにいた当時に知っていたので、どうにか閉鎖前に利用できないかなと思っていたけど機会がなかった。ナチス建築の代表格のひとつとして、その美しさに私も惹かれたわけだけど、その後どう利用されるかはまだ決まってないようだった。

Berlinの街の中にあるので、行くのはUBで楽。"Platz der Luftbrücke"で下車し地上へ出ると、Luftbrückeのモニュメント(写真上)とメインビルが見える。Pommes: ポテトの屋台があったので、注文しがてら屋台のおばちゃんに現状を聞く。今後は知らない、分からない、の一点張り。ちょうどTempelhofを世界遺産に登録しよう、という動きもあり、そのステッカーが大量に置いてあった。腹ごしらえも終え、いざメインビルの方へ。閉鎖反対の声も大きかったようで、閉鎖から4ヶ月経ったこの時も、惜しむように見に来る人たちが何組かいた。中へは入れないので、隙間から覗いて伺い知ろうと試みる。時計をはじめ、すべてが止まってしまった空気があった。ただやっぱりものすごく尊厳としていて綺麗。ここにまだ息吹があった時に、やっぱり来たかったと残念に思う。


Pommesの屋台の近くに"Der Fliegerladen"の文字を見つける(写真中)。やっぱり航空系グッズを扱う店は近くにあるらしい。年季の入った店に、年季の入ったおじさん。別に私は航空マニアでないけど、なかなかお目にかかれないだろうグッズにテンションがあがった。むかーしのTempelhofの写真や、パイロットが必要とするような専門的な地図。おじさんにも今後はどうなの?と聞いてみたけど、屋台のおばさんと一緒だった。2人とも、明らかに閉鎖に反対だっただろうし、閉鎖されてしまったショックと、現実的な生活への影響をちょうど感じているような気がした。

結局今は公園として解放されているけど、あのメインビルの中には入れないんだろうか。この時も予約をすれば、館内ツアーに参加できるとあったけど、それしかいまも中に入る術がないなら行くしかないでしょう。"Platz der Luftbrücke"の規律のある美しさ(写真下)も味わってから、ここを後にした。

(28. Feb. 2009)

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Malmö-Berlin: 9時間夜行バス+フェリー


LundからMalmöに到着後、バス乗り場を探してなんとなく歩いた。
夜10時頃、あたりは既に暗く、地図が示す方面は道が悪く、スーツケースを引きにくかった。Malmöは海に面しているので、何やら大きな船も見える。
なんとか時間も間に合ってバス乗り場に到着したけど、バス待ちの人もそんなに多くはなく、案内をする人なんていない。とりあえず、近くの人に行き先を聞いてみると"Bremen"だった。Hamburgまではセーフと思い、ひと安心。少ししてバスも来て、皆、バスに乗り込む。

起きたらフェリーの中だった。バスに戻る時刻が告げられ、皆バスから出るところ。寝ぼけながらとりあえず身体を動かして、船内に出るとまぶしい。レストラン(好きな料理をおぼんにのせる形式)に結構人がいて、食事をしている人も多かった。外に出ても真っ暗でおもしろくないので、ちょっとコーヒーと何か軽く食べることにした。レジ前にこのスカンラインのフェリーのポストカードが売ってあり、確か0.35€とお高めだったけどツボで、何枚か買ってしまった。思いつくままに手紙を書いているとタイムアウト。バスに戻る。

起きたら既にBerlin近郊。バスの到着地は、"Berlin ZOB"= Berlin Zentraler Omnibusbahnhof。ベルリンのどこに着いたかわからないので、U-Bahnの地図を見ると、西のゾーンAぎりぎりのKaiserdammが最寄り駅だった。
同じバスで降りた人が散ってしまったあと、泊めてもらう友達の友達が迎えに来てくれた。土曜の早朝なのに有り難い。場所さえ分かれば自分で行けるけど、友達ははずせない仕事があり、留守中の鍵を彼が預かってくれていたのだ。
Alexander platzに近いUBの駅で降り、すぐ近くの建物。装飾のない、100年くらいは立ってそうな、シンプルな外観。この辺りの建物は、これまで主に高齢者が多く住んでいたけど、年月とともに空きが出る、若者にとってはいい目の付け所な物件だそうだ。
友達は3人とシェアしていて、一人は旅行中、もう一人の女の子はたぶん彼氏の家だろうと。友達の部屋を開けると、聞いていた2匹のうさぎが登場。彼らが動き回るのでドアの開け閉めには割と注意が必要。友達の友達もこの部屋にはよく出入りするらしく、一通り説明してくれた後、礼を言って見送った。
うさぎとの初めての共同生活に、顔がにやける。

(28. Feb. 2009)

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