2010年9月25日土曜日

graduate from ASIA -1-


チェンマイに到着。奇跡的に交通量を感じない、日曜の午後のある瞬間。


いるんですね。タイにも「ゆるキャラ」。むしろ世界的な流れなんでしょうか。
彼女は“花博”っぽい顔をしていました。


夕方、ターペー門。角にたたずむおばちゃんは、「鳥を飛ばすと幸せが訪れると言われています」と、小鳥を従え商い中。


ターペー門の広場で催されていたイベント会場にて、Foot Massageを受ける。ゴリゴリの私の足裏を、予定時間より延長して“かなり攻めて”ほぐしてくれたおばちゃんに、代金をはずまなかったことを後悔。小さい人間な私にざんげ。


国歌斉唱のため、全員職務を中断し起立。外国人は突然の放置に唖然するも、条件反射で起立。後は何事もなかったように、マッサージ続行。


19. Sep. 2010. Chiangmai

2010年9月6日月曜日

Kyoto: はちはち Infinity Cafe


ひさしぶりのはちはち。7月の頭に一度来たけど、そのときはお茶だけだったので、この"Today's Sandwich"は本当にひさしぶり。5年前に初めて来て以来、初めての冷製スープでした。セロリが美味しかった。もちろんパンやチーズ、パンの上にのっている具材も旨いです。あの繊細なひらひらカットのチーズは、切り方、むしろあの薄さがさらに美味しくしている気がする・・・
それにしてもピントがぼけている。買いたてのカメラなのでこれから勉強します。

ほんとこの時はゆっくりだらだらと寛いだ。この空間、お店に着くまでのプロセスも含めてすべて、私は大好きなのだ。
だからこの愛しい生い茂った空間だけは、ゆっくりと時が流れてほしいと願う。


自然の力であの進行する傾きを止められないでしょうか。

http://hachihachi.org/

番外編:Camino de Santiago


旅を終えて半年程経った頃、船で一緒だった青年からメールがきた。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラにある、この大聖堂の写真を添付して、無事に聖地巡礼の旅を終えたことを報告してくれた。

船で、次はどこに行くのと話をした。これまでアジアを旅してきた彼だが、フランスやパリの美術館にも興味があるらしい。でも学生共通の悩み“お金”を彼も気にしていたし、私はフランスからも“道”がある、スペインの聖地巡礼のことを提案してみた。初耳だった彼は予想以上に食いつきがよく、目を輝かせて行く意志を決め、絶対行って報告します!と約束してくれたのだった。

この5週間の旅を通して学んだこと、出会ったこと、思い出したこと、新たな感情が芽生えたことなど、色んなことを重ねてきた。それらは自分にとって本当に大事なことだが、あくまで自分だけのこと。最後に旅を次の旅人の渡すことができ、そこには何か旅人の連帯感のようなものがあった。こうして一人の旅人が去り、また新たな旅人が生まれ意志を受け継いで行く。
それは今までに感じたことのない喜びだった。

〜次世代の旅人たちへ〜


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2010年9月5日日曜日

Shanghai-Kobe: 2泊3日フェリー②


往復すると、船の極意みたいなものが見えてくる。
過ごし方は人それぞれだけど、せっかく2泊3日の間、船に閉じ込められているのだ。
私は同じようにしゃべり相手を求めているような人と、暇をつぶすことが好きだった。

中でも一番長く話していたのが、乗り場で会った青年だった。
同じく京都の大学に通う3つ下の学生(長期休暇の旅人)とは、お互いの旅の話や家族の話、同じ生活圏に住む者の話をした。ちょっと体調を崩しいたようだけど、手元には“カラマーゾフの兄弟”の文庫本があった。私のバイブル“5万4千円でアジア大横断”と交換して読もうとしたが、普段から本を読まない私にはハードルが高すぎた。このきっかけがなければ、題名すら知るよしもなかっただろう本である。
彼はあっさり一晩で私のバイブルを読破した。行きの船であったFちゃんも、この彼も3つ下で実は弟と同じ年。方向性がまったく違うのは確かだけど、こんなに普通に話ができるものかと驚いた。

この船の常連でスタンプカードも持っている(6回乗ると1回無料らしい)、日本人と結婚した中国人のおばさん、京大で学び、日本のメーカーに就職予定の中国人青年、家族は中国にいるが、単身で14年ほど日本に住んでいる中国人のおじさんと私で話をした。皆日本語がよくできるので、私以外中国人なのに会話が日本語なのが不思議な感覚だった。おばさんは中学生くらいの娘さんを引き合いに出して、私の最後のかつかつの財布事情を最低でもいくらの余裕を持ちなさいと怒ってくれた。
このおばさんとおじさんは長らく2国間の情勢を見ているので、隠語の解説などが少し聞けて興味深かった。

日本人の学生の団体は、神大の海事科学部の研修旅行だと判明した。日本から出発した船で上海に渡り、船が引き返すときにまた乗って帰ってくるという、現地滞在2泊のどの1週間の旅程だったらしい。上海から神戸に向かう時は、いっぱいの貨物が積まれてくるが、逆は空きスペースが多いらしく、それを埋めるための案を課題として乗客にインタビューしていた。
なんだか誘導尋問な感じがしたので微妙だったけど。

私は日本に着いた後のことを考えた。1泊2日家に帰った後、再び10日ほど山ごもり生活をするのである。
そして最終日の早朝の終了を持って下山し、卒業式に行くのだ。
バイト代の回収&お土産渡しや、必要なものを買うなど、効率的に動くために頭を巡らせた。

いよいよ日本の領域に入り、ひさしぶりにiPhoneにSoftbankの表示が入る。
明石海峡大橋に差し掛かるとアナウンスが入ったので、例の青年と見に行った。ものすごく強風で、煽られながらセルフタイマーで撮った写真がいい思い出になる。
もう降りるという頃、乗客でどこかで見たことがあるような顔をしている兄さんと近くなったので、声をかけたみた。そしたらなんと同じ大学学部の学生だった。でも取る授業は違いそうだし、学校に頻繁にいた時期がずれているから、同じ空間にいた可能性は低そうだけど、なぜか私の頭の中には記憶されていた模様。ちなみに通称:わかめさん、と呼ばせて頂いた。
テンパらしい(本当はパーマ)ウェービーな髪型が、わかめっぽかったのだ。

朝9時頃、神戸港に到着。入国審査を受ける。
私はかなりあっさりだった。スーツケースを開ける必要もなく、係の兄さんは笑顔でおかえりなさいと通してくれた。わかめさんやその回りの日本人の兄さんたちも次々に通過し、モノレールの駅に上がってきたが、あの青年が来ない。あまりに遅いので電車に乗ったが、挨拶もできず気がかりが残ってしまった。
わかめさんとは京都まで一緒だったので、駅についてからお昼を食べて解散した。

(7. 8. 9. Mär. 2009)

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