2010年12月31日金曜日

年越しにぶたを欲する


ぶたネタが続くとは思いませんでしたが、どうも私は年越しの際にぶたを欲するようです。
それではよいお年を、Guten Rutsch ins neue Jahr!


2010年12月30日木曜日

薬局で薬を買ったらブタが入っていた


年末、というだけで、どうもぼうっとしてしまうのは私だけでしょうか。
こちらのクリスマスは日本のお正月みたいなもので、年越しは日本のクリスマスみたいな感覚でお祝いをするものだと思います。ただ私はクリスマスに対する意欲が希薄なので、割とその感覚のままこちらでも過ごしてしまいました。それでも何枚かカードは書くので、例の“とりあえず身の回りのことができるエリア”で、カードを選びました。
日本に宛てるものもあり、クリスマスが過ぎてから着くことを想定して、年越しの文句が添えてあるものを探しましたが、これがかなり少ない。そして昨日再びそのエリアに行くと、クリスマスカードは撤去され、極少量の“新年用”のカードがあるのを見つけました。その絵柄のモチーフは、シャンパンのボトルやグラス、花火に、コイン、そしてブタ、クローバー、てんとうむしが主流です。後ろの3つはドイツでは幸運のモチーフで、要するに新年に縁起がよいものをということで、カードに表されています。

先週の気圧による頭痛・眼球痛を経て、鼻風邪で耳と鼻が詰まった状態が続いています。それを打破すべく、よく効くと友達が教えてくれたホメオパシーの薬を薬局で買いました。帰ってから気付いたのですが、袋にブタが入っておりました!しかも陶器です。ちょうどこういうものが欲しいなと別のブタを見ていたところだったので、嬉しさ倍増でした。
薬局でお会計をする際、袋は入りませんと言おうかと思いましたが、ないがしろにして言いませんでした。もし言っていたら、ブタは手渡しだったのだろうかと、その後の展開を妄想します。

私が何かをもらう率が高いのかなんなのか、この薬局では以前も来年度のカレンダーをもらいました。日本はドラックストアが横行して、自営の薬局が押され押されて痛々しいことになっていますが、こちらは地域に根ざした薬局がどこにでもあります。こうして利用者にブタまで還元してくれる潤沢振りはすばらしいなと思いました。
dm(デーエム)というドラッグストアもありますが、こちらでも私はポーチをもらいました。ポーチの中にはマニュキュアも入っていて、しかも色が好みだった。いくら以上お買い上げの方、というわけではなく、その日レジで会計をするお客皆に渡しているようで、前にいたおばさんも、こんなの私初めてもらったわと喜んでいました。
ドラッグストアのチェーンは他にもありますが、薬局が喰われることも喰うこともなく、互いに共存できる関係にあると思います。何故だかは知らないので、ブーちゃん(ブタ)を横に置きつつ、ちょっと調べてみようと思います・・・ 

2010年12月24日金曜日

気圧に弱い疑惑


先週土曜日、朝から頭に違和感を感じるも、通常通り遅番の仕事に行く。するとどんどん悪化する頭痛、加えて寒気も感じ、これは風邪の前兆かと軽快する。どうにか仕事を終え、宿舎の話し合いがあったけど、欠席させてもらい就寝。
翌日、熱気は感じないものの頭痛と連動するような眼球の痛みがかなり辛く、始めて仕事を休ませて頂くことになった。
風邪対策に漢方を飲んでいたけど全く効かず、寝ても治らない頭痛なんて始めてだったので、これは翌日医者に行かないととそのつもりをする。ちょうど2連休で念願叶って友達が遊びに来てくれるのになんだかな、と思いながらそういえば頭痛薬を飲んでいなかったので飲んでみる。すると割とすぐに効いて治まった。
一体なんだったのかと思うが、聞くところによれば、土曜日に激しい気圧の変化があったらしい。そのせいで頭痛を発症する人が割といたそうだ。自分の原因もこれだろうと納得したので、とくにその時の気圧を調べたりなんかはしていないが、宿舎にいた他の人は大丈夫だったし、飛行機の移動の際に頭痛になったこともないので、自分が気圧に弱いのか、なんなのかはよくわからない。とりあえず今は鼻風邪を引いて、鼻をかんでは耳が通るということをくり返している。

今日は仕事が休みだったので、ちょっと用事をしにDüsseldorfまで行こうと思っていたが、大雪と路面凍結のため、バスが全面運行中止になったと出る寸前で連絡を受けた。それでもバスで5駅先の、とりあえずの身の回りのことができるエリアまで、歩いて行くことにした。誰かが歩いた跡を目がけて足を着地させ、30分ほど自分に雪を積もらせながら、地味に必死に歩く。
最近気づいてしまったことだが、雪を踏む感覚は発砲スチロールを踏むか持った時に身体が覚える感覚に似ている。
私は小さな頃から発泡スチロールが本当に嫌いだったので、雪=発泡スチロールを連想してしまうことにショックを受ける。

暑い国より、寒い国の方が合っていると思うし、精神的に暑いより寒い方が、気が確かでいられると思うが、雪が積もらない程度の場所がいいなと思った。ベルリンへ行きたいと漠然と思っていたが、きっと私に寒すぎるし、その寒さに勝るほどの情熱がきっと無い。南へ行きたい。南と行ってもミュンヘンのあるバイエルン州は結構寒いので、やはり南西部がいい。月曜日に再会できた友達はまさにその辺りから来てくれたが、こんなに雪は積もっていないし、こんなに寒くないと。ここのこの雪景色は1月に入ってからの景色のようだと言っていた。今年は雪が降る時期が早く、寒いらしいが、南西部の天気予報を見ると氷点下以上の日が続いているので、本当に南西部への想いを馳せてしまう。
自分の体質に合う気候的条件の土地に住むことは重要だ。寒いことに耐えられないひとは暖かいところに行けばいいし、暑いことに耐えられないひとは寒いところへ行けばいい。

こちらのクリスマスは24日の午後から店が閉まり、明日明後日の本番に向けて世間は動いているようですが、平和村のクリスマスは30日にお祝いをします。色んな宗教の子供がいるので、それに配慮をしてとのことです。
225人分の子供と遊び部屋用のプレゼントを綺麗な包装紙で包みますが、子供に渡った時点で即ゴミと化す、この包装紙の使用に疑問を抱かずにはいられません。それ以前に、隣に広大な自然があるのに、基本的に平和村の密度の高い敷地内だけでしか遊べない子供をかわいそうに思います。子供を想って室内の遊ぶアイテムを充実させるのはわかりますが、片付ける身としてはプレゼントを包みながら気が重くなります。

2010年12月15日水曜日

これが不満期というものだろうか。



前回の投稿からして、現在、理想と現実の狭間にぶち当たっていることは明らかですが、
なにより、いかに自分が成長していないかがよくわかりました。
やはり書き出すということはよいですね。
色々と考えていることはたくさんあるので、ここに書くことはたくさんあるけど、
書ける環境が手に入りにくいので、なかなか書くに至らず、流れてしまっていると感じる今日この頃です。
大人数で共同生活をしているということと、何よりネット環境が非常によくないので、さくっと書いてどんと上げるということが非常に難しく、その時間の無駄とも言える長いアプローチが、億劫にもなってしまうわけです。写真の添付なんて相当時間がかかるので、パリの投稿なんかは本当に書きたい欲求と気合いで上げていきました。

ともあれ、何から書いていいのかわからなくなるほど、色んな紆余曲折を経てきている。
何を私がよく考えているのかと言えば、ここの労働環境、日本人インターン生が取り巻かれている奇妙とも言える環境、その日本人と共に働くドイツ人たちの働き方、自分の今後についてなどなど。とりあえず、働きはじめの集中的吸収体制を経て、子供たちの扱いに関してはある程度は慣れたので、今度は対同僚に関するところに焦点が変わってきたというところ。

この職場における日本人労働力の割合は、欠けてしまうと回らなくなるほど大きいが、賃金なしの労働を好んでできる人を、昔なんかはほぼ無条件で受け入れていたため、コミュニケーションの問題が歴史的に常にある。以前はドイツ語の能力の有無に関係なく、ただ、ここにいる子供たちを援助したいと遥々極東から来た人がいたのだそうだ。だからこそ、ドイツ語の学習歴があることがここで働く条件になった今では、かつて働いてきた日本人たちと比較して、ドイツ語ができる日本人が来るようになったと、ここで長らく働くドイツ人には思われているのだ。

ここからは個人で解決しようと思えばできることかもしれないが、そんなかつての日本人に慣れてしまったせいなのかドイツ人の正規職員は、単純な指示を出すに留めている人がいるように思う。仕事中は基本的に目まぐるしく動いていることが多いので、何かについて少し話をするような時間も特にないが、あるとすれば、たばこ休憩。私なんかは少々引くのだが、ここの正規職員のほぼ全員が喫煙者。それに対してここで働く日本人全員は非喫煙者。だから、たばこ休憩の間に取り交わされる情報量が、あながちバカにならないと思ったりする。それらは必ずインターン生に行き渡るべき情報ではないと思うが、そうしてリラックスしている時に取り交わされる細々とした情報を聞けないことは、結局のところコミュニケーション不足に繋がっていると思う。

このところ本当に痛感しているのが、ドイツ語で言うreden: 話し合うということをしていないと言うこと。
それをすることを特に求められてもいなければ、仕事外だとドイツにいるのにわざわざドイツ語を求めに行かないと、その機会はない。2ヶ月半ここに居て、ドイツ語でredenをしていないことから、なんだかうっ血しそうな気分になったりする。これが目下の最たる不満だろう。自分がここで重視しているのは、読むこと、書くことなので、話すことは優先順位の最後だったのだが、これを留めてしまうということは、色んな問題が頭の中だけでうごめいて何の解決も図れないことに気がついた。むしろ、これが解消されれば、大体のことが解決される気さえもする。見えない壁を築かないうちに、手近なところから崩していこうと思うのである。

写真はクリスマスが近づくにつれて、パン屋に出現するWeckmannたち。私の中で通称:おじさん。
週に一度、食糧やケーキなどがキッチンより頂けますが、たくさん居たので色々遊びました。


2010年12月4日土曜日

ふと、ここで我に返ろう

(こんな書き出し方もしたくないが)、こちらに来て早2ヶ月。
1ヶ月目、ようやくまた来ることが出来たドイツに少なからずとも喜び、
平和村やPraktikum: インターン自体にもまだ期待を抱いていた。
そしてパリに行き、何かに目が覚める。
2ヶ月目、仕事には慣れてきたものの、毎日同じタイムスケジュールで繰り返される子供の世話というものは、
パターン化してしまうものだと気づき、今後を危ぶむ。

だけれども、そんなこと、分かりきったことだったのだ。
平和村がきっかけで、「ドイツ」という国を選んだけども、決してここで働こうと思ったわけではなかった。
だけれども、そんな平和村という活動が成り立つことはすごいと思うし、
愚直な私はなんだかんだここに来てしまったわけだ。
大学卒業後のすべての行動を、会社を辞めてこちらに来ることに仕向けて来たけど、見切りを付けるのも早かった私は、
支出を押さえて生活のできる平和村のPraktikumを選ぶことになったのだ。
今、私に必要なことは、部屋に籠ってドイツ語の文字に浸かることで、それに適していると踏んで、ここに来たのだ。
初めて平和村を訪れた3年前、「無理かも」とたじろいだ程、恐ろしく自分が好む生活と遮断を余儀なくされる生活が、
ここでは出来るのだ。

だけれどどうだろうか。
どうも本調子ではない体調を理由に、仕事の疲れを理由に、なんだかんだ宜しくない。
人に指摘をされるまで、そんな認識はなかったけれど、外国にて非母国語の社会に属し、かつ子供を操ると言うことは、
すごくストレスのかかることらしい。
月400時間ほど働いたこともあった私からすれば、月の休みは少ないけれど、毎日ほぼきっちり8時間の就業で仕事が終えられ、むしろ自分が望んで来ている国にいるのだから、ストレスなんて減るものだと思っていた。
確かに国はそうだけど、全く好んだ生活が出来る場所ではない。

私を取り巻く環境を居住空間から見ていこうと思う。
2人部屋に同じくPraktikumをしている日本人♀と、この部屋のある宿舎の同じフロアに、同様の日本人10名とグルジア人1名、ウガンダ人1名と共同生活。宿舎と同じ敷地内にある、約200名の子供を収容可能な施設が私の職場。
子供は男の子、女の子、小さな子供の3つの部門に分けられ、私が担当している小さな子供は約30名。
彼らは1歳から4、5歳でアンゴラ、アフガニスタンなどの中東の戦争や紛争地域から来ている。この子供たちを3、4名の従業員が早番、遅番と交代で世話をする(深夜帯は業者、もしくはZivi:良心的兵役拒否者に委託)。
ドイツの団体なのだから、もちろん仕事上の使用言語はドイツ語なのだけど、会話が全く問題がないわけではないが、基本的には毎日似たり寄ったりの指示を正規職員から受ける。子供とも滞在が長い子供ほど、ドイツ語で問題なく意思疎通ができるが、最近は11月初めにアンゴラから来た子供ばかり担当していたので、彼らのポルトガル語ばかり聞いていた。
仕事外は宿舎がほぼ日本人なので日本語。と、言うように自分の動きようにも寄るが、基本的にドイツ語のコミュニケーションの向上を期待できるような環境ではない。

そしてオーバーハウゼンという街。
この人口20万人規模の中位中心都市は、かつてのルール工業地帯の中心都市のひとつだった。
だけれどその時代は私たちが生まれることには衰退し、今ではその工場跡地に巨大ショッピングレジャー施設が建っている。それに伴い、この労働者の企業都市にも一応あった旧市街地は復活不可能な打撃を受け、他のドイツの魅力的な都市に見られる旧市街地からすれば、あまりに悲しいことになっている。
オーバーハウゼンはその昔に3つの街が合併してできた街で、平和村が位置しているのは南北に広がる街の北部である。
ちょうどその北部の中心部の辺りでドイツでも主要なアウトバーンが交差し、南へぶったぎっているため、ものすごく、
アウトバーンやその軌道を利用する車が身近である。
公共交通手段と言えば専らバスで、平和村( Friedensdorf) というバス停からは1時間に2本、1路線のバスしか出ていない。
これを利用し、5駅先の小さな中心地で接続のあまり良くない乗り換えをしないと、乗車から40分後に中央駅へ着くことはできない。
路面電車も1路線のみあり、隣街(と言っても大きくはない)まで行くことができる。初めて試しに乗ってみた時、あまりに不愉快な乗客に対する騒音に、路面電車の利用率を下げるために運行しているのかと思ったほど、路面電車のイメージを覆す衝撃を受けた。
これらの街としての要素は全くもって私が望んでいるものではなく、むしろその相反である。

だから机に向かえるはずなのだ。

状況としてはかなり自分を追いつめているので、要は後は自分次第なのだ。

ようやく平和村について、自分の置かれている状況について少し書けたけど、
今まで書きたい欲求が特に起こらなかったのは、口頭で事を共有できたからだろう。
会社時代、私は常にアウェーだったけど、ここはどちらかと言えばホームなのだ。
皆それぞれ目的はあると思うけど、ほとんどのここにいる日本人は高校、または大学かワーホリなどで1、2年はドイツにいたことのある人なのだ。遠いか近いかで言うと、確実に近く、理解のできる範疇の同僚なのだ。
口頭で発散できることは多いが、だからこそ容易に流されてしまう。
それが紛れもなく注意すべきポイント。

いかに自分をほどよくコントロールできるか。
まさしく、それが今の自分から脱却するための鍵である。