2011年10月25日火曜日

平和村Praktikum回想記① うさぎによく会った



ふと思い返せば、やっぱりPraktikum中、私はよくうさぎに会った。
どういうことかと言うと、本物の野生のうさぎも見たけれど、それ以上にうさぎネタが多く舞い込んで来たのだ。

最初のうさぎは、「ミナ ペルホネン」長江青の日記経由で知った、北海道の写真家の人と一緒に住んでいた"ウーロン"の話。この"ウーロン"といううさぎは、New York Timesに載ったこともある有名なうさぎで、何故に掲載されたかというと、頭の上に何かを乗せてキープする頭芸ができたから。そしてこの写真家の方、中学生以来うさぎを飼い続けているといううさぎエキスパート。
私にすっと入ってきたのは、この方が言った「犬や猫とは違う、うさぎを飼うときの距離感が自分には合っている」という趣旨の文。これにものすごく確信を持って大共感した私。犬や猫は好きだけど、そこまでお近づきになれない感があったためか、犬猫という二択から逃れることができたからか、ベルリンで泊めてもらったお家にうさぎが2羽いたからか、本当にしっくりきた。ここからやたら、うさぎうさぎと言う日々が続く。

そして12月、予定から2ヶ月遅れて友達が会いに来てくれた。ミラクルに偶然なことに、彼女も私と同じ時期から、別の理由でうさぎ熱が高まっていた。だから「うさぎの歌」を作った。私作詞、彼女作曲。最高に楽しかったな。

翌月、母から封筒が届く。「ドイツは自己主張をしなければいけないと思うけど、たまにはうさぎの様に大きな聞き耳を持って、頑張ってね」と。うさぎの和小物付き。それを証明書にくくった。職務中はいつも首から下げ、それはちょうど子供たちの視界に入りやすい位置に来るので、やたら触られ、結局最終的に相当汚れが付き、糸がちぎれてしまい処分をした。ある子は、うさぎの盛り上がる顔面の中に、「ヨーグルトが入っている」と見ただけで言っていた。白い綿だろうから、あながち間違っていないだろうけど。

そしてこの本、"Weißt du eigentlich, wie lieb ich dich hab?: 知ってる?ぼくがどれだけ君のことを好きか"(勝手に訳)。
ちょうど1ヶ月前、日本に帰る3日前、私はドレスデンに入院している、とても好きな子供のお見舞いに行った。14時に病院に着き、帰る20時までべったり一緒にいた。歯磨きをし、パジャマに着替え、日課のアニメを見終わり、ベットに転がりながら彼は、「この本読んで」とおもむろにこの小さな本を私に差し出した。登場するのは小さなうさぎと大きなうさぎ。彼らがお互いにお互いをどれだけ好きか、どれだけ大きなもの、長いもの、遠いものに例えて言い表せるかで表現し合うのだ。
例えば、小さいうさぎが、「ぼくは君のことを、あの地平線の彼方に見える木くらいまで、好きだよ」と言えば、大きいうさぎは、「ぼくは君のことを、あの雲の上に見える月くらいまで、好きだよ」といった具合に。これを彼に読んでいるときの、心の温まりっぷりといえば、もう。今、これをまた読んであげたくて仕方がない。
※ちなみに上記は実際の本の内容ではなく、こういう感じと説明したいだけなのであしからず。

今後もうさぎネタが増えていくか、乞うご期待。


2011年10月21日金曜日

東京、墓参り



先週の金曜日から4泊5日、東京、墓参りの旅。
小さい頃から訪れている親戚宅には、去年亡くなってしまった伯父さんが欠けていると、どうしても思ってしまう。
2月にパリで会った以来の伯母さんには、両親が帰った日曜以降も、ほんとによくしてもらった。それは居心地のいい旅館のよう。

土曜日墓に参ると、何やらうちの墓辺りに見た顔が。偶然別の親戚も墓を訪れていたのだ。若夫婦は現在福岡在住で、私たちも京都から来ているし、30分ずれると会えていなかったかもしれないので、これはおじいちゃんが合わせてくれたのだと、皆で感心する。岡本太郎の墓の様子を見に行きたくなるが、そんなミーハーなことをする時間はなく。
この日の晩は、私は予定を入れてしまっていたので外出したが、うちの弟やはとこ夫婦×2も集い、そんな楽しい宴を私はまたもや逃してしまった。次回は意地でも気をつけ、参加しなければいけない。

吉祥寺、六本木でお茶、自由が丘でお好み焼き、新宿でお茶、新大久保で韓国料理、八王子でお茶、銀座で台湾料理と、毎回多くても2人ずつ会い、初めて2人でゆっくりしゃべる人、5年振りに会う人など、たくさん再会ができた。皆さまどうもありがとう。美味しかった。ご馳走さまでした。7組9名と会っても、かぶらない場所と料理。やはり都会は多様だ。六本木と自由が丘メンバとお店は定番になりつつあると思い、八王子の期待度ゼロからの、あのJR八王子と京王の間の意外なカフェ空間は一番のいい衝撃だった。そして福島の話を聞けてよかった。

親戚宅で頂いた和菓子、石山寺 月あかり は、とっても綺麗で持ちやすく、食感がよく、気に入ってしまった。
帰りの新幹線に乗る前、以前していたようにリゾットを食べ、フィナンシェとコーヒーを買い、ホームに向かった。
ただしコーヒーは、缶のもので。



2011年10月19日水曜日

京都、私の散歩道



今日は、10月下旬ということを考えれば怖いけど、気持ちのいい晴天だった。
しらさぎさんも石のうえ。
出町柳から河原町今出川の歯医者へ行く。


歯医者でダメージを受けた後は河原町をそのまま南下、府立医大の工事が終わり、
きれいになったなーと思いつつも、"ホテルオークラ"の文字に疑問が浮かぶ。
両側に見慣れたお店があることを確認しつつ、荒神橋の上に"大"の字を見て、元バイト先のパン屋さんに入る。
混む時は一瞬にしていっぱいになる店内、変わらないお店と皆さまの顔は会ったけど、幼稚園の年中さんになった彼は不在。
また来る約束をして南下。
私の先代の彼のベビーシッターだった友達がタイに嫁いだ話をしたからか、河原町丸太町"パクチー"に吸い込まれる。
三条にもできたみたいで?一人客も入りやすい賑わう店内。あ、またソロ活動してしまった。


丸太町まで来ると、寺町を南下する。
この道路幅、歩道幅、木の密集度、人のまばらさがとても心地いい。


店のお姉さんも昨日まで東京だった。私が元気で恵比寿に行っていれば、そこでも会ったかもしれない可能性を知る。
二条まで来たら、今度は木屋町を南下。
ホテルフジタが取り壊されたこと、ソニアリキエルがなくなったことが私にとっての大きな景観の変化かも。


定番。


パン屋さんの10周年記念で作られた陶器のお皿をもらいました。
もち麦のラスクは相変わらず美味しいけれど、歯の仮の詰め物が危うかった・・・

2011年10月8日土曜日

アサヒビールが飲めない



この週末は町内会のお祭り。実家はこの町内会に1年前に引っ越してきて、役にも当たり、まともに参加するのは今年が初めて。
引っ越しと言っても、小学校の校区を跨いだだけ、前の家にも徒歩10分ほどで着く近さ。そしてこの新しい20件ほどの住宅街のほとんどの人が、うちと同じように近所から引っ越してきたというベビーブーム世帯。少子化を微塵も感じないまわりご近所です。

前の町内会もかなり大きかったけど、神輿は所有していなかった。今住んでいる町内の方が歴史は長く、住民層(思想)も異なり、なんだか活気がすごい。うちの父はフランクフルト(ソーセージ)担当で、朝から意気込んでいたけど、私もふらっと夕方立ち寄ったら、焼く羽目になってしまった。比較しちゃいけないけど、サイズや焼く工程、食べるまでが、なんだかしんきくさくてみみっちいなと思いながらも、わりかし楽しんで焼いてしまった。梅田のクリスマスマーケットで焼くのではなく、売るのはしたけど、まさか自分がこんなもの焼くとは思わず。でも回りのおばちゃんやおじちゃん、皆もちろん初対面だけど、なんだかもう皆板について楽しんでやっているのがよかった。こういうことができる町内会なんてなかなかないでしょう。

父の休憩が終わったので、ようやく交代、喉が乾いたのでビール。200円でビールの当日券を買い、アサヒビールの缶を手に持つ。冷たい、だから持っていたキッチンペーパーを巻いて持った。飲む、でも先日大阪で飲んでグラス3分の2で危機を感じてしまったのも、同じアサヒビールだったから、本当にちびちび飲む。なんだかきつい。だから口と付けた程度にしか飲めず、帰宅。ドイツのビールだとさらっといけてしまうのに。

私が最近危惧しているのは、帰国して一ヶ月後くらいに顔面によからぬものが出てきてしまうこと。
これは前回一年いたドイツから帰ってきたときがそうだった。一番目立つ頬のあたりに、非常に気分を阻害されるものが一斉に出た。私はこれは体内の水がちょうど一ヶ月くらいかかって、入れ替わるためだと勝手に結論づけているけど、どちらの水が悪いとかそういうのではないと思うし、仕方がないのかもしれないが、あれがまた来るかと思えば、水道が出元の水分を飲むことに消極的になってしまう。きれいに引いてくれればいいのだが。

明日は神輿が出るらしい。だから今日の祭は前夜祭のようなもの。それもちら見して来ようと思います。



2011年10月7日金曜日

みずがめ座の香り


かれこれ5年前、Freiburgにいたあたりから、仲良くなる人とは誕生日が近いことが非常に多い。
特にみずがめ座ゾーン。我が家も父を除き(と言っても早生まれなので近い)、皆みずがめ座のため、心得ているというか、なんだか安心するのだろうか。ふーんと私的に好感触を感知する人は、だいたいそうだったりするので、またしてもそれを痛感する今日この頃。

今日はずっと使っていない銀行口座を解約しに行った。
最初に待ち番号を引き、それが私の用件を扱う方ではなかったので、正しい方で再度引き、ローカウンターに入った後、手続き待ちの間、また番号札を渡される。お辞儀時に、ボブの髪の毛もひゅんと一緒に元気よく風を切る感じのいいお姉さんが担当してくれたが、「番号札○番でお待ちの、△△様〜」と呼ばれた。番号札って名前の代わりに渡されるものではなかったかしら?違ったかな?番号の意味がないではないかと思ってしまった。同じ名字の人がかぶる場合のためだっただろうか。
ドイツの場合、個人のプライバシーを保護するために、番号化されたりするので、そう思ってしまった。銀行はこの一年は口座を持っていなかったのでわからないが、全然違う例をあげると、病院の病室。日本みたいに○○様とか、病室前に書いていない。部屋番号で誰がどこの部屋にいるのか、外部者は特定する。でも病室内は日本みたくカーテンや仕切りがないので、複数名の部屋だと情報筒抜けじゃないかという疑惑。そこはまた事情が違うのでしょうな。今度聞いてみよう。

錦を通ったら、かりかりじゃないのにカリカリ博士という店名のたこ焼き屋さんで、6コ180円のたこ焼きを買ってしまった。以前食べたことがあったので、知ってはいましたが。
お店はお姉さん一人で回されていて、横にある券売機で予め券を買わなければならない。お客さんが重なることはあるだろうけど、長椅子を2脚置くスペースしかなく、人の流れる錦で、私が観察した限りでは、券売機のある理由がわからなかった。たこ焼きを焼くのに手はかかるだろうけど、お金を受け取る入れ物もあるし、そのための余裕も問題なくありそうだった。たこ焼きを焼くのに集中して、計算を間違うなんてことを未然に防ぐためなのか、なんなのか。あの紙と電気と機械はいらない気がしてしまった。そういやドイツで食券を売る券売機って見たことがないかも。

そんな疑問を感じた日でした。



2011年10月6日木曜日

大阪、天満


本日はちょっと大阪へ。
最初に梅田界隈。ちょっと立ち寄った昼休みで賑わうレストラン街が冷房で寒かった。これは節電云々というより以前、根本的にどうにかならないかな。日本、香港、ドバイと平均気温が高くなるにつれ、冷房の設定温度が低くなる。中に入って外で蓄えた熱を冷やしたい心理はわかるけど、外で余計に熱を蓄える格好をしているのは日本だと思う。

天満で1ヶ月先に平和村から帰った友人と再会する。
大勢の人混みのなか、彼女を見つけることや、あの人混みの中に2人で埋もれて行く感覚は、香港で友人にあった時の様。人混みや都会という環境に慣れない。

JR天満駅界隈は初めて。いつか花見の際、裏からみた関テレの正面を見ながらお茶。
そして楽しみにしていた彼女の元バイト先のマッサージ屋さんへ。
タイムサービスのため、1時間2500円という破格の安さと質。自覚症状のある首肩腰の疲れプラス、上腕が疲れていたことを知る。やはり子供の上げ下ろし、持ち運びは上腕を使います。
その後、ティータイムを楽しみつつ、写真動画鑑賞。子供のそれはいつ見ても和むけど、帰ってきた今思うのは、ちょっとそこから離れたいと思う、やり切った感。でもそう思えるほどやれてよかった。イベントの多かった9月の報告を色々し、ちょっと落ち着く。やーほんとこのタイミングで会えてよかった。
そして知り合いが開店したというお店で晩ご飯。帰国後初めてのおビールが、ちょっときつかったのか、グラス3分の1で真っ赤になってしまった。疲れからか、マッサージ後の血行良好時だったからか、3分の2飲んだ時点で、水を欲す程の危機を感じてしまった。帰る前、ビール、テキーラなど普通に飲んでいたので、これは日本のビールのせいかもしれない。以前も同じようなことがあった。今日は次飲むのにちょっと躊躇してしまうような感じだった。ビールはドイツが旨い。

非常に名残惜しくも解散。同じ宿舎に半年住んでいたので、なんだか時間的制約に縛られるのが不思議でした。
今度は是非京都、宇治で。


2011年10月4日火曜日

離職証明が見つからない


それを探すためだけに、起きているわけじゃないです。
今日はやることがあるだけ。今日はきっと寝られたはずだと思う、午前3時半。
明日は、あ、今日は母と予定があるけど、あと1時間半ほどは起きていたい。帰国して思った感覚がまだフレッシュなうちに、忘れないように、忘れてもいいことだけど、ちょっとぼやっと書いておこうかと。

女の人が細い。なんか病的に見える。無理して痩せているように見えてしまうけど、単純に細くありたい願望とその細さの合格基準が違うのだろう。道を歩いていて見る人、テレビで見る人、手とかアゴのラインとか、思わず、気持ちわるって言ってしまう細さです。

テレビで見た中国の映像が、日本と変わらないと感じた。それは上海かどこかの都市だったと思うけど、これまでだと識別できる何かがあったはずだったけど、普通に日本かと思った。単純に、黒い頭を一挙に見るのがひさしぶりなだけか、中国の生活が日本と似てきたのか。

お金ががんがん出て行く。別にまだ家族以外の誰とも、ご飯に行ったりしていないけど、単純に家の近辺で、用事をしているだけで、やたらと支出させられる。今の超円高も相まって、物価が高いなということ、お金を使う機会が多いなということ、さらにお金を入れようと思えば、きっと入ってくること。相当お金を使わない生活をしていたためか、余計にそう感じる。お金ががんがん回っていると。

また最初の話に戻るけど、スカートをはいている人が多いとか、(合っていない靴を履いているせいで)姿勢がよくない人が多いとか、そんな視界に入ってくることを思う。また人と人との空気のような接し方。人認識せず、何事も過ぎて行くような気がする。特にあんな毎日がんがん叫ぶような所から来たら、余計にそう思うのかもしれない。

ドイツもそろそろぐっと冷えてくるようだけど、その前の暖かい気持ちのいいお天気の時に帰ってきてしまった私は、こっちが既に涼しかったから、非常にそれが恋しかった。もう今は寒いのだろうけど。こちらの方が、断然暑いだろうと踏んでいたからか、実際私が帰ってくる1週間前とは比べて、かなり秋らしくなったとかで、最初は垂れていた鼻ももう止まった。このひんやりとした感は気持ちがいいけど、私が嗅ぎたいのは芝生の匂い。

昨日テレビを見ていて、午後7時半前、四国徳島で震度3があったかと思えば、4、5分後に、福島浜通りでまた震度3。もう恐すぎる。一緒の飛行機で来たドイツ人の学生なんて、ほんとよく来たなと思う。




2011年10月3日月曜日

キンモクセイの香る初秋


帰国5日目。早朝、眠れない。1時半には寝る体制に入ったのに駄目。
週末はさておき、月曜日というまた1週間が始まるサイクルに入ったのに、いまだに安定した睡眠の仕方ができない。

帰国5日目。そろそろいい加減に頭を冷やしたいと思う。
私が眠れない原因は主に2つ。ビザと単に後は女々しい理由。でも私にとってはかなりやっかい。この2つの大問題には帰国前最後の週末から頭の大部分を超過して占められ、言い訳をするとそのためにかなり荷造り&出発はバタバタだった。

果たしてどうしたものか。ビザはもうやるしかないとして、あとを占める頭のぐちゃぐちゃを収めてくれるのは、やはり友達と会って話すとかして、第3者的意見が介入されれば、何か自分も冷静になれる気が。一人で悶々としていると、後々きっと馬鹿らしくなるのだろう。

帰国3日目にして、完全にドイツホームシック。もう完全に日本から心が離れてしまったように思い、早く帰りたくてたまらない。
例えば昨日嫌だなと思ったのは、帰ってきて初めてスタバに行ってみて、単純にドリンクと大きさを言って注文したら、使い捨て紙コップで出てくるところ。そして思い出した。ここではマグで店内で飲みたいことを、紙コップにコーヒーが注がれてしまう前に、自己申告しなければならないことを。げんなり。なんでテイクアウトじゃないのに、紙コップなんかで飲まなければいけないのだろう。美味しくないじゃない。紙コップなんて、どうしてもカフェインが欲しいとき、自販機で注文するとき以外は、登場の機会が全くなくていいはずだと思うのが私です。
食洗器の使用、設置条件が土壌と合わないためなのか、なんなのか、和食器じゃないんだから、物的には全然食洗器に入れちゃって問題ないでしょう。こんな私は結局、お客様センター行きなのだ。
こんな風に憤るネタがどんどん増えて行くでしょう。

話は変わって、食べ物。
帰ってきて何が食べたいかと聞かれると、頭に浮かぶのはがんもや湯葉ひろうすなど、おばんざい。
ほんと家で食べられるやさしい味のお汁で十分なのです。が、いざ冷蔵庫と対峙すると、自分が何かを探していることに気付く。それは冷凍ビビンパ。私が唯一、肉入りの食べ物で進んで食してしまう食べ物。またこれは冷蔵庫じゃないけど、辛ラーメン。こちらはデュッセルドルフなどの日本食料品店で、私が唯一自分のために買ってしまうもの。地産地消をしたいので、そんな遠くから負荷をかけて飛んでくるようなものを食べたくはないのですが、これだけは買ってしまう。決して辛党ではなく、韓国料理全般大好きな人ではないのですが、どうも欲してしまうのが、これら韓国の食べ物。一昨日昨日でこの両方にあり着き、ひとまず満たされました。

また、不思議と恋しくなってしまうのが、あんなに嫌だった出張生活中のコンビニ食。種類は限られるけどカップ麺など。
嫌とは言えない勤め人が自分が好きな物を選ぶことができるのは、むしろそこだけだったからかもしれない。昨日月曜日は私のホテル生活を助けてくれた、しゃべくり007の2時間放送があった。ほんと、ずーんとしてしまう週の初めを、どこかの東横インでひとりでずーんとなってしまう私を救ってくれたのは、あの掛け合いです。

そんなことを書いていると、既に外はゆっくり明るくなってきている。
どうか、また愚痴をこぼすことがあると思うけど、有意義な滞在となりますように。