2011年12月26日月曜日

Mein lieber R


ドレスデン大学病院
ちょうど3ヶ月ぶりに、私の一番小さな友達、愛しきRに会いに行く。

午後1時、やはりお昼寝中だったけど、看護師さんに部屋に入っていいよと言われ、入ってみる。目が開いている。誰かわかる?と訊くと、わからないとの回答。でも私の名前を言うと、思い出してくれたようだった。
2時半まではベッドから出てはいけないので、彼はそこで普段していることを色々見せてくれ、ぺらぺらと話しだした。元々ぺらぺらだけど、さらに磨きがかかっているのが、切ない。

今ドイツにいる平和村の子供の中で、おそらく一番長いであろうRが来たのは約4年前。1歳くらいでドイツに来たので、もうドイツの子供。母国語はしゃべれない。今日の午後にサンタが来ると、首をながーくして待ちわびて、用意してもらったシャツとサンタの柄付きネクタイに着替える。顔を腕はむちっとしているけど、元々身体と脚は細い。脚が特に細くなっていた。痩せたね、と言うと、あんまり食欲がわかないからあまり食べれないと言った。

私はその前日の晩寝ずに支度をして、早朝からの移動中少し寝たけど、確実に寝不足。Rは私に、私が自分に対して不安があるのかと訊いてきた。最初なんでそんな問いが出るのかわからなくて、そんな目で見ていたのかと動揺したけど、おそらく寝不足のせいだよと言った。でも治療中とはいえ、痩せてしまったことで表情も変わり、ドイツの子以上に上手く、もみの木の歌を歌えるのを見るのは複雑。

私はもともとどんなに痛々しい身体をしている子供でも、それが子供に伝わるような目は絶対にしてこなかった。誰だってそんな哀れんだ目で自分を見られたくないし、あくまで普通の態度を取ってきた。でもさすがのR、自分は普通にしていたつもりでも、寝不足のせいか、ほんとうに目にでたのかわからないけど、やられました。

雪が降り出したことを喜び、窓に張り付いて、あのヘリコプター降り場に、サンタはそりに乗ってトナカイと一緒にやってくるんだよ!と期待高らかに待ちわびる。そちらに興味を惹き付けていると、看護師さんが扮したサンタ登場。まずは別の病室にいる子供に、その子供の家族から託されたプレゼントがサンタによって配られる。何箱も、渡されて行くのをRは見る。歌を歌ってとRに言われたわけじゃないのに、先陣を切って歌う。そうしてようやく自分の番、ひとつ、ふたつと箱をもらい、真剣な顔で喜び、包みをほどく。playmobilの救急車が本当にお気に入りだと、満足そうに言った。

前に来たときは夏のように天気もよくて、外で遊んだり、べったりして楽しんだため、気が付いたら看護師さんと特に治療の話もせず帰った。ひとりドイツの長いRの取り巻く環境を含めて特に心配をしているような、看護師さんと話をした。私はどうにか今度の2月の援助飛行で帰れるのではと、思っていたけど、いい返事ではなかった。治療がうまく進んでいないわけではないけど、まだまだ帰すには危険なのだ。

一体彼はどうなるのだろう。平和村に来る子供は基本的に皆ただ事ではないけど、Rの場合、その域を越え過ぎている。彼を知る、彼と関わりのある人皆が、その人の立場で彼を本当に心配して、彼にとっての最善のことを考える。彼が再び家族と会える日は来るのか。想像を絶するような気持ちで帰りを待っているだろう。何より完全にドイツ人化してしまったRが母国に溶け込むには、どれくらいの歳月がいるのだろう。その間、彼はどんな想いで日々を過ごすのだろう。考えだしたら全てが悩ましすぎる。

でもとにかく、今は治療が上手く進んで行くことを願う。
単純に、メリークリスマスと言えないクリスマスが、ドイツにもたくさんある。


2011年12月23日金曜日

私の10年




私の10年

私が、私はドイツにしようと決めてからの10年
決して安泰なわけではないが、ようやく続けられることを始めることができた。

私が、私の家族の仏独日ネットワーク構想を得てからの10年
一応達成はしたけれど、その時私の仏に対する想いはネガティブに。
10年前、伯母の領域を侵害したくない気持ちもあったけれど、"なんか違う"と思ったのは正しかった。

私が、"環境問題"と接するようになってからの10年
私が一番重きを置く、一般市民的な感覚において、日本は果たして何か進歩しただろうか。
してなくはないだろうが、その変化がそこに置いて見えない。
"包む"ことが大好きで、"相手を思いやる"ことに長けた日本人が、それが招くリスクを念頭に置けない限り、
東アジア的な性を含めてしょうがないと、諦める方向に私はある。
耐えることのプロになってしまった日本人を形成した気候は、極めて正直である。


私が本当に行きたいところに行けるには、あとどれくらいかかるだろうか。
現実的に、大学の時に真面目に勉強していないと、それが遠のくことを痛感する。


2011年12月3日土曜日

続報



金曜日、疲れて帰宅し郵便受けを開いてみると、封筒が1通。
見た目からぱっとわかりませんが、カードらしきものが入っている感触を得たので、これはGLS Bankからのものだと断定。
無事に銀行カードが届きました。

それにしてもこの封筒、市販で売っているものと何ら変わりのない窓付き封筒。企業だからといって社名を印刷するのではなく、そこも不必要と判断してでのことでしょうか。
どちらにせよ、この潔さ、私は大好きです。こうした包装等に感動するのは、Apple製品以来。ちょうど会社に、カラー印刷で社名や情報の入った封筒が届き、私が入社して以来、毎度封筒に押していた社名のスタンプは仮だったとわかりました。
どういう会社かにもよるし、窓からどれだけの情報が見えるかにもよりますが、私はこの簡素で無駄のない感じにぐっときます。中身も然り、一枚の紙にカードがくっついているのみ。ごちゃごちゃしたもの一切なし!

さて、さっそく家賃を振り込もうかと。