2012年8月7日火曜日

平和村について今思うこと



Praktikumを終えて1年近く経つ。
働ける期間が最長1年なので、一緒に働いたメンバーはほぼ皆いなくなった。
村を出てからも、なんだかんだ月に1回以上は足を踏み入れ、その動向を聞いたり、見たりしているけれど・・・

仕方がないと思うけれど、未だに日本からボランティアをしに来る人が多い。
これに甘んじ、ドイツからのボランティアを積極的に入れようとしない村、そして正義が如く、無償での労働をしに日本から来る人、それが肯定される環境に対し、疑問を感じどうも批判的になってしまう。

そう思う最たる所以は、人間<気候の比重で物事を重要視する気運に私があるからだ。
人間が重要でないと思うわけではもちろんなく、極力、気候に影響を与えない範囲で人間は生息活動をすべきだと思うからだ。だから人の命を救うことを使命として活動する団体が、それを全うな理由として、気候保全に向けられる関心が低いことに危機感を覚える。特にそれが慈善事業である故に、気候保全が二の次に考えられるべき問題であると肯定されることに異を唱えたい。

この観点からすると、Praktikumに従事する利点は、日本とは異なるドイツの環境負荷の低い生活と社会に触れることができることであろう。しかし、Praktikumの長くて1年の期間を経て、帰国後の生活が出国前と比較して、環境負荷の少ない暮らしにシフトできなければ、単に見聞を広げ、かつ日本-ドイツ間のフライトで環境負荷を掛けただけで、すべての人間が取り組むべきこの領域には貢献できない。

何を差し置いても感心できないことは、村が目先の一時的な安価な労働力だけを求めていることだ。上記に記した問題点に着眼していれば、もっと積極的にドイツ人やもっと近場の労働力を集めることに重点を置いているであろう。また、日本人やドイツ人とは異なった条件、状況からボランティアに来る、言わばマイノリティーである存在に対して、もっと受け入れ条件を満たすこと、Praktikumの後の将来のことを、平和村に来る子供たちに思うように考えるべきだ。少なくともマジョリティーに対してと同様に捉えていては、ギブ&テイクのテイクの部分に対する努力が少なすぎる。

一度、自らが置かれている環境を見直してほしい。
無償で1年働いた人間の言う言葉を、単に蚊屋の外の人間の言葉としてではなく、重く受け止めてほしい。
村の体制に批判的な人間を排除することは、寄付で運営している組織がすべきことではない。

以上、Praktikum Berichtとして提出しようかなと思います。
とりあえず、第一稿として。