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2011年10月21日金曜日

東京、墓参り



先週の金曜日から4泊5日、東京、墓参りの旅。
小さい頃から訪れている親戚宅には、去年亡くなってしまった伯父さんが欠けていると、どうしても思ってしまう。
2月にパリで会った以来の伯母さんには、両親が帰った日曜以降も、ほんとによくしてもらった。それは居心地のいい旅館のよう。

土曜日墓に参ると、何やらうちの墓辺りに見た顔が。偶然別の親戚も墓を訪れていたのだ。若夫婦は現在福岡在住で、私たちも京都から来ているし、30分ずれると会えていなかったかもしれないので、これはおじいちゃんが合わせてくれたのだと、皆で感心する。岡本太郎の墓の様子を見に行きたくなるが、そんなミーハーなことをする時間はなく。
この日の晩は、私は予定を入れてしまっていたので外出したが、うちの弟やはとこ夫婦×2も集い、そんな楽しい宴を私はまたもや逃してしまった。次回は意地でも気をつけ、参加しなければいけない。

吉祥寺、六本木でお茶、自由が丘でお好み焼き、新宿でお茶、新大久保で韓国料理、八王子でお茶、銀座で台湾料理と、毎回多くても2人ずつ会い、初めて2人でゆっくりしゃべる人、5年振りに会う人など、たくさん再会ができた。皆さまどうもありがとう。美味しかった。ご馳走さまでした。7組9名と会っても、かぶらない場所と料理。やはり都会は多様だ。六本木と自由が丘メンバとお店は定番になりつつあると思い、八王子の期待度ゼロからの、あのJR八王子と京王の間の意外なカフェ空間は一番のいい衝撃だった。そして福島の話を聞けてよかった。

親戚宅で頂いた和菓子、石山寺 月あかり は、とっても綺麗で持ちやすく、食感がよく、気に入ってしまった。
帰りの新幹線に乗る前、以前していたようにリゾットを食べ、フィナンシェとコーヒーを買い、ホームに向かった。
ただしコーヒーは、缶のもので。



2010年7月4日日曜日

Tokyo: 原美術館


本当は7月以降は社内(新大阪)勤務になるはずが、引き続き残留することに。
基本的に遠くに行きたい(大阪に行きたくない)と思っているので、私としてはよかった。ただJR東海(新幹線)と冷房の温度をめぐる寒い戦いを強いられるのが辛い。前に聞いて判明したけど、26.5℃でエコ出張なんておかしいでしょう。せめて28℃くらいにしてもらわないと、毎週乗る者としては恐怖でしかない。

そんな風に毒づきながらも、品川で下車。
何かで「ウィリアム エグルストン:パリ−京都」という個展が原美術館で開催されていることを知り、気になったので行くことにした。この写真家の人も初めて知ったのだけど、テーマにまず食いつき、説明に「カラー写真を芸術的表現の域にまで高めた先駆者」とあったので、カメラ購入検討中な私は見ておこうと思ったのです。
京急で北品川に移動し、歩いて原美術館を目指すも回りに気を取られていたせいか、外枠を一周してしまっていた。この辺り、御殿山は緑が多くセコムの入った家の多い住宅街なのですね。それにミャンマー、モーリタニア、セルビアモンテネグロ大使館なんて文字が表示されるものだから、興味がうずくのです。代官山の大使館勢もいいですが、何かぐっと来るものがあります。結局ミャンマー大使館だけ遭遇でき、原美術館に到着。
ちょうど同じ頃、シャトルバスも到着し、品川から無料走行が行われていることを初めて知る。入館しチケットを買うと、まもなくミュージアムガイドが始まるとのこと。ちょっとの彷徨いがもたらす絶妙なタイミング。美術館において、学芸員の方の解説を聞きながら回れるなんて嬉しい。この建物自体についてと、この個展についてのお話を聞くことができた。

それによれば、もともと私邸として作られたこの建物は、大使館や米軍将校のゲストハウスとして使われるという歴史を経て来たらしい。色んな用途に対応し人が踏み入れて来たわけだが、現在の美術館としてもアーティストにとても好かれているようで、人気の通った味のある空間だった。私は通過点として一度軍用になれる建物が好きなんだなと、うすうす気付いていた嗜好を確信することができた。
個展はというと、この人はその街の象徴的なものは撮らず、色彩的に感性にひっかかった被写体を撮っているようだった。なので、実際それが汚かったとしても関係なし。そんなに汚い物を捉えた写真が多かったわけではなく、自信のドローイングと合わせた展示も色彩的に楽しめたが、私は現実的なのです。きれいなものだけ、きれいだと思ったものだけ見せるのは、日頃目を向けない物を見るきっかけにはなると思うが、別にそれを訴えているわけではないので、私としてはそこまでです。と、現在の感覚からするとそう思ってしまうけど、この人以前はあまりこうした写真がなかったのだとすれば、「芸術的表現」と言われる通りなのでしょう。

久しぶりに美術館という場所に来れて、写真を楽しみ感性を働かせてよかったけど、やはり建物が好みだったことが一番の収穫でした。

2010年6月7日月曜日

岡本太郎の墓の衝撃


3月に家族で墓参りへ行ったとき、私だけ親戚の家に泊まらず一人行動をしてしまったので、墓前で集合ということになった。何度か行ったことはあるけど、いつも家族親戚に連れられていたので地図を渡された。
とても広い敷地なので、我が家なりの行き方が書かれていたが、実は著名人のお墓も結構あるらしい。
前日友人宅で予習も兼ねてお墓のHPを見てみると、いるわいるわ詩人・文豪・芸能・軍人などなど、昭和に活躍した日本人のオンパレードみたいだった。ふと岡本太郎の文字が目に入ったので見てみると、見たこともない墓石にびびる。翌日、時間があったら行ってみようと思った。
集合時間ちょうどくらいに着けたけど、思いのほか多く集まった親戚が既に順番に参っている。久しぶりだから話したいこともあるし、参る順番は来るし、浮ついた気持ちのままで墓参り終了。その後昼食でも行くかなと思っていたけど、それも叶わずあっけなく終わってしまった。

墓参りリベンジの機会をうかがうこと数ヶ月、ちょうど祖父の命日の2日後に行くことにした。
この前疎かにしてしまった分、気持ちを落ち着けてしっかりとお参りをした。実は詳しい所在地を覚えてなかったのだが、前回の身につけた感覚を頼りに少し探した結果、発見することができた。素晴らしき方向感覚。これで今後も一人でも間違いなく辿り着ける。

主の目的を達成し、サブ目的である岡本太郎の墓を探す。
都内最大の公園墓地という事実のごとく、静かで大きな緑がたくさんあって気持ちがいい。色んなお墓を鑑賞するのは初めてで、少し不思議な気分にもなるけどいいと思う。
ちょっと行き過ぎたので折り返してそれっぽい所に進んで行くと、発見。ちょうどこちらを見るいい角度でほおづえを付いている。
向かいには母かの子と父一平のお墓もあった。父の墓石のほうがとんでもない。川端康成が、この家族は日本を温かくする、と締めくくる碑もあった。太陽の塔を見たこともない、ファンでもない、ただミーハーな好奇心でついでに来てしまったことに許しを請い、写真を撮らせて頂いた。
もともと墓石としてではなく、「午後の日」という作品であったらしいが、一度見ると脳裏に焼き付いて取れないこの感じ。岡本太郎は墓もすごかった。