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2010年7月30日金曜日

Lund: 最終日


来てしまった最終日。旅の計画中、Jは長く居てくれたら嬉しいと言ってくれ、とても嬉しかったけど、最終日は来るのである。Govinda'sで昼ご飯を食べ、Jは授業へ、SとMと私はLund大学の図書館へ向かった。

私はこの先の移動のチケットを準備したかったので、MのIDを拝借し、無事印刷完了。図書館のcafeでfikaする。大学構内特有の雰囲気が心地よい。少ないけどいくつかある各テーブルにお花が生けてあった。図書館の建物自体も好きだった。大きなレンガ造りにつたが生い茂っている。私はレンガとつたに弱い。

JもMもあと2年は学生。Jはその先環境系のマスターのコースに進むことを考えていたが、それならFeirbugもありじゃないかと薦めてみた。JやS、Mにとても学ぶことを刺激されたけど、もし仮に自分がマスターをやるならば、Lundがいいと思う程、この街が私は好きになった。前回いい思いをしなかったスウェーデンだけど、LundやMalmö、まだちゃんと行ってないけどKopenhagenも、要するにSkåneがとても好きになった。


Jが好きなSabenac(写真上)をSと買って帰って、3人で食べた。一足先にSがドイツに帰る。Jは寮で別れ、私は駅まで見送りに。電車はちょっと遅れていた。Sと一緒にここまで来れて、3人で会えてよかった。今度はSの住むTübingenで集まろうと約束をして、見送った。

駅前のスーパーでお土産と、切手(さすがにデザインがいい)を買い、寮へ戻る。私はMalmöから夜行バスに乗るのでまだ時間がある。晩ごはんにパンと、Jがポップコーンを作ってくれると言うのでキッチンへ。金曜日の夜の寮のキッチンは、フロアの住人が皆でちょっとパーティーみたいにテーブルを囲っていた。懐かしいポップコーンの音の後、ボールにあけて塩をまぶしてソファで食べる。Jはスウェーデンに住みたいなら、スウェーデン人と結婚したらなんて言うけど、その時はじめて私の状況を話した。またひとつ、奥の部分を共有して、そろそろ出発の時間になり部屋へ戻ると、そこには悲劇が。

JのMacBookだけが忽然と部屋から消えていたのだ。私のパスポートにiPhone、金目のものは無事だったが、それだけがなかった。意味がわからない。Jはスウェーデンだから大丈夫と言って、いつも部屋の鍵を掛けず、実質解放状態にしていたのは、やはりまずかったようだ。かなり動揺したJが放つ日本語は、なぜかおもしろかった(ごめん。)が、こんな大事な時に私は行かなければならない。私もJの動揺が伝わってきておかしくなりつつ、本来なら一緒に探したいのに、自分が何もできないことを詫びて出発した。



(27. Feb. 2009)

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2010年7月26日月曜日

Lund: Govinda's


Jのおすすめのご飯やさん"Govinda's"へ行く。
自転車を持ったMと適当なところで落ち合って、街の真ん中ほど近い「ちょっと入った」ところにお店はあった。ばっちりお昼な時間帯だけど、混んでる理由はそれだけでない。お店にいる、キッチンから料理を手に取っている人、席に座って食べている人皆がにこにこして活気があった。日替わりで1メニュー、値段を忘れたけど手頃で嬉しいお値段で、皆が楽しくなる理由が詰まったお店。私たちも早く美味しい料理を食べたくて、なんとか席を確保し、列に並ぶ。

彼らといるのが心地よいのは、食べたいものを共有していることも大きいと思う。Sは少しなら肉を、というスタンスだが、肉食ではない。JとMは肉は食べない。環境保護的な観点なので、動物性のものを食べないわけではない。京都では、私が好きな店=Jが既に行った店だった。彼らが京都に来てから半年後に知り合ったけど、それまでに蓄積された個々の行動から、ぐっと近くなるのは一瞬だった。

料理はボリュームも満点で、とっても美味しかった。日替わりだから、毎日来ようかなんて声も出たほどで。4人が同じように話せる共通言語というのがないので、私が彼らのように全く苦なく英語が使えたらいいのにと悔やむ。JとMはいつでも妖精がさえずりをしているようて可愛かった。


その後、Jは授業に行き、少し離れた町の観光案内所で働いているMが、Lundにある"Alte Schwedische Haus Museum"を案内してくれた。古いスウェーディッシュ様式の住宅や暮らしが再現されていて、当時の人の現在人より小さいサイズ感や、バイキングの存在が感じられておもしろかった。
Mはドイツの大学に満足せずスウェーデンに留学し、そのままこちらで卒業した。Mがスウェーデンが好きなことがよく伝わってくるし、そんなMを私は素敵だなと思う。室内展示も充実してたけど、外も敷地に昔の教会(写真)とかが再現されていて、ひとつひとつ覗いて入った。授業が終わったJも登場して、まちをぷらぷらしながら、JおすすめのcafeへFikaしに行くことに。


"Fika"=cafeでほっこりすること。
昔ながらの建物にスタイリッシュな雰囲気がプラスされて、ひとの温もりのある素敵なcafe。写真をそういえば撮ってなかった。JとMは紅茶。Sと私はカフェ。陳列されていたケーキは、どれもいい具合に美味しかった!くどかったり、甘すぎたりしないかと一通りのことが頭をよぎるけど、華奢なケーキより、やっぱりこういうある程度地に着いた感じが私好み。
外はちょっと時雨れたけど、暖まって出るころには、雨上がりの石畳が照らされて綺麗だった。

(25. Feb. 2009)

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2010年7月12日月曜日

Lund: 寒くない


Jに連れられLundの街を歩く。
ここもFreiburgや他のドイツの街のように自転車が多い。自分が好きな似通った風景にどこか落ち着くものがある。レンガのだいたいの建物の高さが2階か3階建てで、その小ぶり感がまたいいのだ。そして始まるJの案内。いつからそんなガイド口調が上手かったんだと思うほど小のり調子で、市立図書館〜、一番いい本屋〜とそれぞれ地元語も交えて教えてくれる。ルンドのドーム(大聖堂)は、中が白く、装飾の少ない様式だった。ものすごく寒いスウェーデンなのだ、そんなに手の込んだ作業ができるほど温かい時期が少ないからなのかなと思った。

実はMünchenの方が寒かった。Lundはお天気もよく、何より雪が全然降っていない。その2年前の2月末、StockholmからKopenhagenまで旅行するはずだった冬生まれの2人組は、3日目2都市目のGöteborgで高熱に倒れ続行不可となり、ドイツへ自らを強制送還したのだ。その時のトラウマで相当覚悟して構えていた私だったが、この辺り"Skåne(スコーネ)"と呼ばれる地方は丘が多く、雪が降ってもあまり積もらないらしい(北部に比べて)。5週間の弾丸な旅行で風邪を引くわけにもいかない私に思わぬ朗報であった。

ドイツは冬セメスターの試験が終わり休みなのだが、スウェーデンはまた学期の周期が違うようでJは授業がある。Malmö大学でも学生登録をしているらしく、午後からは授業のあるJに付いてMalmöに行くことにした。

(24. Feb. 2009)

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Lund: Hej

Jは街と反対側の学生寮に住んでいた。
駅から線路をまたぐ鉄橋を渡ると、使われていない列車があった。Lundのユースホステルらしい。そのかわいさに、Jの部屋じゃなくてこっちに泊まろうかなんて冗談も言いながら、半年振りの再会を実感する。
彼らと一緒に過ごした京都は、学生として暮らした京都で一番楽しい時だった。
私たちの共通語は当時から日本語で、私がドイツに行った後だからそこ楽しめて、4年で卒業していたら出会えなかった、ほんとに気の合う仲間なのだ。
寮は私の知るドイツの学生寮からすると小振りな3階建てで、その温かみがまさに“北欧”な感じがした。
Jの部屋は割と日本の一人部屋に近いサイズで、いろんなものが散らかっていてかわいかった。荷物をひとまず置き、晩ご飯の食糧を買いに出る。廊下ですれ違うと皆互いに「Hej(ヘェイ)」と挨拶をする。きゅんとくる響きである。

駅前のおそらく割と多くのLund市民の食を担っているだろうスーパーでお買い物。
普通のスーパーだけど、Bioのコーナーや野菜があったり、Jもスウェーデンのビオマークについて教えてくれた。朝ご飯などとりあえず必要かなと思うものをカゴに入れるが、自分でバーコードリーダーを持ち、バーコードを読み取っていくJ。バーコードを読み取った人専用のレジでバーコードリーダーを渡し、カードをかざせば会計は一瞬で済んだ。もちろん従来型のレジの人がバーコードを読み取るレジもあるのだが、システムを用い自分がひと手間かけ、効率化の先にある効果を選ぶJなのだ。
3人でいるのはどこにいるにしても楽しい。寮のキッチンはそのフロアごとの中央に1カ所、15、6人が使う、それに値する収納と広さがあった。冷蔵庫の陣地分けや掃除に関する寮ならではの文化がとても懐かしい。ここでも来る人皆気さくに「Hej」と言ってくれ、それだけでなんだか嬉しくなる。

料理をするのにSと私で試行錯誤していると、後ろから何か声がかかった気がして振り向くと、とてもかわいらしい女の子。話でよく聞いていたJの彼女のMだった。私たちが料理に気を取られていたせいか、Mが気配なく現れたせいか、そこにいた存在にかなり驚いた。彼女がドイツ人だと知っていたが、私はあんなにかわいいドイツ人に初めて出会った。
実はSとJと私のファーストコンタクトの場所にMもいて、その時私が一緒だった韓国人の友達と、Mのかわいさにどこの国の人だろうと想像したものだった。あとからドイツ人と聞いてびっくりしたのだが、もちろんドイツ人がかわいくないわけではなく、Mにドイツ人とは一線を画した雰囲気があるのだ。

ごはんを食べ片付けをし、部屋でまったりしながら明日の予定を話す。私はJの寝袋を借りて皆で転がって寝た。

(23. Feb. 2009)


2010年7月11日日曜日

Heidelberg-Malmö-Lund: 16時間バス+フェリー+鉄道


友達Sはたくさん食糧をバックパックに入れて来ていた。
こちらの夜行バスも日本ととりわけ大きさも変わらず、荷物も多いので落ち着くポジションを何とか確保し、それをちょっともらう。私が好きなKräuterbutter(ハーブやスパイス入りのバター)があり、そういえば好きだったのになぜか忘れていたことに気づいた。パンと相性バツグンである。りんごも食べたらとりあえず寝る。

早朝、バスがまもなく着きそうな段階に差しかかっている頃に目が覚める。
着いたのはHamburg。何か近代的なバスターミナルで、今度はKopenhagen行きのバスが来るのを待つ。ここにヨーロッパ各地からのバスが集い、客は乗り換えを行う。
バスに乗ると、通路挟んで横に中国人の女の子がふたり。パリに留学中で、割と弾丸な北欧旅行を企てているようだった。同じアジアから来ているものとして親近感をおぼえる。前には黒人のおばさんがひとり。ブリュッセル辺りから来たと言っていた。Sは中国語もフランス語も話せるので、その多様さをいつもすばらしく思う。

あまり意識していなかたけど、そういえば海を渡るのである。
かつて「ドイツ 鉄道の旅」という本で、鉄道を丸ごとフェリーに乗せる“渡り鳥のコース”なるルートがあることを知り、いつか乗ってみたいと思っていたのがこれなのだ。Heidelberg-Malmö間でバスのチケットを買うとき、特にそんなことを明記しているわけでもなく、デンマークを通ることさえ忘れていた。


ドイツはPuttgardenでパスコントロールを受け出国、トラムの抜き打ちチケット検査みたいでちょっと緊張した。フェリー内に停まったバスから出て、45分間のフェリーを楽しもうと船内を徘徊する。黒人のおばさんはフランス語のみ会話できるようなので、Sと私も頭にある限りのフランス語を出して楽しくおしゃべりをする。デッキへ出ると、ものすごい強風。立っていることもままならないので、楽しむ間もなく室内へ退散。レストランや免税のお店もあり、皆思い思いの時間を過ごした後、バスへと戻る。

デンマーク、Rødbyで入国のパスコントロール。制服に身を包んだおじさんとおばさんが車内に見回ってくる。だいたいの人がすんなりOKだったが、前の黒人のおばさんがどうやら引っかかっているようだ。中国人の子とSは通訳に名乗り出ようとしたほど、皆で心配したが、結局おばさんは外に連れ出されたまま帰ってこなかった。おばさんの荷物を取りに来た人に聞くと、至上2度目の「国境で人が捕まる」に遭遇したことがわかった。
以前スイスで国境警察が列車に乗り込んで来たとき、同室のコンパートメントの黒人の兄さんが、横で手錠をかけられたことがあった。彼はDresdenからNapoliまで運ぶ気満々だったようだが、このおばさんはどうも自らその気があったようには思えない。割と楽しくコミュニケーションを取った後だったので、ショックだった。憶測を走らせてもしょうがないが、もし仮にさせられていたなら、とても哀れに思う。

Kopenhagenに着き、中国人の彼女たちと分かれる。バスを降りたのは鉄道駅が見える、車が行き交う道路上だったが、そこで何かの手違いでここからMalmöまでのバスは出ないことを告げられた。鉄道でMalmöまで移動することになり、買ったチケットを駅構内のバス会社に請求するはずだったが見つからず、今後私が乗るときに請求することになった。これに際してKopenhagen初上陸の私たちを、同じバスだったシャツが素敵な紳士がちょっと助けてくれ、移動中も相席し色々話をしてくれた。おじさんはMalmö近郊に住む人で、割とあのバスを使うことがあるそうだ。北欧に住む人たちからすると、オランダから流れてくる麻薬に迷惑していると言っていた。“まさに”な光景に出くわしたけど、島国の人が憧れる陸続きの国の悩みどころを知った。

15時半頃、ようやくLundに着き、友達Jと再会!髭をたくわえて、また新たな一面を見せてくれている。

(22. 23. Feb. 2009)

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