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2010年8月6日金曜日

Berlin: 日曜日


友達のベッドはお手製で、部屋の中央に細い階段をつたって辿り着くように作られていた。
その下は、少し膝を曲げれば歩けるほどの高さがある。うさぎたちに邪魔されず眠ることもできる、大人になった少年の夢のようなベッドだった。うさぎたちとあまりお近づきになれなかったことは残念だが、トイレの壁に既にあるのと同様に、友達や同居人の女の子に宛ててメッセージを書いて、部屋を後にした。

昼前に昨日も会った友達M宅に荷物を置かせてもらい、ブランチ目当てにcafeを目指す。
道中、彼はBerlinと東京を対比し始める。ここは東京で言う原宿とか、六本木とか。アウトバーンを首都高に見立てる解釈がおもしろかった。ドイツ語のクラスで一緒だった、当時Berlin留学中の友達Kくんとも合流し、なんとか席に着いた。昨日からの案内でもわかるように、Mのセンスはやはりcool。彼の住んでいるこの辺り、いいcafeが多く、休みの日には多くの人がブランチを楽しんでいる。

そんなMがガラクタばかりだという、ベルリンのFlormarkt: 蚤の市に連れて行ってもらった。
Kくんのベルリン仲間もやってきて、皆で好き勝手に気になる店を見て回った。ベルリンの蚤の市と言えば、何かものすごくいい掘り出し物が見つかりそうな気配があるが、この時は特に自分にとってこれと言ったものは見つけられなかった。ただこのFlormarktを訪れている人は割と多く、皆ぞろぞろと店店の間を行き交い、それに飽きれば横の広大な敷地で好きなことをして楽しんでいた。色々なベルリン事情を垣間みた後、そろそろ私は行かなければならない。

Mは大学まで通うルートだという、トラムやバスを乗り継いで、Tegelまで送ってくれた。
地下鉄で通う方が早くて便利だが、地上を見たいというのが彼らしい。京都でそんなにゆっくり話したことはなかったけど、今回とてもお世話になり、この先をどう行くかという話もでき、有意義な再会だった。

そして17時頃、部屋に泊めてくれた友達が仕事帰りに空港まで来てくれた。
以前私が京都を案内したことがあり、Berlinに私が来た時に抜けられない仕事が入ったことを悔やんでいた。それでもよくしてくれたことがとても伝わってきたし、こうして疲れているのに少しの時間のために会いにきてくれて嬉しかった。
思い返せばじっくりそう思うことができるが、この時は限られた時間の束の間の再会。短期間にものすごい距離を移動し、色んな人に会っているので、私の心身も疲れで若干おかしくなりつつあった。割とあっさりと別れたあと、ドイツ人とタイ人カップルファミリーの多い、飛行機に搭乗した。

(1. Mär. 2009)

2010年8月4日水曜日

Berlin: 徘徊と再会


Tempelhofを後にして、U6を少し北上する。見覚えのある駅名があるので、懐かしさ半分降りてみた。
Berlinは3回目。これまでの2回を合わせても1週間もいないが、いつも来る度、都市としての大きさが他と違うと痛感する。
ベルリンはでかい。だからまだまだ楽しみがある。

壁博物館やチェックポイント・チャーリーを確認した後、まだ未開拓のOranienburgerstr.の方に行ってみた。すると何やらものすごい破壊的な建物が。まさにBerlinと思いながら、小腹の空いていた私は、その向かいのfalefelの看板の文字に引き寄せられた。むしろそのお店全体に引き寄せられたのだが、この独特なセンスを放つお店の名前は"dada falafel"。ケバブ屋に付随しているドイツのfalafelとは明らかに異彩なお店。しかもdadaって。さすがBerlinである。
衝撃に衝撃を受けながら、食べたfalafelは美味しかった。この旅でfalafelは常に美味しいと言っているが、falafelは味付けによって幅が出るので、そのお店でかなり異なる。極まれに散々な組み合わせに合うことがあるが、ここは正真正銘、falafelの店。味の違いを表現するのは難しいが、美味しくないわけがない。横のインド料理屋さんもいい匂いがした。

後からそれが何かわかったけど、その時はあの破壊的な建物に入る勇気がなかったので、引き続き、嗅覚のする方へ。Bonbonmachereiという飴ちゃん屋さんもあるHeckmann Höfeを発見。Hof: 中庭といえば、Hackenscher Marktが観光地的に有名だが、この二つの間が今回よかった。ギャラリーやショップが存在感を放つように、またひっそりと居を構えていて、どんどん足をうばわれる。特にこちら、Kunst-Werke なんて、coolなBerlinそのもの。私が行ったときは、ショートフィルムを何本かいくつかの箱で流していたので、最初は映画館かと思いました。


wifi対応のアジアンテイストな料理を出すcafeに入る。友達と連絡がつき、なんとなく自分がいる場所とお店の名前を言うと、簡単に見つけてくれた。そこがBerlin。京都で自分もできると思うけど、何処何処で落ち合うのではなく、拾ってもらえることのすばらしさ。基本的に逆の立場が圧倒的なのて、余計に身に染みて嬉しい。

7カ国語を操る彼は、京都もドイツで言うFreiburgみたいだと、かなり気に入ってくれたけど、ドイツ帰国後、住んでいるBerlinがさらに好きになったと言う。私にとって京都がそうであったように、共通した感情が起こっているように思った。これまたいいcafeに連れていってくれ、そこでゆっくりした後、最近Berlinで人気だというベトナム料理屋さんに連れて行ってくれた。満席で少し並ぶほどだったけど、こうしてパリのように異国情緒を楽しめる街にベルリンも向かっていると思った。その後さらに、ビールを飲みに行き盛り上がった後、明日の集合時間を決めて解散した。

(28. Feb. 2009)

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2010年8月1日日曜日

Berlin: Tempelhof



今回Berlinに来たのは、飛行機に乗るため。
それを主目的としてはずせないルートにすれば、少しは滞在を余儀なくされるので、1泊2日することに決めた。
欲張りだけど、自分に負荷を掛け、楽しみを増やす図式である。

友達の部屋のPCを付けると、かつて京都で会った時の、私のものすごく赤い顔の写真がデスクトップに表示され、やられた。この短期間でうさぎさんたちとどれだけ仲良くなれるかが、課題だなと思いながらシャワーを借りた。
あの時は髪が長かったので、ドライヤーが欲しいと思っている時に物音が。“彼氏の所”と聞いていた同居人の女の子が実はいた。彼女は先生になる勉強をしている学生で、いたずらっぽい感じがキュート。一緒に朝食を食べながら、私が泊めてもらっている部屋の主や、iPhoneの話題で盛り上がった。彼女もiPhoneユーザーで最近変えたらしく、私がJにダウンロードされた「羊が一匹」を彼女に見せると、ものすごくウケていた。この日彼女は姪っ子とプールに行く約束をしているらしく、私より先に出かけていった。まだ特に予定の決まっていない私に、夜暇だったらごはんでも、と自分の予定に誘ってくれた。あぁこの感じがやっぱり好きなのだ。


うさぎに行ってきますと言い、再びZOBに向かう。行きのKopenhagen-Malmö間、バスに乗れず鉄道移動したので、その払い戻しをしてもらうためだ。着いた時は閉まっていた、事務所にいる女の人に説明するが、自分は今日代わりに働いているのでわからない、ここに電話を、とチケットを入れる包みを渡された。もちろん、この時にすべてが片付くと思っていないが、このすんなり行かない感じにちょっとヤな予感を抱く。

気を取り直してBerlinを楽しもうと、観光?というか唯一絶対行きたかった、テンペルホーフ空港へ向かうことにする。2008年10月で閉鎖になると、Freiburgにいた当時に知っていたので、どうにか閉鎖前に利用できないかなと思っていたけど機会がなかった。ナチス建築の代表格のひとつとして、その美しさに私も惹かれたわけだけど、その後どう利用されるかはまだ決まってないようだった。

Berlinの街の中にあるので、行くのはUBで楽。"Platz der Luftbrücke"で下車し地上へ出ると、Luftbrückeのモニュメント(写真上)とメインビルが見える。Pommes: ポテトの屋台があったので、注文しがてら屋台のおばちゃんに現状を聞く。今後は知らない、分からない、の一点張り。ちょうどTempelhofを世界遺産に登録しよう、という動きもあり、そのステッカーが大量に置いてあった。腹ごしらえも終え、いざメインビルの方へ。閉鎖反対の声も大きかったようで、閉鎖から4ヶ月経ったこの時も、惜しむように見に来る人たちが何組かいた。中へは入れないので、隙間から覗いて伺い知ろうと試みる。時計をはじめ、すべてが止まってしまった空気があった。ただやっぱりものすごく尊厳としていて綺麗。ここにまだ息吹があった時に、やっぱり来たかったと残念に思う。


Pommesの屋台の近くに"Der Fliegerladen"の文字を見つける(写真中)。やっぱり航空系グッズを扱う店は近くにあるらしい。年季の入った店に、年季の入ったおじさん。別に私は航空マニアでないけど、なかなかお目にかかれないだろうグッズにテンションがあがった。むかーしのTempelhofの写真や、パイロットが必要とするような専門的な地図。おじさんにも今後はどうなの?と聞いてみたけど、屋台のおばさんと一緒だった。2人とも、明らかに閉鎖に反対だっただろうし、閉鎖されてしまったショックと、現実的な生活への影響をちょうど感じているような気がした。

結局今は公園として解放されているけど、あのメインビルの中には入れないんだろうか。この時も予約をすれば、館内ツアーに参加できるとあったけど、それしかいまも中に入る術がないなら行くしかないでしょう。"Platz der Luftbrücke"の規律のある美しさ(写真下)も味わってから、ここを後にした。

(28. Feb. 2009)

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Malmö-Berlin: 9時間夜行バス+フェリー


LundからMalmöに到着後、バス乗り場を探してなんとなく歩いた。
夜10時頃、あたりは既に暗く、地図が示す方面は道が悪く、スーツケースを引きにくかった。Malmöは海に面しているので、何やら大きな船も見える。
なんとか時間も間に合ってバス乗り場に到着したけど、バス待ちの人もそんなに多くはなく、案内をする人なんていない。とりあえず、近くの人に行き先を聞いてみると"Bremen"だった。Hamburgまではセーフと思い、ひと安心。少ししてバスも来て、皆、バスに乗り込む。

起きたらフェリーの中だった。バスに戻る時刻が告げられ、皆バスから出るところ。寝ぼけながらとりあえず身体を動かして、船内に出るとまぶしい。レストラン(好きな料理をおぼんにのせる形式)に結構人がいて、食事をしている人も多かった。外に出ても真っ暗でおもしろくないので、ちょっとコーヒーと何か軽く食べることにした。レジ前にこのスカンラインのフェリーのポストカードが売ってあり、確か0.35€とお高めだったけどツボで、何枚か買ってしまった。思いつくままに手紙を書いているとタイムアウト。バスに戻る。

起きたら既にBerlin近郊。バスの到着地は、"Berlin ZOB"= Berlin Zentraler Omnibusbahnhof。ベルリンのどこに着いたかわからないので、U-Bahnの地図を見ると、西のゾーンAぎりぎりのKaiserdammが最寄り駅だった。
同じバスで降りた人が散ってしまったあと、泊めてもらう友達の友達が迎えに来てくれた。土曜の早朝なのに有り難い。場所さえ分かれば自分で行けるけど、友達ははずせない仕事があり、留守中の鍵を彼が預かってくれていたのだ。
Alexander platzに近いUBの駅で降り、すぐ近くの建物。装飾のない、100年くらいは立ってそうな、シンプルな外観。この辺りの建物は、これまで主に高齢者が多く住んでいたけど、年月とともに空きが出る、若者にとってはいい目の付け所な物件だそうだ。
友達は3人とシェアしていて、一人は旅行中、もう一人の女の子はたぶん彼氏の家だろうと。友達の部屋を開けると、聞いていた2匹のうさぎが登場。彼らが動き回るのでドアの開け閉めには割と注意が必要。友達の友達もこの部屋にはよく出入りするらしく、一通り説明してくれた後、礼を言って見送った。
うさぎとの初めての共同生活に、顔がにやける。

(28. Feb. 2009)

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