2013年2月1日金曜日

いつかは今日動かなければ来ない*1


私の絶対的な味方がほしい
なぜなら、私が好んで立つのはいつも少数派だから

2012年8月7日火曜日

平和村について今思うこと



Praktikumを終えて1年近く経つ。
働ける期間が最長1年なので、一緒に働いたメンバーはほぼ皆いなくなった。
村を出てからも、なんだかんだ月に1回以上は足を踏み入れ、その動向を聞いたり、見たりしているけれど・・・

仕方がないと思うけれど、未だに日本からボランティアをしに来る人が多い。
これに甘んじ、ドイツからのボランティアを積極的に入れようとしない村、そして正義が如く、無償での労働をしに日本から来る人、それが肯定される環境に対し、疑問を感じどうも批判的になってしまう。

そう思う最たる所以は、人間<気候の比重で物事を重要視する気運に私があるからだ。
人間が重要でないと思うわけではもちろんなく、極力、気候に影響を与えない範囲で人間は生息活動をすべきだと思うからだ。だから人の命を救うことを使命として活動する団体が、それを全うな理由として、気候保全に向けられる関心が低いことに危機感を覚える。特にそれが慈善事業である故に、気候保全が二の次に考えられるべき問題であると肯定されることに異を唱えたい。

この観点からすると、Praktikumに従事する利点は、日本とは異なるドイツの環境負荷の低い生活と社会に触れることができることであろう。しかし、Praktikumの長くて1年の期間を経て、帰国後の生活が出国前と比較して、環境負荷の少ない暮らしにシフトできなければ、単に見聞を広げ、かつ日本-ドイツ間のフライトで環境負荷を掛けただけで、すべての人間が取り組むべきこの領域には貢献できない。

何を差し置いても感心できないことは、村が目先の一時的な安価な労働力だけを求めていることだ。上記に記した問題点に着眼していれば、もっと積極的にドイツ人やもっと近場の労働力を集めることに重点を置いているであろう。また、日本人やドイツ人とは異なった条件、状況からボランティアに来る、言わばマイノリティーである存在に対して、もっと受け入れ条件を満たすこと、Praktikumの後の将来のことを、平和村に来る子供たちに思うように考えるべきだ。少なくともマジョリティーに対してと同様に捉えていては、ギブ&テイクのテイクの部分に対する努力が少なすぎる。

一度、自らが置かれている環境を見直してほしい。
無償で1年働いた人間の言う言葉を、単に蚊屋の外の人間の言葉としてではなく、重く受け止めてほしい。
村の体制に批判的な人間を排除することは、寄付で運営している組織がすべきことではない。

以上、Praktikum Berichtとして提出しようかなと思います。
とりあえず、第一稿として。


2012年7月1日日曜日

・・・


泣き出したら止まらない・・・何をどこにそんなに溜めていたのでしょう・・・
それは大体わかるけど、解決策がわからない・・・

かなりご無沙汰してしまったけど、前回書いてから、こう自分と向き合って頭の中を整理するような時間が皆無だった。こうして一息ついて、自分のことに頭を集中させる時間なんてなかった。

それと引き換えに得たものも大きいけど、自分が本来やりたいことに全く手がつけられず、バランスの恐ろしく悪い生活を送っていると、こんなことになるのでしょう。。。

私は誰か、自分のことを理解して、肯定してくれる人が欲しいだけなのに、どうしてこんなことになってしまうのでしょう。

あぁ苦しい・・・

2012年2月11日土曜日

2月11日反原発アクションに見る都市論①




本日2月11日は、ドイツ全土で反原発アクションが開催される。
3月11日は地震、津波の犠牲者へ追悼の意を示すため、1ヶ月前倒しとなる今日の方がアクションとしては数が多い。

このサイトで確認すると90以上の街で、“フクシマはどこにでも存在する”、“原子力発電所は今すぐに止めるべき”と掲げるアクションが登録されていることがわかるが、驚くべき事に、ドイツで最も人口の多い、ここ1800万人が暮らすノルトライン=ヴェストファーレン州(NRW州)でのアクションが非常に少ない。他にもおよそ同数のアクションが登録されている州があるが、例えば初の緑の党出身の州首相のいる(フライブルクのある)バーデン・ヴュルテンベルク州(BW州)もそうだが、こちらはNRW州より800万人人口が少ない。また、ラインラント=プファルツ州だって同じくらいだが、ここはBW州の半分以下の人口である。なんらかのアクションはあるけど、単にこのサイトに登録がないとか、街の規模としてはとても小さいところもあるので、一概に簡単に比較はできないけれど、NRW州でのアクションが人口比率からして明らかに少ないことはわかる。

ここNRW州にはケルン、デュッセルドルフ、ドルトムント、エッセンというドイツで人口の多い都市10位に入る街があるが、このいずれの4つの街でもアクションの登録はない。でも何かあるだろうと思い、"各地名 FUKUSHIMA"でググってみた。この入れ方をすると基本的にフライトが検索されて上位にあがってきてしまうが、例えばフランクフルトの場合、やはりでかい空港があるので、そりゃフライトが出てきてしまうが、ちゃんとアクションも引っ張ってきた。これに対し、デュッセルドルフもやはり同じくフライトを引いてくるが、それっぽいものがあると思い、見てみるとなんと去年のものだった。驚愕。やはりこの州から出たくなる。例えばアーヘンやミュンスターというとても素敵な街もあるが、トラムがないので私の理想的に住みたい街ではない。

このNRW州の特徴と言えば、やはり大きな商業都市を複数抱えていることだろう。
だから簡単に言えば、金が好きで私腹を肥やしたい人が、そのうちの一つ、ここデュッセルドルフにも集まるのだ。きれいにばりばりに着飾って買い物に繰り出したい人が来るのだ。もちろんそんな人ばかりではないが、やはり人は何かの理由があってその街に住む理由を決めるものなので、基本的にその街を受け入れることが、気に入ることができなければ、その人はその街に来ないし留まらない。こうしてこの商業都市に集まり、これに飲まれてしまっている人たちが、結果的に無関心とまではもちろん言わないが、他都市に比べて反原発にアクティブではない都市を作っているのだと思う。


私は否が応でも、このマークをそこら中で見るフライブルクがデフォルトなので、その空気が感じられないここデュッセルドルフを上記を理由に、"肌に合わない"と思っているが、実はこれらアクションの分布は、原発がある位置と多いに関係があった。
実は、このNRW州原発がない。そしてベルリン、ブランデンブルク州、ザクセン州、テューリンゲン州、ザクセン=アンハルト州にもなく、これら州での反原発アクションも少ない。逆に、原発が近くにある場所ではアクションは多いので、これは近くにあるから危機意識が高いということがやはり言えるのだろう。

例えば一昨日、サルコジがフランス東部、ドイツと国境を接するアルザス地方フェッセンハイムの原子力発電施設を訪れ、まだ稼働を続けると宣言した。これにばりばり反応するのが、25km圏内に住むフライブルク市民たち。
彼らの意識はもはやこの隣国に向いており、3月11日は、フランスでの反原発アクション、原発密集地帯リヨンからアヴィニヨンまで235kmの距離に「人間の鎖」を作りに行くべく、フライブルクからはシャトルバスが出ます。
アルザスはドイツに隣接するけど、リヨンはジュネーブのちょっと西なので、アルザスに比べて近いわけではないが、ドイツはドイツに住む人に任せて、自分たちは隣国を攻めるといったところなのでしょうか。
非常に行きたいところですが、私は3月11日はオランダと国境を接するドイツNRW州にあるウラン濃縮プラントでのデモに行きます。


色々まだ書きたいことがありますが、とりあえずこの辺で。

2012年1月30日月曜日

もう迷わない



お寿司ブランチ誕生会をした。
完全に日取りをミスったせいで、予想した以上にこじんまりとした会になりましたが、遂行できてよかったです。
前日の晩の赤ワインが抜けず、起き抜けから準備にかかり、そのまま来客一号も到着してしまったので、なんだかわたわたしてしまいましたが。でも相変わらずの私の寿司に自己満足。皆も完食してくれてよろしゅうございました。
***
私には明らかな一本の軸があるけれど、それを確かにするために、あっちに反れそっちに反れ、その軸に完全に重なるまでに時間がかかりました。でももう迷わない。

最近自分の行きたい方向のことを見ていると、やはり面白いくらいに、どうしてもつながるところがある。
それ知るのは相当小気味いいが、相当勉強量が足りていないので、頭がもう一つ欲しいと思い始めてしまう今日この頃。
自分が行きたいところに行くためには、リスクを取って攻めるけれど、それは=ソロ活動の継続という最大のリスクにつながるのが難点。


2012年1月25日水曜日

ヨナタンとマヌエラの話から考える「移動における環境負荷」



ルール地方、オーバーハウゼンに住む私の元に、1通の手紙が届く。差出人はヨナタン。スウェーデン南部、スコーネ地方のルンドに住む学生である。そのヨナタン、手紙には3ヶ月間インターンシップをしに、ロンドンへ行くと書いてある。その行く途中に、私の元に寄ってくれると言うのだ。

日が迫っているのでメールで確認すると、ヨナタンの頭の中の旅程はこうだった。ルンドを出発し、まずベルリンへ、そこから私の住むオーバーハウゼン、共通の友人がいるテュービンゲン、そしてブリュッセル経由でロンドンへ、全行程10日ほどの鉄道の旅。

ヨナタンにはマヌエラという彼女がいる。彼らの微笑ましい関係を目にしたことがある私は訊いてみた。マヌエラはヨナタンがロンドンにいるうちに遊びに来たりする?と。するとヨナタンは言った。しない。どうして?飛行機を使いたくないから。

ここはヨーロッパ、魅力的な都市がたくさんある。飛行機、バス、鉄道を利用し、安価に短時間でアクセスすることが可能だ。もし自分の身近な人、友人がそれらの街に滞在することになれば、それをいいことに観光も兼ねて訪ねに行こうというアイデアが浮かぶ人は多いのではないだろうか。ましてや彼氏彼女。だが、彼らの場合はお互いにそれを諦めた。飛行機を使いたくないという理由で。

彼らの図式はこうだ。飛行機の利用=環境負荷のかかる移動手段の利用。時間を捻出できたヨナタンの場合、鉄道という代替案で移動することができる。マヌエラはそれができない、よって飛行機を利用するわけではなく、スウェーデンで待つということになった。

飛行機の利用、果たしてこれにどれだけの環境負荷がかかっているのだろうか。
日本の運輸において、鉄道と比較した場合、飛行機の二酸化炭素排出量は約6倍、バスの約2倍環境負荷がかかる。また、ヒトの移動による二酸化炭素排出量は、物流と比べて2対3と大きい。自分が移動することは、二酸化炭素を出しているということを、再認識するべきではないだろうか。

ちなみにヨナタン、インターンシップを終え、帰りはフェリーでイギリスからスウェーデンに帰国した。彼のお勧めは景色の楽しめる鉄道だそうだ。欧州滞在者なら彼のようにInterRailパスを、旅行者ならEurailパスを事前に日本で購入し、鉄道の旅をすることができる。

この話がきっかけで、飛行機の環境に対する負荷を知らない人が意外と多いことを知り、ショックを受け、今回記事を書かせて頂くことになった。日本ードイツ間を不必要に飛行機で移動をする人は少ないと思うが、長距離を飛行機で移動し、ドイツに滞在している私たちは、まず自分たちがかけている環境負荷について考える必要があると思う。ちなみに私の理想はシベリア鉄道とフェリーでの日独往復。ロシアビザ手配の必要なくなり、シベリア鉄道が高速化する日が来ることを願う。

(参考:http://eco.jr-central.co.jp/ecoshuccho/)30.11.11



※この文章はドイツ、フライブルクにて活動を行っているグループ"Öko-Freiwillig"が発行する「エコフラ新聞」に寄稿したものです。
新聞自体も載せたいのですが、とりあえずは自分が書いた記事を。

2012年1月6日金曜日

平和村Praktikum回想記② 体験記



2010年10月から2011年9月まで、私が平和村でPraktikumをして見つけた答え

私は平和村で過ごした後、自分がどう転ぶか知りたかった。
人間が生きる上で絶対必要な"医療"の方向に行くか、自分の感性を生かせる、人間の"欲望"の方向に行くか。
後者だった。
ただ欲望に寄り添うのではなく、私はその領域においてやりたいことがある。
私にとって重要性が高いのは、Kinderschutz(子供を救うこと)ではなく、Klimaschutz(気候を保全すること)
だった。だからこれからはその自分がいる領域から、これに貢献したいと思う。

平和村には日本から来るボランティアが、常時10名ほどいる。
この中には平和村がドイツにあるからドイツに来る人と、ドイツに来たくて平和村に来る人がいる。
私は後者。
先述したことに、やはり一番興味があることがわかったけれど、ドイツという国を初めて意識したのは、平和村を通してだった。だからドイツと私を会わせてくれたことを感謝するために、1年無給で働くという意味もあった。そしてその後、ドイツに残るために。
平和村の活動は簡単にできるものでは全くないし、ものすごくインパクトがある。それが実現できるドイツという国に私もとても驚いた。日本人の職員がいるから日本語で情報が簡単に手に入り、少しばかりのドイツ語の学習歴さえあれば、平和村にボランティアに行くのは難しくはない。
だけれどその数は、ドイツ人のPraktikantより常に断然多い。
これは本当におかしいと思う。
日本から平和村に行く人も、それを喜んで受け入れ続ける平和村も。

日本から平和村に行く人に関しては、半分くらいは理解できる。自分もそうであったし、興味を惹き付けられる情報が、十分すぎるほどあり、長期滞在できるビザを手にすることが難しくない。
ただ戦争や地雷、事故、先天性な病気を持つ子供たちを助けたいがために、ドイツまで環境負荷をかけて渡航することは、推奨されるべきことではないと思う。そうした助けが必要な子供たちは、日本やもっと身近な場所にもいる。一時的な労働力として身を投じに来る、または来させるには、もっと近場の労働力が適していると思う。

私はKinderschutzを理由に、それを正当化してKlimaschutzに反することは間違っていると思う。
これはもちろんKinderschutzに限らず、企業戦士ぶって、また自分のエゴが故に、気候に害を与えている人全般を対象に思います。

以上、平和村体験記というより、体験を通して得た所感でした。








※Praktikum: インターンシップの意。学業や職業訓練を受けたあと、またはそれに平行して、無給や少量の賃金で、実習(労働)を行うこと。
※Praktikant: インターンシップをする人。平和村の場合、高校卒業試験を受けたあと、大学に行く前に、社会的見識を広げるために、半年から1年ほどPraktikumをしに来る若者が多いです。
ドイツ国際平和村: https://www.friedensdorf.de/

2012年1月1日日曜日

聖夜を走る



夜8時前、Dresden- Neustadt
がらんとした駅

これは12月24日
この日私は早朝DüsseldorfからDresdenに移動して、Rを見舞って、これからBerlinへ行く途中。
翌々日にはBerlinからDüsseldorfへ戻る。
この3区間すべての移動をMitfahrgelegenheitと言う、事前登録制の相乗り照会サイトで移動を確保した。
クリスマスだったせいもあり、道は空いていて、あっけないほど順調に都市間を移動できたけど、何より自分が乗りたい区間の席を確保するほうが、もっとさくさく事が進んだ。私が割と直前に、その区間を運転する人と連絡を取っているにも関わらず。

こういう合理的かつクリアなシステムが成り立っていることが、やっぱりドイツだなと思う。
必要なこと(移動)を共有して、その間は話をするもよし、寝るもよしで、目的地に到着。代金を運転した人に支払って、お互い安価に移動できたことに満足して、さらっとお別れ。
土地を知るもの同士の会話は、詳しくないとよくわからないが、出発地と到着地に対する感覚や、その人がどういう動き(生活)をしているかが知れて興味深い。

それにしてもドイツは平らだ。
そして私のマイカーに対する抵抗が薄れてきていることに、慣れは怖いと驚く。


2011年12月26日月曜日

Mein lieber R


ドレスデン大学病院
ちょうど3ヶ月ぶりに、私の一番小さな友達、愛しきRに会いに行く。

午後1時、やはりお昼寝中だったけど、看護師さんに部屋に入っていいよと言われ、入ってみる。目が開いている。誰かわかる?と訊くと、わからないとの回答。でも私の名前を言うと、思い出してくれたようだった。
2時半まではベッドから出てはいけないので、彼はそこで普段していることを色々見せてくれ、ぺらぺらと話しだした。元々ぺらぺらだけど、さらに磨きがかかっているのが、切ない。

今ドイツにいる平和村の子供の中で、おそらく一番長いであろうRが来たのは約4年前。1歳くらいでドイツに来たので、もうドイツの子供。母国語はしゃべれない。今日の午後にサンタが来ると、首をながーくして待ちわびて、用意してもらったシャツとサンタの柄付きネクタイに着替える。顔を腕はむちっとしているけど、元々身体と脚は細い。脚が特に細くなっていた。痩せたね、と言うと、あんまり食欲がわかないからあまり食べれないと言った。

私はその前日の晩寝ずに支度をして、早朝からの移動中少し寝たけど、確実に寝不足。Rは私に、私が自分に対して不安があるのかと訊いてきた。最初なんでそんな問いが出るのかわからなくて、そんな目で見ていたのかと動揺したけど、おそらく寝不足のせいだよと言った。でも治療中とはいえ、痩せてしまったことで表情も変わり、ドイツの子以上に上手く、もみの木の歌を歌えるのを見るのは複雑。

私はもともとどんなに痛々しい身体をしている子供でも、それが子供に伝わるような目は絶対にしてこなかった。誰だってそんな哀れんだ目で自分を見られたくないし、あくまで普通の態度を取ってきた。でもさすがのR、自分は普通にしていたつもりでも、寝不足のせいか、ほんとうに目にでたのかわからないけど、やられました。

雪が降り出したことを喜び、窓に張り付いて、あのヘリコプター降り場に、サンタはそりに乗ってトナカイと一緒にやってくるんだよ!と期待高らかに待ちわびる。そちらに興味を惹き付けていると、看護師さんが扮したサンタ登場。まずは別の病室にいる子供に、その子供の家族から託されたプレゼントがサンタによって配られる。何箱も、渡されて行くのをRは見る。歌を歌ってとRに言われたわけじゃないのに、先陣を切って歌う。そうしてようやく自分の番、ひとつ、ふたつと箱をもらい、真剣な顔で喜び、包みをほどく。playmobilの救急車が本当にお気に入りだと、満足そうに言った。

前に来たときは夏のように天気もよくて、外で遊んだり、べったりして楽しんだため、気が付いたら看護師さんと特に治療の話もせず帰った。ひとりドイツの長いRの取り巻く環境を含めて特に心配をしているような、看護師さんと話をした。私はどうにか今度の2月の援助飛行で帰れるのではと、思っていたけど、いい返事ではなかった。治療がうまく進んでいないわけではないけど、まだまだ帰すには危険なのだ。

一体彼はどうなるのだろう。平和村に来る子供は基本的に皆ただ事ではないけど、Rの場合、その域を越え過ぎている。彼を知る、彼と関わりのある人皆が、その人の立場で彼を本当に心配して、彼にとっての最善のことを考える。彼が再び家族と会える日は来るのか。想像を絶するような気持ちで帰りを待っているだろう。何より完全にドイツ人化してしまったRが母国に溶け込むには、どれくらいの歳月がいるのだろう。その間、彼はどんな想いで日々を過ごすのだろう。考えだしたら全てが悩ましすぎる。

でもとにかく、今は治療が上手く進んで行くことを願う。
単純に、メリークリスマスと言えないクリスマスが、ドイツにもたくさんある。


2011年12月23日金曜日

私の10年




私の10年

私が、私はドイツにしようと決めてからの10年
決して安泰なわけではないが、ようやく続けられることを始めることができた。

私が、私の家族の仏独日ネットワーク構想を得てからの10年
一応達成はしたけれど、その時私の仏に対する想いはネガティブに。
10年前、伯母の領域を侵害したくない気持ちもあったけれど、"なんか違う"と思ったのは正しかった。

私が、"環境問題"と接するようになってからの10年
私が一番重きを置く、一般市民的な感覚において、日本は果たして何か進歩しただろうか。
してなくはないだろうが、その変化がそこに置いて見えない。
"包む"ことが大好きで、"相手を思いやる"ことに長けた日本人が、それが招くリスクを念頭に置けない限り、
東アジア的な性を含めてしょうがないと、諦める方向に私はある。
耐えることのプロになってしまった日本人を形成した気候は、極めて正直である。


私が本当に行きたいところに行けるには、あとどれくらいかかるだろうか。
現実的に、大学の時に真面目に勉強していないと、それが遠のくことを痛感する。


2011年12月3日土曜日

続報



金曜日、疲れて帰宅し郵便受けを開いてみると、封筒が1通。
見た目からぱっとわかりませんが、カードらしきものが入っている感触を得たので、これはGLS Bankからのものだと断定。
無事に銀行カードが届きました。

それにしてもこの封筒、市販で売っているものと何ら変わりのない窓付き封筒。企業だからといって社名を印刷するのではなく、そこも不必要と判断してでのことでしょうか。
どちらにせよ、この潔さ、私は大好きです。こうした包装等に感動するのは、Apple製品以来。ちょうど会社に、カラー印刷で社名や情報の入った封筒が届き、私が入社して以来、毎度封筒に押していた社名のスタンプは仮だったとわかりました。
どういう会社かにもよるし、窓からどれだけの情報が見えるかにもよりますが、私はこの簡素で無駄のない感じにぐっときます。中身も然り、一枚の紙にカードがくっついているのみ。ごちゃごちゃしたもの一切なし!

さて、さっそく家賃を振り込もうかと。


2011年11月30日水曜日

念願の、



GLS Bankにて銀行口座を開設した。
この銀行はドイツの大手銀行のように身近に支店はないので、普通窓口に行って30分程度でつくれるはずの銀行口座を、私の場合は数週間かかっていたので、最後は自分が本店に乗り込んだ。

GLS Bankの場合、前述のように支店がその辺にないが、Postと提携しているので、Postで口座開設の手続きを踏むことができる。本人確認を行った後、本来ならすぐできるはずなのに音沙汰がないので、電話したりメールを送ったりしたが、その対応が悪いわけではないけど、興味があったこともあり、結局本店のあるBochumに休みを取って向かった。

残念ながらあまりお金の入ってくる生活をしていないが、そんな自分の余り金でないお金でも、社会がよい方向を向くために使われて欲しいと切に思うので、ここに口座を持つことは、ドイツで生活をする上で1割を占めるくらい重要だった。自分が口座を持つ銀行の本店に行くことは非常に価値のあることだった。なぜ手続きが滞っていたかというと、それは恐らく、名前と名字を取り違えられるとか(一度手紙が届いているのに)、割と残念な理由で、もしくはPostのミスかなにか(これは実際あまりない)だったようだ。本店に行き、来た理由を説明し、自分の名前を紙に書いて、こっちが名字だからと付け加えて言ったのに、私を担当してくれる紳士は、私のデータが見つからなかったと最初に告げた。それだけ、私は未知の存在なのだ。だからこうしてするっとことが進まないことに全く嫌悪感は感じない。

この担当してくれた紳士は、さくっと口座をつくり、オンラインバンキングで必要な初期のパスワード変更&設定や、振込の際、smsで携帯に暗証番号が送られてくるなど、パソコンを前にして丁寧に説明してくれた。ちなみに彼は今まで仕事柄色んな国の人のパスポートを手にしてきたそうだが、日本人は初めてらしい。よく考えたら不思議だよね、と私もこんなに人口の多い日本人が何故彼と(GLS Bank)と関わらなかったのだろうと、同じく不思議かつ光栄に思った。そんな手続きの最中、君はドイツで生まれたの?だったか、もう長くいるの?だったか、忘れるほど驚く問いを受け、それに私は最初に一瞬間を置いて、いや全然そうではない、と答えたことを覚えている。そして、大学の時に1年Freiburgにいて、あ、その前にも何回か来たけど・・と続けた。雰囲気だけでもそこまで出せるようになったのかと、その類いの質問の中では抜群によかったので、とても嬉しかった。ただそれが毎回になるようにしたい。ここ、ルール地方の人々は、Freiburgがドイツ南部のどちらの州に属しているかさえわからない人がいるが、やはりGLS Bankの人間、彼は自称Freiburgをよく知っているよ、と言った。さすがである。

HPに12月2日は行事のため、Bochum以外の支店、Freiburg、Berlin、Frankfurtなどの支店をすべて閉めると掲載してあった。その日には本店から歩いてすぐ、最寄りの地下鉄の駅名でもある"Schauspielhaus"(劇場)にて"集い"があるらしい。年末だしな・・ちょうど目印に方向を確かめてきたものが、実際にどう利用されているのか知れてというか、GLS Bankのことが知れて嬉しかった。


一枚目の写真は中央駅、二枚目がその劇場。
Bochumは今回初めて行ったが、中央駅から出た目の前の印象が、例にもれず"四角い"。
ここもルール工業地帯の一都市だった。でも銀行から中央駅への帰り道、ドレッドヘアの女性や、Freitagバッグ2個持ちの男性などを見て、口座ができたのも相まって気分がよくなる。ドレッドヘアは私のドイツの原風景、FreiburgはVaubanにすぐに運んでくれる。


2011年11月3日木曜日

美しい紅葉



私は戻ってくることができた。
会いたい人たちがいるところへ。

バスの窓から見えたのは、本当に綺麗な木々の紅葉。
去年の今頃は知らなかった道を、朝の澄んだ空気を、噛み締めて、
誰かに会いに行く。

ただ、そんなことができるのは週末のみ。
平日は理想に反する現実を突きつけられ、ただ、進むのみ。
自分がしてきた決断を後悔したことは一度もないけれど、
怯むこと、ゆれること、多々アリ。
でも今を生きて、通過していかないと、当たり前だけど先に行けない。

葉が雨で落ちてしまう前に、もう一度そこを歩きたい。


2011年10月25日火曜日

平和村Praktikum回想記① うさぎによく会った



ふと思い返せば、やっぱりPraktikum中、私はよくうさぎに会った。
どういうことかと言うと、本物の野生のうさぎも見たけれど、それ以上にうさぎネタが多く舞い込んで来たのだ。

最初のうさぎは、「ミナ ペルホネン」長江青の日記経由で知った、北海道の写真家の人と一緒に住んでいた"ウーロン"の話。この"ウーロン"といううさぎは、New York Timesに載ったこともある有名なうさぎで、何故に掲載されたかというと、頭の上に何かを乗せてキープする頭芸ができたから。そしてこの写真家の方、中学生以来うさぎを飼い続けているといううさぎエキスパート。
私にすっと入ってきたのは、この方が言った「犬や猫とは違う、うさぎを飼うときの距離感が自分には合っている」という趣旨の文。これにものすごく確信を持って大共感した私。犬や猫は好きだけど、そこまでお近づきになれない感があったためか、犬猫という二択から逃れることができたからか、ベルリンで泊めてもらったお家にうさぎが2羽いたからか、本当にしっくりきた。ここからやたら、うさぎうさぎと言う日々が続く。

そして12月、予定から2ヶ月遅れて友達が会いに来てくれた。ミラクルに偶然なことに、彼女も私と同じ時期から、別の理由でうさぎ熱が高まっていた。だから「うさぎの歌」を作った。私作詞、彼女作曲。最高に楽しかったな。

翌月、母から封筒が届く。「ドイツは自己主張をしなければいけないと思うけど、たまにはうさぎの様に大きな聞き耳を持って、頑張ってね」と。うさぎの和小物付き。それを証明書にくくった。職務中はいつも首から下げ、それはちょうど子供たちの視界に入りやすい位置に来るので、やたら触られ、結局最終的に相当汚れが付き、糸がちぎれてしまい処分をした。ある子は、うさぎの盛り上がる顔面の中に、「ヨーグルトが入っている」と見ただけで言っていた。白い綿だろうから、あながち間違っていないだろうけど。

そしてこの本、"Weißt du eigentlich, wie lieb ich dich hab?: 知ってる?ぼくがどれだけ君のことを好きか"(勝手に訳)。
ちょうど1ヶ月前、日本に帰る3日前、私はドレスデンに入院している、とても好きな子供のお見舞いに行った。14時に病院に着き、帰る20時までべったり一緒にいた。歯磨きをし、パジャマに着替え、日課のアニメを見終わり、ベットに転がりながら彼は、「この本読んで」とおもむろにこの小さな本を私に差し出した。登場するのは小さなうさぎと大きなうさぎ。彼らがお互いにお互いをどれだけ好きか、どれだけ大きなもの、長いもの、遠いものに例えて言い表せるかで表現し合うのだ。
例えば、小さいうさぎが、「ぼくは君のことを、あの地平線の彼方に見える木くらいまで、好きだよ」と言えば、大きいうさぎは、「ぼくは君のことを、あの雲の上に見える月くらいまで、好きだよ」といった具合に。これを彼に読んでいるときの、心の温まりっぷりといえば、もう。今、これをまた読んであげたくて仕方がない。
※ちなみに上記は実際の本の内容ではなく、こういう感じと説明したいだけなのであしからず。

今後もうさぎネタが増えていくか、乞うご期待。


2011年10月21日金曜日

東京、墓参り



先週の金曜日から4泊5日、東京、墓参りの旅。
小さい頃から訪れている親戚宅には、去年亡くなってしまった伯父さんが欠けていると、どうしても思ってしまう。
2月にパリで会った以来の伯母さんには、両親が帰った日曜以降も、ほんとによくしてもらった。それは居心地のいい旅館のよう。

土曜日墓に参ると、何やらうちの墓辺りに見た顔が。偶然別の親戚も墓を訪れていたのだ。若夫婦は現在福岡在住で、私たちも京都から来ているし、30分ずれると会えていなかったかもしれないので、これはおじいちゃんが合わせてくれたのだと、皆で感心する。岡本太郎の墓の様子を見に行きたくなるが、そんなミーハーなことをする時間はなく。
この日の晩は、私は予定を入れてしまっていたので外出したが、うちの弟やはとこ夫婦×2も集い、そんな楽しい宴を私はまたもや逃してしまった。次回は意地でも気をつけ、参加しなければいけない。

吉祥寺、六本木でお茶、自由が丘でお好み焼き、新宿でお茶、新大久保で韓国料理、八王子でお茶、銀座で台湾料理と、毎回多くても2人ずつ会い、初めて2人でゆっくりしゃべる人、5年振りに会う人など、たくさん再会ができた。皆さまどうもありがとう。美味しかった。ご馳走さまでした。7組9名と会っても、かぶらない場所と料理。やはり都会は多様だ。六本木と自由が丘メンバとお店は定番になりつつあると思い、八王子の期待度ゼロからの、あのJR八王子と京王の間の意外なカフェ空間は一番のいい衝撃だった。そして福島の話を聞けてよかった。

親戚宅で頂いた和菓子、石山寺 月あかり は、とっても綺麗で持ちやすく、食感がよく、気に入ってしまった。
帰りの新幹線に乗る前、以前していたようにリゾットを食べ、フィナンシェとコーヒーを買い、ホームに向かった。
ただしコーヒーは、缶のもので。



2011年10月19日水曜日

京都、私の散歩道



今日は、10月下旬ということを考えれば怖いけど、気持ちのいい晴天だった。
しらさぎさんも石のうえ。
出町柳から河原町今出川の歯医者へ行く。


歯医者でダメージを受けた後は河原町をそのまま南下、府立医大の工事が終わり、
きれいになったなーと思いつつも、"ホテルオークラ"の文字に疑問が浮かぶ。
両側に見慣れたお店があることを確認しつつ、荒神橋の上に"大"の字を見て、元バイト先のパン屋さんに入る。
混む時は一瞬にしていっぱいになる店内、変わらないお店と皆さまの顔は会ったけど、幼稚園の年中さんになった彼は不在。
また来る約束をして南下。
私の先代の彼のベビーシッターだった友達がタイに嫁いだ話をしたからか、河原町丸太町"パクチー"に吸い込まれる。
三条にもできたみたいで?一人客も入りやすい賑わう店内。あ、またソロ活動してしまった。


丸太町まで来ると、寺町を南下する。
この道路幅、歩道幅、木の密集度、人のまばらさがとても心地いい。


店のお姉さんも昨日まで東京だった。私が元気で恵比寿に行っていれば、そこでも会ったかもしれない可能性を知る。
二条まで来たら、今度は木屋町を南下。
ホテルフジタが取り壊されたこと、ソニアリキエルがなくなったことが私にとっての大きな景観の変化かも。


定番。


パン屋さんの10周年記念で作られた陶器のお皿をもらいました。
もち麦のラスクは相変わらず美味しいけれど、歯の仮の詰め物が危うかった・・・

2011年10月8日土曜日

アサヒビールが飲めない



この週末は町内会のお祭り。実家はこの町内会に1年前に引っ越してきて、役にも当たり、まともに参加するのは今年が初めて。
引っ越しと言っても、小学校の校区を跨いだだけ、前の家にも徒歩10分ほどで着く近さ。そしてこの新しい20件ほどの住宅街のほとんどの人が、うちと同じように近所から引っ越してきたというベビーブーム世帯。少子化を微塵も感じないまわりご近所です。

前の町内会もかなり大きかったけど、神輿は所有していなかった。今住んでいる町内の方が歴史は長く、住民層(思想)も異なり、なんだか活気がすごい。うちの父はフランクフルト(ソーセージ)担当で、朝から意気込んでいたけど、私もふらっと夕方立ち寄ったら、焼く羽目になってしまった。比較しちゃいけないけど、サイズや焼く工程、食べるまでが、なんだかしんきくさくてみみっちいなと思いながらも、わりかし楽しんで焼いてしまった。梅田のクリスマスマーケットで焼くのではなく、売るのはしたけど、まさか自分がこんなもの焼くとは思わず。でも回りのおばちゃんやおじちゃん、皆もちろん初対面だけど、なんだかもう皆板について楽しんでやっているのがよかった。こういうことができる町内会なんてなかなかないでしょう。

父の休憩が終わったので、ようやく交代、喉が乾いたのでビール。200円でビールの当日券を買い、アサヒビールの缶を手に持つ。冷たい、だから持っていたキッチンペーパーを巻いて持った。飲む、でも先日大阪で飲んでグラス3分の2で危機を感じてしまったのも、同じアサヒビールだったから、本当にちびちび飲む。なんだかきつい。だから口と付けた程度にしか飲めず、帰宅。ドイツのビールだとさらっといけてしまうのに。

私が最近危惧しているのは、帰国して一ヶ月後くらいに顔面によからぬものが出てきてしまうこと。
これは前回一年いたドイツから帰ってきたときがそうだった。一番目立つ頬のあたりに、非常に気分を阻害されるものが一斉に出た。私はこれは体内の水がちょうど一ヶ月くらいかかって、入れ替わるためだと勝手に結論づけているけど、どちらの水が悪いとかそういうのではないと思うし、仕方がないのかもしれないが、あれがまた来るかと思えば、水道が出元の水分を飲むことに消極的になってしまう。きれいに引いてくれればいいのだが。

明日は神輿が出るらしい。だから今日の祭は前夜祭のようなもの。それもちら見して来ようと思います。



2011年10月7日金曜日

みずがめ座の香り


かれこれ5年前、Freiburgにいたあたりから、仲良くなる人とは誕生日が近いことが非常に多い。
特にみずがめ座ゾーン。我が家も父を除き(と言っても早生まれなので近い)、皆みずがめ座のため、心得ているというか、なんだか安心するのだろうか。ふーんと私的に好感触を感知する人は、だいたいそうだったりするので、またしてもそれを痛感する今日この頃。

今日はずっと使っていない銀行口座を解約しに行った。
最初に待ち番号を引き、それが私の用件を扱う方ではなかったので、正しい方で再度引き、ローカウンターに入った後、手続き待ちの間、また番号札を渡される。お辞儀時に、ボブの髪の毛もひゅんと一緒に元気よく風を切る感じのいいお姉さんが担当してくれたが、「番号札○番でお待ちの、△△様〜」と呼ばれた。番号札って名前の代わりに渡されるものではなかったかしら?違ったかな?番号の意味がないではないかと思ってしまった。同じ名字の人がかぶる場合のためだっただろうか。
ドイツの場合、個人のプライバシーを保護するために、番号化されたりするので、そう思ってしまった。銀行はこの一年は口座を持っていなかったのでわからないが、全然違う例をあげると、病院の病室。日本みたいに○○様とか、病室前に書いていない。部屋番号で誰がどこの部屋にいるのか、外部者は特定する。でも病室内は日本みたくカーテンや仕切りがないので、複数名の部屋だと情報筒抜けじゃないかという疑惑。そこはまた事情が違うのでしょうな。今度聞いてみよう。

錦を通ったら、かりかりじゃないのにカリカリ博士という店名のたこ焼き屋さんで、6コ180円のたこ焼きを買ってしまった。以前食べたことがあったので、知ってはいましたが。
お店はお姉さん一人で回されていて、横にある券売機で予め券を買わなければならない。お客さんが重なることはあるだろうけど、長椅子を2脚置くスペースしかなく、人の流れる錦で、私が観察した限りでは、券売機のある理由がわからなかった。たこ焼きを焼くのに手はかかるだろうけど、お金を受け取る入れ物もあるし、そのための余裕も問題なくありそうだった。たこ焼きを焼くのに集中して、計算を間違うなんてことを未然に防ぐためなのか、なんなのか。あの紙と電気と機械はいらない気がしてしまった。そういやドイツで食券を売る券売機って見たことがないかも。

そんな疑問を感じた日でした。



2011年10月6日木曜日

大阪、天満


本日はちょっと大阪へ。
最初に梅田界隈。ちょっと立ち寄った昼休みで賑わうレストラン街が冷房で寒かった。これは節電云々というより以前、根本的にどうにかならないかな。日本、香港、ドバイと平均気温が高くなるにつれ、冷房の設定温度が低くなる。中に入って外で蓄えた熱を冷やしたい心理はわかるけど、外で余計に熱を蓄える格好をしているのは日本だと思う。

天満で1ヶ月先に平和村から帰った友人と再会する。
大勢の人混みのなか、彼女を見つけることや、あの人混みの中に2人で埋もれて行く感覚は、香港で友人にあった時の様。人混みや都会という環境に慣れない。

JR天満駅界隈は初めて。いつか花見の際、裏からみた関テレの正面を見ながらお茶。
そして楽しみにしていた彼女の元バイト先のマッサージ屋さんへ。
タイムサービスのため、1時間2500円という破格の安さと質。自覚症状のある首肩腰の疲れプラス、上腕が疲れていたことを知る。やはり子供の上げ下ろし、持ち運びは上腕を使います。
その後、ティータイムを楽しみつつ、写真動画鑑賞。子供のそれはいつ見ても和むけど、帰ってきた今思うのは、ちょっとそこから離れたいと思う、やり切った感。でもそう思えるほどやれてよかった。イベントの多かった9月の報告を色々し、ちょっと落ち着く。やーほんとこのタイミングで会えてよかった。
そして知り合いが開店したというお店で晩ご飯。帰国後初めてのおビールが、ちょっときつかったのか、グラス3分の1で真っ赤になってしまった。疲れからか、マッサージ後の血行良好時だったからか、3分の2飲んだ時点で、水を欲す程の危機を感じてしまった。帰る前、ビール、テキーラなど普通に飲んでいたので、これは日本のビールのせいかもしれない。以前も同じようなことがあった。今日は次飲むのにちょっと躊躇してしまうような感じだった。ビールはドイツが旨い。

非常に名残惜しくも解散。同じ宿舎に半年住んでいたので、なんだか時間的制約に縛られるのが不思議でした。
今度は是非京都、宇治で。


2011年10月4日火曜日

離職証明が見つからない


それを探すためだけに、起きているわけじゃないです。
今日はやることがあるだけ。今日はきっと寝られたはずだと思う、午前3時半。
明日は、あ、今日は母と予定があるけど、あと1時間半ほどは起きていたい。帰国して思った感覚がまだフレッシュなうちに、忘れないように、忘れてもいいことだけど、ちょっとぼやっと書いておこうかと。

女の人が細い。なんか病的に見える。無理して痩せているように見えてしまうけど、単純に細くありたい願望とその細さの合格基準が違うのだろう。道を歩いていて見る人、テレビで見る人、手とかアゴのラインとか、思わず、気持ちわるって言ってしまう細さです。

テレビで見た中国の映像が、日本と変わらないと感じた。それは上海かどこかの都市だったと思うけど、これまでだと識別できる何かがあったはずだったけど、普通に日本かと思った。単純に、黒い頭を一挙に見るのがひさしぶりなだけか、中国の生活が日本と似てきたのか。

お金ががんがん出て行く。別にまだ家族以外の誰とも、ご飯に行ったりしていないけど、単純に家の近辺で、用事をしているだけで、やたらと支出させられる。今の超円高も相まって、物価が高いなということ、お金を使う機会が多いなということ、さらにお金を入れようと思えば、きっと入ってくること。相当お金を使わない生活をしていたためか、余計にそう感じる。お金ががんがん回っていると。

また最初の話に戻るけど、スカートをはいている人が多いとか、(合っていない靴を履いているせいで)姿勢がよくない人が多いとか、そんな視界に入ってくることを思う。また人と人との空気のような接し方。人認識せず、何事も過ぎて行くような気がする。特にあんな毎日がんがん叫ぶような所から来たら、余計にそう思うのかもしれない。

ドイツもそろそろぐっと冷えてくるようだけど、その前の暖かい気持ちのいいお天気の時に帰ってきてしまった私は、こっちが既に涼しかったから、非常にそれが恋しかった。もう今は寒いのだろうけど。こちらの方が、断然暑いだろうと踏んでいたからか、実際私が帰ってくる1週間前とは比べて、かなり秋らしくなったとかで、最初は垂れていた鼻ももう止まった。このひんやりとした感は気持ちがいいけど、私が嗅ぎたいのは芝生の匂い。

昨日テレビを見ていて、午後7時半前、四国徳島で震度3があったかと思えば、4、5分後に、福島浜通りでまた震度3。もう恐すぎる。一緒の飛行機で来たドイツ人の学生なんて、ほんとよく来たなと思う。