2010年7月10日土曜日

Kyoto: モネのひまわり


家族で鰻を食べた帰り、ISETANの花屋で「モネのひまわり」を見つけた。
その隣には「ゴッホのひまわり」。これまでこの花屋さんを気にかけたことはなかったけど、京都駅を徘徊後、やっぱり気になったので「東北八重」という品種も合わせて買って帰ることにした。

仕事中、行き詰まった時に小児科の外来・入院の患者一覧の名前を見て気分転換します。
一筋縄ではいかない名前が多いですが、最近のヒットは「百峰(もね)ちゃん」です。年配のジェネレーションも私らからすると新鮮な名前があり、「今朝次(けさじ)さん」はさわやかでよいなと思いました。

右奥がモネ、左がゴッホ、下が東北八重です。むかし小学校の頃、森村泰昌の京都近代国立美術館で行われた個展で「ゴッホのひまわりプリクラ」があり、ちょうどあの真ん中のところに顔をはめて満足げに撮ったおぼえがあります。思えばかなりの衝動で、母に連れてもらい、岡崎デビューをしたのでした。

2010年7月9日金曜日

Freiburg: 出発

Freiburgでは、ここに載せられるような写真はほとんど撮らなかった。
1年間いた当時、Vaubanを中心にかなり撮り尽くしていたので、写真を撮るということを意識的に必要としていなかった。


日を追うごとにタイトになっていくスケジュール。
Freiburg最後の朝、起きて見た壁は白かったのか。
いつぞや私が忘れていった、洗顔を受け取り、荷物をすべて持ってそこを去った。

一度Hbfへ行き、スーツケースをロッカーに突込み、街へ戻る。
13時、café Aspektにて教授と再会。相変わらず私のツボである。この日はFasnachtだが、去年のFasnachtもこの教授と一緒だったので、偶然と言うか、時期的には確立の高い出会いである。この後行われるパレードは、私は先に行かなければならないため見れない。Fasnachtを考慮して決めた旅程ではないので仕方がない。次の待ち合わせの時間も気になりつつ、再会を楽しんでいるところに電話が鳴る。
なんと昨日泊めてもらった友達宅の鍵を所持したままだった。
家に届けられる時間はなく、次の最後の待ち合わせが駅だったので、取りに来てもらうことになった。毎度充分という時間ではないが、京都で会おうと約束をし、その場を去ってHbfに急いだ。

ぎりぎり連絡が取れた寮の同居人V。実は半年イギリスにエラスムスで行っていたらしい。Freiburgには数日前戻ってきて、前日の夜お兄さんと飲んでいるところに誘ってくれたが、行ける状態になかったので、このギリギリの再会となった。話に聞いたことのあった、かなり年の離れたお兄さんも一緒に来てくれて、束の間の嬉しい立ち話。Vはほんととても良い子だったのに、どうして私はあのWGでもっとオープンになれなかったのか。それを考えると本当に後悔で心が締め付けられる。
6人共同のWGで、その一人と付き合っていたが別れてしまったと、色んな想いの詰まった笑顔で触れてほしくないように言った。もう一人Vと同様に、私が入寮したすぐ後に学生生活をスタートさせたAも引っ越して、もう皆私が知っている人はいないようだ。Vも実家Düsseldorfに近い、Kölnに席を置いて勉強することを考えているらしい。私が将来的にまたこちらに来る意思を彼女も知っているので、その時はKölnを案内してくれるといい、Vとはまたつながっていられることをとても嬉しく思った。その時はもっと色んなことを話したいと強く思う。

鍵の主も到着して、迷惑をかけたことを詫びながら、私は行かなければならない。
15:07発、彼らに見送られて列車に乗り込み、何人か友達に電話で挨拶をし、気付いたら動き出していた。

(22. Feb. 2009)

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2010年7月4日日曜日

Freiburg: 再会③


泊めてもらっていた友人宅で、バスルームからお湯が出ないという惨事が発生したため、最後の一泊を別の友人宅へ移ることにした。KappelからZäringenへ。こちらもほとんど来たことがなかったので、改めてVaubanに入り浸っていたことを自覚する。

お昼に駅でSushi屋の元同僚の友人と再会。日本好きな彼女はこの日も日本男児たちを従えていた。彼らと話してみると、奈良にある某大学の私の好きな教授が連れて来た一軍だと判明。ならばその教授がいるはずだと、即電話しつながり有頂天。毎年夏に来ることは知ってるけど、冬も毎年になりつつあるらしい。明日会えることをものすごく楽しみにする。

妙な軍団は移転したFuna Sushiに向かう。アジア食品を販売する店もある、Siegesdenkmalの建物の一角。場所的にはそりゃ駅の方がよかったと思うが、あのオーナーだから仕方がない。仕事中の友人をびっくりさせ、お土産を渡すとその時の彼女に即していたのかとても喜んでくれた。もうすぐウエイトレスの職業訓練の試験を受けるのだが、あのオーナーのこの店でここまで続けるのは他ではないストレスも受け、大変だったと思う。おそらくこの時お土産として渡したお守りの効き目が、彼女からの結婚式の招待状となって今度は私を救ってくれたのだと思う。彼女たちともゆっくりしないまま、私はまた次の待ち合わせのため、Miiteに向かった。

当時、パキスタン人の友人とアフガニスタン人の知り合いの教授の母国語が同じということがわかり、会わせる機会を作りたいと思っていたのを実行したのだ。
なかなか遭遇できないこの2国間のローカルな関係性が垣間見え、教授の奥さんの東アジア人に対する偏見が判明したり、一筋縄では行かない会であった。それでも教授はおおらかな人柄なので和やかな場で終わった。友人は当時より友達も増え、学業も次はDrと順調なので今更この会は必要なかったかもしれないけど、私としては貴重な機会であり気も済んだ。
結果的にFreiburgで会ったドイツ人、日本人以外の友達は皆イスラーム圏の人だったな。


Miiteへ戻り分かれると、またその辺で友人と遭遇。おそらくこれで3回目。cafeで何日か前のお好み焼きメンバが次第に揃い、だらだらする。その後の予定がそれぞれの待っている人を介して同じということが判明し、また新たに集って飲みに行く。そしてまた増員して飲みに行く。この日の翌日はFastnachtというカーニバルなので、二軒目にはその出場部隊の人たちが衣装をまとって盛り上がっていた。やはりFreiburgのビールが美味しいのか、この日のこの集いがそうさせたのか、ものすごく気持ちよく酔いました。そして、極限まで気持ちよく酔った私はチアリーダーに戻ります。ある一定限度以上に達すると、この現象が生まれますが、この時はほんとに酔えて、タチが悪かったな・・・

(21. Feb. 2009)

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Tokyo: 原美術館


本当は7月以降は社内(新大阪)勤務になるはずが、引き続き残留することに。
基本的に遠くに行きたい(大阪に行きたくない)と思っているので、私としてはよかった。ただJR東海(新幹線)と冷房の温度をめぐる寒い戦いを強いられるのが辛い。前に聞いて判明したけど、26.5℃でエコ出張なんておかしいでしょう。せめて28℃くらいにしてもらわないと、毎週乗る者としては恐怖でしかない。

そんな風に毒づきながらも、品川で下車。
何かで「ウィリアム エグルストン:パリ−京都」という個展が原美術館で開催されていることを知り、気になったので行くことにした。この写真家の人も初めて知ったのだけど、テーマにまず食いつき、説明に「カラー写真を芸術的表現の域にまで高めた先駆者」とあったので、カメラ購入検討中な私は見ておこうと思ったのです。
京急で北品川に移動し、歩いて原美術館を目指すも回りに気を取られていたせいか、外枠を一周してしまっていた。この辺り、御殿山は緑が多くセコムの入った家の多い住宅街なのですね。それにミャンマー、モーリタニア、セルビアモンテネグロ大使館なんて文字が表示されるものだから、興味がうずくのです。代官山の大使館勢もいいですが、何かぐっと来るものがあります。結局ミャンマー大使館だけ遭遇でき、原美術館に到着。
ちょうど同じ頃、シャトルバスも到着し、品川から無料走行が行われていることを初めて知る。入館しチケットを買うと、まもなくミュージアムガイドが始まるとのこと。ちょっとの彷徨いがもたらす絶妙なタイミング。美術館において、学芸員の方の解説を聞きながら回れるなんて嬉しい。この建物自体についてと、この個展についてのお話を聞くことができた。

それによれば、もともと私邸として作られたこの建物は、大使館や米軍将校のゲストハウスとして使われるという歴史を経て来たらしい。色んな用途に対応し人が踏み入れて来たわけだが、現在の美術館としてもアーティストにとても好かれているようで、人気の通った味のある空間だった。私は通過点として一度軍用になれる建物が好きなんだなと、うすうす気付いていた嗜好を確信することができた。
個展はというと、この人はその街の象徴的なものは撮らず、色彩的に感性にひっかかった被写体を撮っているようだった。なので、実際それが汚かったとしても関係なし。そんなに汚い物を捉えた写真が多かったわけではなく、自信のドローイングと合わせた展示も色彩的に楽しめたが、私は現実的なのです。きれいなものだけ、きれいだと思ったものだけ見せるのは、日頃目を向けない物を見るきっかけにはなると思うが、別にそれを訴えているわけではないので、私としてはそこまでです。と、現在の感覚からするとそう思ってしまうけど、この人以前はあまりこうした写真がなかったのだとすれば、「芸術的表現」と言われる通りなのでしょう。

久しぶりに美術館という場所に来れて、写真を楽しみ感性を働かせてよかったけど、やはり建物が好みだったことが一番の収穫でした。

2010年7月3日土曜日

Freiburg: 再会②


Hbf: 中央駅近くの jos fritz cafe に行く。学生街バリバリな感じのcafeより、ここのような反骨精神を抱いた学生が大人になり、いまなお自由に発言をし社会に訴える、そんな歴史を経たムードが好きだ(実際に市民・学生が80年代に住宅難ゆえこの建物を占拠している)。毎月色んなテーマ(特にゲイやSexなどが多い)を持った集いや映画の上映、フリーマーケットなどなど催されている。メニューにもその意思がよく反映され、それはまさに私の好みである。横に同じ名前の本屋があり、cafeとつながっているのでそっちも覗きながらcafeに落ち着く。
この旅の間、あちこちに向けて手紙を書くが、なにせここまで移動が慌ただしかったので、書いても出せずに所持したままだったりした。ここで書き上げたものと合わせてPostに持って行き投函する。

UC-cafeで友達と会う。Freiburg時代の友達は大半が留学生同士だったので、ほとんどが同時期にそれぞれの国に帰国した。彼は数少ないまだFreiburgで学生をしている友達の一人。着いてから連絡を取ろうと思ったら、着いた日にトラムの駅で偶然出会い、驚きながら約束ができた。試験を控えてちょっとピリピリしているようだったけど、彼の目論みを聞いて将来的な楽しみができた。彼に会うと、モロッコと日本はBABEL(映画)でつながっていると、いつも知り合った時にことを思い出す。

夕方、泊めてもらっている友人宅に、当時参加していたグループの皆さまが集まってくれ、一緒に晩ご飯を作って食べた。私がいない1年半という期間は、見た目には大きな変化は現れないけど、その分それぞれの道をFreiburgで進めていることが私にとっては何より羨ましく思えた。そんなにゆっくりしゃべっていないうちに、伏見からもってきた日本酒を皆で回し飲みしたのに当たり、一人いつの間にか寝てしまった・・・ 
日本酒を飲む時は、時間と場所をよく考えなければならないことを初めて知った。

(20. Feb. 2009)

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2010年7月2日金曜日

Kyoto: 良き休日


ちょっと休みが貰えたので、ゆっくり京都に滞在中。
今日は歯医者に行ってお茶でもして大人しく帰ろうと思ったら。大阪に住んでる韓国人の友人とその彼氏のドイツ人が京都に来るとのこと。宇治に行き、その後はちはちに行きたいらしい。久しくはちはちには行っておらず、そろそろ行きたいなと思っていたところに吉報。以前はちはちのパンをあげたこともあったので気になっているらしい。

雨に見舞われながらも、久々に今出川から御池までの好きなお店などを覗き、夕方、京都駅彼らとで落ち合い、いざはちはちへ。久しぶりのあの生い茂った感と、築100年ほど経つ民家を堪能。辿り着くプロセスと空間が特異なので、彼らも期待通り楽しんでくれていることに満足する。閉店も近いのでパンはほとんど売れていた。コーヒーとフルーツブレッドでほっこりする。最近コンサートがないなとHPをチェックして思っていたところ、忙しくでできないらしい。
時が経つというのはそういうことなのか、おじさんの口から「移転」という言葉が出た。10年後はあの場所にはないかもしれないけど、あまり不安がない。かぼちゃの種やクルミなど材料の高騰に悩まされても、はちはちがはちはちで在り続けることは信じられる。

祇園に行きたいとドイツ人の友人は言うが、奴はこれまでに何回かそこには行っているので、上七軒のビアガーデンはどうかと提案して行くことになった。ちょうど昨日から今年も歌舞練場のお庭で始まったビアガーデン。市さんでバイトしていた時に連れてもらった以来、一般客として来るのは初めてである。当たってみるとお庭の席は予約でいっぱいだが、中のサロンは空きがあるとのこと。最初のセット(生ビール、冷や奴、枝豆)を頼み、人間観察+解説をする。
大半の舞妓はんたちはお庭の方にいるのでそちらを眺めていると、芸妓のお姉さんが横にかけてくれた。舞妓はん芸妓はんはあちこち回ったりしているのだけど、こういう場において、わかりやすい外国人は得である。目の前にすると急にシャイになるので、私らが促し、彼女が写真をお願いすると、舞妓はんを呼んで来て下さることに。少しして舞妓はん登場。市さんの子ではないが、この人もまた見覚えのあるお顔。とても気さくな方で、写真を撮った後今日の偶然の状況など話していると、私のことを上七軒のどこかで見た顔だと覚えていてくださっていた!さすがその職業というべきか、おそるべし舞妓はんの記憶力。ならばと市さんなど最近の上七軒の動向などちょっと聞くことができた。
こちらが覚えている顔はあちこちにあるのだが、向こうもおそらく何かを感づいている気はするが、こんな風に気さくに話せる面々ではない。むしろ私が一番楽しんでいるくらい嬉しかった。一度外に出てしまうと、なかなか入りづらい世界ではあるが、来てみてよかった。

通常、一見さんお断りの世界をこんなに敷居を低く気軽に楽しめるのは、この2ヶ月だけです。上七軒歌舞練場のビアガーデン、おすすめです。

2010年7月1日木曜日

Freiburg: 再会



お昼に友人と再会。前日スノボ行く?と聞かれたけど、自分が楽しめるイメージを抱けなかったので街にて。Freiburg後からVegan色を強めたので、そんな私を気遣ってくれてVaubanのHaus 037にあるレストラン: Süden へ。
Südenは、Vaubanの食文化の象徴だろう。例えばランチのメニューは毎日、(ビーガン)(ベジタリアン)と(特にルール付けのなし)の3パターンが日替わりで用意されている。基本的にここのベジ料理は美味しいけど、ちょっと頑張ったものは発展途上だったりもする。どちらにせよ、昼間から飲むのは気持ちがよい。

Seeparkのほうで練習があるらしいので、街へ戻ってお茶をして、Seeparkを散歩する。2回の時参加したSommerkursでは、ここの寮に1ヶ月住んでいたので、ここもまた色んな思い出が詰まっていたりする。私は芝生に直面すると、二言目に転がりたいと言うことが多いのだが、その時にコンディション(主に洋装)を理由に実行できないことが大半である。私の変わり?にこの人が転がったこともあったが、この日の芝生はアイスです。塔を目指してアイスと化した芝生の斜面を登り→滑ることを何度か繰り返し、楽しそうにはしゃいでいる。一方、私はスーパーの袋を敷いて滑る作戦も巧く行かず、中途半端にひざを着いたまま、水に恐くて入れないペンギンみたいだった。

そんなことをしていたせいかお腹が減り、見送った後再びVaubanへ行き、Falafelを食べることにした。これもまた、Freiburgにおいて私のしなければならない事項の一つである。京都・出町柳のFalafelの次に食べたのが、このVaubanのケバブ屋のFalafelであり、Vaubanのケバブ屋だからベジタリアンメニューとして用意されているのかと思ったFalafelである。その後ドイツの場合、ケバブ屋にFalafelありきということがわかったので、「見つけたら食べる」ほど食べた結果、Freiburgの2トップであることが判明した。
この店において、私は決まって"Falafel im Yufka, Bitte."とだけ言い続け、それを言うだけに留めていた。常連と言っても恥ずかしくないほど行っていたから、もうちょっと何か交流してもいいとも思ったけど、あの(確か)イラン出身の夫婦の仕事を割って入る気にはなれなかった。
いつも店内は自分一人かもう一人客がいるか程度だったけど、この日はおじさんの友人・仲間と見られる数人がいて、おじさんが見たことないくらいの笑顔で楽しそうに話し盛り上がっていた。店の前に停めてある車に乗り込むときも、わざわざ外へ行き見送っていた。なんだかとても嬉しそうな雰囲気がこちらにも伝わってきて、完食後店を去るとき、笑顔で答えてくれた。私を覚えていてくれて、また今度いつか行った時に覚えてくれていたら、とても嬉しい。

寮の私の部屋は閉まっていて、唯一名前の変わっていなかった隣の部屋の子のベルを押しても反応がなかった。残念だけど仕方がないと思いながら、友達が住んでいる別の棟へ行く。時間も時間だったから、ヨネスケ張りの隣の晩ご飯になるかもと察したら、案の定そうだった。どっきりだったので、最初はショックと言えんばかりの驚きを見せてくれたけど、次第に慣れてくれた。この部屋にはちょくちょく遊びにきたけど、晩ご飯を一緒に食べたことがそう言えばなかったことを後悔した。机には私の好みな匂い漂うパキスタン料理が並んでいたのである。Falafelを食べる時間を間違ったとも後悔しつつ、それでも出してくれた料理は完食した。

(19. Feb. 2009)

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