2010年7月4日日曜日

Freiburg: 再会③


泊めてもらっていた友人宅で、バスルームからお湯が出ないという惨事が発生したため、最後の一泊を別の友人宅へ移ることにした。KappelからZäringenへ。こちらもほとんど来たことがなかったので、改めてVaubanに入り浸っていたことを自覚する。

お昼に駅でSushi屋の元同僚の友人と再会。日本好きな彼女はこの日も日本男児たちを従えていた。彼らと話してみると、奈良にある某大学の私の好きな教授が連れて来た一軍だと判明。ならばその教授がいるはずだと、即電話しつながり有頂天。毎年夏に来ることは知ってるけど、冬も毎年になりつつあるらしい。明日会えることをものすごく楽しみにする。

妙な軍団は移転したFuna Sushiに向かう。アジア食品を販売する店もある、Siegesdenkmalの建物の一角。場所的にはそりゃ駅の方がよかったと思うが、あのオーナーだから仕方がない。仕事中の友人をびっくりさせ、お土産を渡すとその時の彼女に即していたのかとても喜んでくれた。もうすぐウエイトレスの職業訓練の試験を受けるのだが、あのオーナーのこの店でここまで続けるのは他ではないストレスも受け、大変だったと思う。おそらくこの時お土産として渡したお守りの効き目が、彼女からの結婚式の招待状となって今度は私を救ってくれたのだと思う。彼女たちともゆっくりしないまま、私はまた次の待ち合わせのため、Miiteに向かった。

当時、パキスタン人の友人とアフガニスタン人の知り合いの教授の母国語が同じということがわかり、会わせる機会を作りたいと思っていたのを実行したのだ。
なかなか遭遇できないこの2国間のローカルな関係性が垣間見え、教授の奥さんの東アジア人に対する偏見が判明したり、一筋縄では行かない会であった。それでも教授はおおらかな人柄なので和やかな場で終わった。友人は当時より友達も増え、学業も次はDrと順調なので今更この会は必要なかったかもしれないけど、私としては貴重な機会であり気も済んだ。
結果的にFreiburgで会ったドイツ人、日本人以外の友達は皆イスラーム圏の人だったな。


Miiteへ戻り分かれると、またその辺で友人と遭遇。おそらくこれで3回目。cafeで何日か前のお好み焼きメンバが次第に揃い、だらだらする。その後の予定がそれぞれの待っている人を介して同じということが判明し、また新たに集って飲みに行く。そしてまた増員して飲みに行く。この日の翌日はFastnachtというカーニバルなので、二軒目にはその出場部隊の人たちが衣装をまとって盛り上がっていた。やはりFreiburgのビールが美味しいのか、この日のこの集いがそうさせたのか、ものすごく気持ちよく酔いました。そして、極限まで気持ちよく酔った私はチアリーダーに戻ります。ある一定限度以上に達すると、この現象が生まれますが、この時はほんとに酔えて、タチが悪かったな・・・

(21. Feb. 2009)

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