2010年8月30日月曜日

Kyoto: Le Petit Mec


京都・今出川大宮のLe Petit Mec
5回生の頃は、バイトとバイトの間に週1くらいで来ていたが、働きはじめてからはもはや新宿丸井の方に足を運んでいた。
休みの日のみ、京都に帰ってくる宇治市民に今出川は遠く、そうして遠のいている間に新入りたちが増えていた。

久しぶりの洋梨のタルト(基本的にここのタルトはなんでも好き)に、ココアなプチパン、後お持ち帰り用にバゲット(結局会社の同期にあげた)におかず系2点と甘い系2点。カフェオレを飲みながら、Figaro(の他、ELLE DECO、STUDIO VOICEがおそらく店主の好み)を読みふけぼーっとする時を再現。長らく手を出していなかった、サンドウィッチが食べたくなった。変わらないものと、変わった自分が見えたひと時でした。

2010年8月28日土曜日

Shanghai-Kobe: 2泊3日フェリー①

いよいよ帰国。
ユースホステルをチェックアウトし、タクシーを呼んでもらう。
フェリーは13時発で、1時間前には出国審査などしなければならない。
ちょっと時間に焦りながらも、無事フェリー乗り場に到着。
1ヶ月前に着いた地に再びいる。
その時と同様に、車両通用口から入るとすでに人の固まりがいくつかあった。
何やら日本人の団体。学生らしく、引率の先生らしき人がいる。
上海行きは断然中国人ファミリーが多かったが、日本行きは日本人が多いらしい。
久しぶりに耳に入ってくる日本語に少々びくついてしまう。
出国手続きの開始を待っていると、焦ってやってきた日本人らしき青年が。
とりあえずまだ間に合っていることを伝えると安堵する青年。
どこかで見たような風貌だなと思い、記憶を辿ると、昨夜ユースで見た
マフラーと読書姿が何故か印象的な青年だった。
手順を踏み、いよいよ乗船。
あと2泊3日で日本に着く。

(7. Mär. 2009)

<<前へ
次へ>>

2010年8月26日木曜日

Shanghai: 幸運


杭州蕭山国際空港に着いたのが予定通りの13時過ぎ。
上海のつもりでチケットを取ったけど、ここは杭州です。KFCやカフェもある、到着ゲート付近でゆっくり行動しようと悠長に構えていたが。どちらにせよ今晩は上海に1泊したいので、上海行きのエアポートバスのカウンターに行くと衝撃の事実。
バスがほとんどない。あるにはあるけど、飛行機の発着に合わせた時刻しかなく、まもなく発車する上海行きのバスを逃すと次が完全になかった。しかもカードで支払えず、慌てて元を引き出しチケットを購入。すでに発車していたバスの乗務員とカウンターのお姉さんが連絡を取ってくれ、私のためにバスを引き返してくれた。
あぁ、間一髪。気づくのがもう少し遅ければアウトでした。何せ上海までバスで3時間かかるのです。

3時間もバスに乗っているのは暇。整備された高速道路を快調に飛ばし、上海入り。
高架下の怪しげな停留所にバスは止まり、乗客たちは降ろされる。適当に散っていく現地の住民に、少々戸惑う異邦人。
地理も見当が付かず、英語なんて通じず、止まっていたタクシーに乗るしか先が見えなかった。角刈りでメーターのないタクシーの運転手のおじさんに、“明日、フェリーに乗るからその近くのホテルに行きたい”ことを、筆談を交えながら必死に訴える。運転手のおじさんは、自分の携帯に私の訴えを言うように促し、とりあえずそうすると、ちょっとは理解してもらえたように車を走らせた。
1件、ホテルに案内してくれだが、1泊が結構高く、カードが使えなかったか何かの理由で諦める。その間もスーツケースは積んだままなので、逃げられやしないかどきどきしてしまった。さらに付近を走ってもらい、路地を通りすぎるときに「ユースホステル」のマークが見えた。必死に引き戻してもらうよう訴え、フロントで空いているベッドがあることを確認。安堵とかなり消耗した頭で、運転手のおじさんが最初に提示した金額から交渉して、確か70元くらい払った。
あぁほんとこんなに意思の疎通ができなかったのは初めてだった。しかも隣の国で。何よりユースの看板を見逃さなかった私にあっぱれだったけど、危なかったな・・・

カードキーのデポジットを含んだ料金を支払い、部屋に入る。どうやらこのユースは新しそうできれい。見つけたところがここでほんとによかった。所持金の少ない私は、2つ先の角にATMがあると言うので、外に出ることにする。
さすが中国、ひとつの角がでかかった。ATMでなぜか引き出しができないので、残高を確認すると、なんと150円くらいしかなかった。フェリーでは円が使えるが、明日のことがあるので、あの手段は使いたくなかったけど、日本に着いたら即入金する気合いで、クレジットから借り入れる。
手にした元を持ち、セブンイレブンが見えたので食糧を調達し、ユースでお湯をもらってカップ麺を食べる。それでもなんだか腹が落ち着かないので、軽食も出すラウンジで何か軽く食べる。日本で働いていたというアメリカ人や、明日高山鉄道か何かに乗るという日本人のおじさんに絡まれる。

同室には何人か女の子が泊まっていたようだけど、結局だれにも会わずに就寝。
いよいよ明日、フェリーに乗る。

(6. Mär. 2009)

<<前へ
次へ>>

2010年8月24日火曜日

Kuala Lumpur-Shanghai: 5時間AirAsia


前日の下調べにより、KL Sentralからクアラルンプール国際空港へ向かう際、エアアジア利用者はエアポートエクスプレスには乗ってはいけないことを察した。ホテルをチェックアウトし、KL鉄道駅をほぼ始発に近い時間に出て、KL Sentralから真っ赤なAirAsiaの香り満載のバスに乗り込む。FAさんたちも普通に利用するようで、隣に座ったお姉さんは、がっつりお化粧タイム。1時間もあれば充分濃く仕上がります。

着いたところはLCCT (Low Cost Carrier Terminal)。要するにクアラルンプール国際空港をハブとする、AirAsiaの居城ともいうべきターミナル。大きな箱のような建物に雑踏と出国カウンターが並ぶ。荷物の多いアジア系ファミリーが多いなか、稀に一応ビジネスっぽい人や欧米系ファミリーもいた。おそらくオーストラリアの方でしょう。自分の行き先のカウンターでパスポートさえ見せれば発券してくれた。メールを見せる必要さえない。楽になったもんだ。


リンギットが余ったので、コーヒーとちょっと空きっ腹に入れてもよいものを摘みながら、自分の便が呼ばれるのを待つ。
聞き取りにくいし、表示板も怪しい(わかりにくい)ので、耳頼り。いよいよ呼ばれ、自分の足で飛行機まで向かう。あぁ久しぶりのこの感じ。自ら搭乗スタイルは、GermanwingsやAirBerlinではなく、Ryanairに通ずるものがあります。

そう、ヨーロッパのLCCに乗ったことはあったけど、アジアはなかったので単に乗ってみたかったのだ。それをも考慮して仕組んだ旅程でした。後からわかったけど、LCCTはクアラルンプール国際空港の、貨物地区につくられたターミナルらしい。あの設備の感じがとても納得。そしてテイクオフ。


座席は狭めでも、食事があるのでそれを最低限考慮した広さ。こんなモニタも付いてました。何かするには有料ですが。
チケットを買った時、朝も早いので食事をオーダーしておいた。ちなみにベジミール。が、しかし置かれた食事は濃い色の焼き飯に、焼き鳥のようになにか串に刺さった肉魂のようなものが一本。ベジにも種類があって、そのなかから選んだのに絶句。エアアジアの食に対する気の配り方を心得る。そんな私の横を、FAのお姉さんたちはToxicのブリトニーのように歩いていく・・・

そして始まる機内販売。事前に前シートのポケットに入ったリストを見ていると、AirAsiaキャリア型のUSBメモリを発見。
自分にもいいなと思ったけど、弟土産にいいかもと買う気でいたのだが。肉魂の串事件に対するショックと、前のインド人ぽいおじさんがやたらと長々注文しているので冷めてしまい、お姉さんを呼び止めることはなかった。そして上海、といっても杭州の空港に無事、到着。

(6. Mär. 2009)



2010年8月22日日曜日

KL: 夜、クアラルンプールの路上にて


この写真、お気に入りです。
ぶらぶらしながら偶然撮れた一枚。ペナン島もだったけど、マレーシアはこういう、屋外ぶら下がり照明が多かった気がする。気のせいだと思うけど。
インド人街に行きたかったけど、それはちょっと断念。そんなに遅い時間じゃないけど、辺りがしっかり暗くなったので帰路へ。歩いている途中モスクがあり、コーランが聞こえてきた。その建物へ吸い込まれていくのは男性ばかりなので、門をくぐるのは遠慮した。

(5. Mär. 2009)

<<前へ
次へ>>

2010年8月21日土曜日

KL: 24時間


翌日の朝8時10分の飛行機で旅発つため、KLに居られるのはちょうど24時間ほど。
私がチェックインしたのは、KL Sentralの隣のKL鉄道駅構内にある、The Heritage Station Hotel Kuala Lumpur という約100年の歴史をもつ、クラシカルなホテル(参考書情報)。この旅においては、ちょっと贅沢のつもりで、翌日の移動にも便利でホテル自体にも惹かれたので決めました。
早朝にも関わらず対応してくれて、シングルの部屋はなかったけど、ツインでも安い部屋があったので即断。一泊、日本のユースホステル並みのお値段でした。この湿気と暑さに耐えてきた木造の館内は、旧式なエレベーターや当時の意匠のある、夜がちょっと怖そうな洋館。外観も解釈に迷う不思議な出で立ちでした。


部屋のふかふかのベッドがとても嬉しい。ひと休みしてから、いざ外へ出てみる。
何せ24時間もないので、郵便局、モノレールに乗る、ツインタワーへ行く、くらいにゆるく目的を設定。まずはちょっと歩こうと、Sentral駅前のチャイナタウンを通過するとスタバを発見、そして逃げ込む。現金不足のため、カードの使えて(確かWifiも入ったような)カフェは私の味方。何せすごい湿気で、不快指数が高い。
気を整えたら、道に惑わされつつも郵便局へ到着、ポストカードを郵送し、土産用に切手を買う。そこからツインタワーの方を目指すつもりで、モノレールやLRT(と言っても高架鉄道)に乗るも、なんだか乗り換えや路線の連結がよくわからない。ただビルとビルの間を行く、近未来的な都市構造に驚いた。

本当はツインタワーに登りたかったけど、展望台へは整理券が毎日枚数限定で配られるそうなので断念。最寄り駅KLCCの人の多さにびびりながら、そのままの流れで地下の巨大なモールフロアへ進む。ISETANがあった。人にも酔うし、買い物にも興味がないので地上へ出る。


その近辺の店でちょっと早いけど、カードOK(確かWifiもOK)な店でVeg.のラザニアか何かを注文する。かなり待たされたけど、お兄さんたちの感じがよかった。腹ごしらえをしたら、またそのまま辺りをうろつく。現地で調達した地図を持っていたけど、どうも位置が掴みにくい。ハードロックカフェがある所や、色々な建物を手がかりに現在地を把握して、ぶらぶらする。

(5. Mär. 2009)

<<前へ
次へ>>

2010年8月20日金曜日

Butterworth-Kuala Lumpur: 9時間夜行列車


列車はButterworth発ではなく、タイのHat Yaiから来ているため、既に乗客があった。
私の座席は完全な寝台タイプで、カーテンを閉めればすぐに寝れてしまう感じ。二段式の下で上に乗客は来ない模様。通路挟んで向かいには、大人サイズと小さなサイズの靴があった。同じ車両のほとんどのカーテンは閉められているけど、向こうの方で上下段、向かい合わせで乗車している家族?か仲間の姿があった。

スーツケースを固定させ、カーテンを閉めてうずくまる。寝るにはいいけど、本を読むには暗い。
だから隙間を作って明かりを入れて、眠くなるのを待った。乗務員さんが通りかかる気配を感じたので、食堂車はあるのか聞いてみた。向こうのほうにあるとのこと、しかも何時までとか時間制限なしに、クアラルンプールに着くまで開いているらしい。今までどれだけの夜の移動をしてきただろうか。夜行列車もないことはなかったけど、夜に食堂車を求めたことはなかった。少しおとなしくしてから、いざ、貴重品と参考書を持って、食堂車へ行くことにする。

乗務員のような制服を着た兄さんたちや、おじさん、などとりあえず雄雌なら男ばかりだった。
そんなことはこの時気にしていないけど、とりあえずカウンターで何か暖かい飲み物でも頼み、唯一空いていた4人掛けに座る。夜だしなんだか落ち着かない。皆も暇をつぶしているのだろうが、ちょっと緊張した心持ちで私は座っていた。すると前に兄さんが腰掛けてきて、話をすることに。たしかクアラルンプールの近くで日本の車メーカーで働いていると言っていたような。長さのあるあご髭がねじねじとあごから垂直に下を向いていて、単純にそれが一番印象的だった。明らかに地元民ではない、アジア女が一人でいると、彼らにとっては格好の興味の対象となってしまう。それは仕方がないことだが、そういえばこのねじねじの兄さんは私が日本人だと問題なく当てた。職場が関係しているのか、クアラルンプールという街がそうなのか、マレーシアに入ってからは“どこから来たでしょうクイズ”の正解率が高くなった。

もうちょっと食堂車に居座るつもりだったけど、あの食堂車の怪しい雰囲気に負け、ベッドに入ることにした。
予定到着時刻は5:20。6時には列車を降り、KL Sentralの駅構内にいた。日本語が多い。高校のマレーシアやシンガポール帰国の面々を思い出す。
こんな早朝、開いている店は万国共通なのかマクドナルドに人が吸い込まれていいく。私もそこに座って、KLに着いたことに一息つき、参考書情報で決めていたホテルに向かうことにする。

(5. Mär. 2009)

<<前へ
次へ>>