2010年7月24日土曜日

Nagano: 松本


ひさしぶりの夜行バス。目的地のリンクから予約した阪急バスは、とてもよかった!あのごみごみした八条口ではなく、新阪急ホテル前からの出発。わざわざ選ばなくとも3列シートで、足を延ばして快眠できました。これから夜行バスを利用するときは、阪急バスにします!

この、ひさびさの“旅”の感じに友達と2人してかなりうきうき。6時過ぎ、予定通り松本着。私は初めての松本に、酸素が薄いような感覚をおぼえる。目的地で働く友達のおすすめ、「まるも」という民宿の喫茶店を目指し、中町通りの蔵作りの風情を楽しむ。

喫茶店のオープンまで少し時間があったので、松本城へ。北アルプスをバックに映える松本城。海もそうだけど、あんなに高い山がここの人たちには日常的な、私の非日常が新鮮。また、これだけ早朝からアクティブに活動することも久しくなく、自分たちの生活の変化を痛感する。


「まるも」のモーニングはご覧の通り、あの食パンにテンションがあがります。私の中で食パンは、あまり友好関係にない“チームふわふわ”に属しますが、いい焼き加減と促されてやってみた+お塩の食べた方で楽しめました。昭和レトロな、ダークトーンな空間に包まれ腹ごしらえし、穂高へ向かう。

2010年7月23日金曜日

Kyoto: 宵山


7月16日(金)、今年の宵山は夜8時頃に出陣。
生まれて此の方京都なのに、一昨年初めてちゃんと目の当たりにした祇園祭。
はまった私は山鉾と、宵山の(今夜で終わり、明日は巡行という)雰囲気を堪能しながら、ひとり手ぬぐいを買い集めるため奔走します。大勢の人が家族・友人・恋人連れで楽しむ中、時に尋常じゃないペースで先を急ぎ、いい場面をカメラに納める様は、おじさんカメラマンたちと同類でしょう。

32基の山鉾は、四条烏丸から西にほとんどが点在する。今年は唯一東南に在る、まだ見たことのない保昌山からスタートすることにした。浴衣を着た子供たちが祇園祭のお歌を歌って山鉾グッズを売っている。手ぬぐいは品目になかったが、竹の持ち手の「縁結び 保昌山」と描かれたうちわを購入。気分をあげながら東西に、徐々に北に進みながら、出店を出している友達の会社前へと向かう。


去年、山鉾の手ぬぐいの柄は、毎年変わるものではない(一部除く)と気づき、主に鉾系統を買いに走った。今年は山を攻めよう、と思っていたので山の多い南から行くのは正解だった。山は鉾と違ってお囃子メンズたちがいないので、どこの山でも子供たちがお歌を歌っていて可愛かった。
私が一、二に好きな船鉾(写真上)に差し掛かる。その手前で出町柳のfalafel gardenの出店を発見。お店の仕様とはちょっと違う、ファラフェルを食らいながら、船鉾を鑑賞。大きくなればお囃子を奏でることになるであろう、予備軍の少年たちが船の先頭に陣取っていた。明日の巡行は見れないけれど、細い新町通りから四条通りという大海に姿を現す船鉾を思い出して、にんまりした。
やはり特別な月鉾。最も重く、背が高い月鉾は、一番綺麗だとも思う。一昨年させてもらった、ちまき売り巫女レディースは今年も健在(写真中)。むしろ今年もタイミングがよければ休みを取って、応募しようかと思っていた。月鉾で厄よけちまきを買おうと思っていたが、既に完売。さすが月鉾である。

待ち合わせの10時に時間も押してきたので、新町を北上。大きな鉾が多い四条通りより北側は、混み方が違う。なんとか三条室町まで来ると、ひと一倍威勢のいい声でタコスを売る友達が。道中何人か耳を引く呼び声の人は居たけども、彼女が一番でした。とりあえず生ビールを頼み飲んでいると、これから一緒に長野へ向かう友達も登場。タコスも食べて祭りムードむんむんの中、談笑してその場を後にした。


手ぬぐいは、来年は来れないから極力買おうと思っていたけど、ある程度買い集めると満足し、また今度でいいかという気分になった。ものには限度。いっぱいより溢れてしまうのは苦しいものである。
今年のお気に入りは木賊山。売り子の女の子が、四種類(水流、ねこ、うさぎ、木賊)を紹介してくれたけど、見本がなく、水流を水牛だと思って買った一枚がよかった。後で見本を置いているブースで見たけど、四種類ともデザインも色もよかった。あと、伯牙山。二種類、両方とも単色だけど、動きのあるデザインがよかった。毎年売られている油天神山の変わり種、山鉾の配置図の手ぬぐいも手に入れ、大満足な2010年の宵山でした。

2010年7月13日火曜日

Malmö: にんじんと、その他


LundからMalmöへは新快速くらいの速さの電車で15分ほど。
Skåne地方で使える、電車のチケットを買う時にお得なカード(PasmoやSuicaのようなチャージはするが、発券する必要がある)で、Sと私はチケットを買い、ちょっと遠足気分にうきうきした。

Malmöはスウェーデン第3に大きい都市(といっても人口30万人ほど)なので、Lundからすると駅も大きい。
急ぎ足で大学へ向かい、授業前にJのクラスメイトとも顔を合わせた。勝手な印象、スウェーデンを留学先に選ぶ学生は、なんだかとても先例されている気がした。ドイツにしろ日本にしろ、その国に惹かれる人というのは、その興味の対象・関心の深度にともない共通した性格や思考が根底にあると思う。行き先は人それぞれだけど、スウェーデンや北欧諸国の場合、留学生の質がいいと思った。

この日が初回だという留学生も多く受ける"Realisum"の授業に参加した。英語の授業だったけど、何も苦なく聞いている彼らに対し、自分の英語力のなさに頭が詰まる。社会学的範疇だけど、辛うじて?リヴァイアサンに反応できたくらいだった。
私という人間は、果たして大学に行くべきだったのか、これは入学当初から付きまとっている疑問だけど、この時も自分の学術的センスのなさに肩身が狭かった。興味はあるけど、感覚的センスの方が勝っている気もするし、どちらにも転べるのかもしれないけど、結局まだどちらにも身を定められずにいるのである。


授業後、学生の自治会?のような組織に顔を出すというJ。
Jは帰国後、専門を一つ増やし、ダブルフルタイム学生と自称するほど忙しく、授業以外のことにも積極的に頑張っていた。
Sと私は先にLundに帰ることにするが、その会議が始まる前に、連れて行きたい場所があるとのこと。
「にんじんと、その他」(写真上)という、Bio専門のスーパーだった。ネーミングにまたきゅんとして、Malmöでもこういう場所が確認できたことを嬉しく思い、店内を見て回る。Jは量り売りのナッツ類を持って来た袋に詰めている。

ドイツのFreiburgという特異な街の、さらにその濃度の高いVaubanにいたために、Bioな食品を扱うスーパーは身近だった。ALNATURAというスーパーがそれにあたり、Freiburgには2つあるが、SはALNATURA製品は知っていても、そのスーパーが存在するとは知らなかった。冷蔵されている豆腐ハンバーグを見つけ、その裏のシールを彼らに見せて、これは"made in Freiburg"だと、私は得意げに言った。いつかSとJにFreiburgを案内したいと思う。

(24. Feb. 2009)

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2010年7月12日月曜日

Lund: 寒くない


Jに連れられLundの街を歩く。
ここもFreiburgや他のドイツの街のように自転車が多い。自分が好きな似通った風景にどこか落ち着くものがある。レンガのだいたいの建物の高さが2階か3階建てで、その小ぶり感がまたいいのだ。そして始まるJの案内。いつからそんなガイド口調が上手かったんだと思うほど小のり調子で、市立図書館〜、一番いい本屋〜とそれぞれ地元語も交えて教えてくれる。ルンドのドーム(大聖堂)は、中が白く、装飾の少ない様式だった。ものすごく寒いスウェーデンなのだ、そんなに手の込んだ作業ができるほど温かい時期が少ないからなのかなと思った。

実はMünchenの方が寒かった。Lundはお天気もよく、何より雪が全然降っていない。その2年前の2月末、StockholmからKopenhagenまで旅行するはずだった冬生まれの2人組は、3日目2都市目のGöteborgで高熱に倒れ続行不可となり、ドイツへ自らを強制送還したのだ。その時のトラウマで相当覚悟して構えていた私だったが、この辺り"Skåne(スコーネ)"と呼ばれる地方は丘が多く、雪が降ってもあまり積もらないらしい(北部に比べて)。5週間の弾丸な旅行で風邪を引くわけにもいかない私に思わぬ朗報であった。

ドイツは冬セメスターの試験が終わり休みなのだが、スウェーデンはまた学期の周期が違うようでJは授業がある。Malmö大学でも学生登録をしているらしく、午後からは授業のあるJに付いてMalmöに行くことにした。

(24. Feb. 2009)

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Lund: Hej

Jは街と反対側の学生寮に住んでいた。
駅から線路をまたぐ鉄橋を渡ると、使われていない列車があった。Lundのユースホステルらしい。そのかわいさに、Jの部屋じゃなくてこっちに泊まろうかなんて冗談も言いながら、半年振りの再会を実感する。
彼らと一緒に過ごした京都は、学生として暮らした京都で一番楽しい時だった。
私たちの共通語は当時から日本語で、私がドイツに行った後だからそこ楽しめて、4年で卒業していたら出会えなかった、ほんとに気の合う仲間なのだ。
寮は私の知るドイツの学生寮からすると小振りな3階建てで、その温かみがまさに“北欧”な感じがした。
Jの部屋は割と日本の一人部屋に近いサイズで、いろんなものが散らかっていてかわいかった。荷物をひとまず置き、晩ご飯の食糧を買いに出る。廊下ですれ違うと皆互いに「Hej(ヘェイ)」と挨拶をする。きゅんとくる響きである。

駅前のおそらく割と多くのLund市民の食を担っているだろうスーパーでお買い物。
普通のスーパーだけど、Bioのコーナーや野菜があったり、Jもスウェーデンのビオマークについて教えてくれた。朝ご飯などとりあえず必要かなと思うものをカゴに入れるが、自分でバーコードリーダーを持ち、バーコードを読み取っていくJ。バーコードを読み取った人専用のレジでバーコードリーダーを渡し、カードをかざせば会計は一瞬で済んだ。もちろん従来型のレジの人がバーコードを読み取るレジもあるのだが、システムを用い自分がひと手間かけ、効率化の先にある効果を選ぶJなのだ。
3人でいるのはどこにいるにしても楽しい。寮のキッチンはそのフロアごとの中央に1カ所、15、6人が使う、それに値する収納と広さがあった。冷蔵庫の陣地分けや掃除に関する寮ならではの文化がとても懐かしい。ここでも来る人皆気さくに「Hej」と言ってくれ、それだけでなんだか嬉しくなる。

料理をするのにSと私で試行錯誤していると、後ろから何か声がかかった気がして振り向くと、とてもかわいらしい女の子。話でよく聞いていたJの彼女のMだった。私たちが料理に気を取られていたせいか、Mが気配なく現れたせいか、そこにいた存在にかなり驚いた。彼女がドイツ人だと知っていたが、私はあんなにかわいいドイツ人に初めて出会った。
実はSとJと私のファーストコンタクトの場所にMもいて、その時私が一緒だった韓国人の友達と、Mのかわいさにどこの国の人だろうと想像したものだった。あとからドイツ人と聞いてびっくりしたのだが、もちろんドイツ人がかわいくないわけではなく、Mにドイツ人とは一線を画した雰囲気があるのだ。

ごはんを食べ片付けをし、部屋でまったりしながら明日の予定を話す。私はJの寝袋を借りて皆で転がって寝た。

(23. Feb. 2009)


2010年7月11日日曜日

Heidelberg-Malmö-Lund: 16時間バス+フェリー+鉄道


友達Sはたくさん食糧をバックパックに入れて来ていた。
こちらの夜行バスも日本ととりわけ大きさも変わらず、荷物も多いので落ち着くポジションを何とか確保し、それをちょっともらう。私が好きなKräuterbutter(ハーブやスパイス入りのバター)があり、そういえば好きだったのになぜか忘れていたことに気づいた。パンと相性バツグンである。りんごも食べたらとりあえず寝る。

早朝、バスがまもなく着きそうな段階に差しかかっている頃に目が覚める。
着いたのはHamburg。何か近代的なバスターミナルで、今度はKopenhagen行きのバスが来るのを待つ。ここにヨーロッパ各地からのバスが集い、客は乗り換えを行う。
バスに乗ると、通路挟んで横に中国人の女の子がふたり。パリに留学中で、割と弾丸な北欧旅行を企てているようだった。同じアジアから来ているものとして親近感をおぼえる。前には黒人のおばさんがひとり。ブリュッセル辺りから来たと言っていた。Sは中国語もフランス語も話せるので、その多様さをいつもすばらしく思う。

あまり意識していなかたけど、そういえば海を渡るのである。
かつて「ドイツ 鉄道の旅」という本で、鉄道を丸ごとフェリーに乗せる“渡り鳥のコース”なるルートがあることを知り、いつか乗ってみたいと思っていたのがこれなのだ。Heidelberg-Malmö間でバスのチケットを買うとき、特にそんなことを明記しているわけでもなく、デンマークを通ることさえ忘れていた。


ドイツはPuttgardenでパスコントロールを受け出国、トラムの抜き打ちチケット検査みたいでちょっと緊張した。フェリー内に停まったバスから出て、45分間のフェリーを楽しもうと船内を徘徊する。黒人のおばさんはフランス語のみ会話できるようなので、Sと私も頭にある限りのフランス語を出して楽しくおしゃべりをする。デッキへ出ると、ものすごい強風。立っていることもままならないので、楽しむ間もなく室内へ退散。レストランや免税のお店もあり、皆思い思いの時間を過ごした後、バスへと戻る。

デンマーク、Rødbyで入国のパスコントロール。制服に身を包んだおじさんとおばさんが車内に見回ってくる。だいたいの人がすんなりOKだったが、前の黒人のおばさんがどうやら引っかかっているようだ。中国人の子とSは通訳に名乗り出ようとしたほど、皆で心配したが、結局おばさんは外に連れ出されたまま帰ってこなかった。おばさんの荷物を取りに来た人に聞くと、至上2度目の「国境で人が捕まる」に遭遇したことがわかった。
以前スイスで国境警察が列車に乗り込んで来たとき、同室のコンパートメントの黒人の兄さんが、横で手錠をかけられたことがあった。彼はDresdenからNapoliまで運ぶ気満々だったようだが、このおばさんはどうも自らその気があったようには思えない。割と楽しくコミュニケーションを取った後だったので、ショックだった。憶測を走らせてもしょうがないが、もし仮にさせられていたなら、とても哀れに思う。

Kopenhagenに着き、中国人の彼女たちと分かれる。バスを降りたのは鉄道駅が見える、車が行き交う道路上だったが、そこで何かの手違いでここからMalmöまでのバスは出ないことを告げられた。鉄道でMalmöまで移動することになり、買ったチケットを駅構内のバス会社に請求するはずだったが見つからず、今後私が乗るときに請求することになった。これに際してKopenhagen初上陸の私たちを、同じバスだったシャツが素敵な紳士がちょっと助けてくれ、移動中も相席し色々話をしてくれた。おじさんはMalmö近郊に住む人で、割とあのバスを使うことがあるそうだ。北欧に住む人たちからすると、オランダから流れてくる麻薬に迷惑していると言っていた。“まさに”な光景に出くわしたけど、島国の人が憧れる陸続きの国の悩みどころを知った。

15時半頃、ようやくLundに着き、友達Jと再会!髭をたくわえて、また新たな一面を見せてくれている。

(22. 23. Feb. 2009)

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Freiburg-Heidelberg: 3時間鉄道

FreiburgからHeidelbergまでは一瞬だった。
途中、Tübingenに住む友達も予定通り同じ電車に乗り合わせて来て、再会をした。
これから彼女とSwedenのLundに住む友達の元に行く。前から計画をして、楽しみにしていたのに、この時ばかりはFreiburgに残してきたおもいが大きすぎて、気持ちを前に向けられなかった。それを彼女も察してか、私は涙も出てくるし、2人いるのに静かな電車だった。

Freiburgで人と過ごす時間が長くなると、去るときに辛くなると思い、わざとあまり来ることを知らせずやってきた。それに私がそんなにFreiburgに求められている自信もなかった。
ある時はそれが功を奏して、あまりの再会の時の短さを残念がってくれる人もいた。だけれど向こうにとって何気ない一言が、こちらに突き刺さってくるもので、どうして彼らがここに居られて私が居られないのかと、自分がここを目指して来た長さを思うと、信じられないくらい悔しかった。
それは私が本気で滞在しなかったからだと、今となっては百も承知なのだけど、私があの街に居られないという事実が、今まで感じた何よりをも勝って辛かった。
自分の可能性を感じるからこそ、自分に対して悔しくて、必ず戻ってくるとより一層強くおもった。

Heidelbergは、初めて駅の外に出た。辺りは既に真っ暗で、あまり様子がわからない。駅近くのチャイニーズ・レストランで晩ご飯を食べ、ゆっくりしても割と時間に余裕がある。気分もなんとか落ち着いてきたので、Swedenでの楽しいことを考えられるようになった。その反面、前回同じく2月のSwedenの寒さに破れたことを思い出し、覚悟してバスに乗り込んだ。

(22. Feb. 2009)