2010年8月24日火曜日

Kuala Lumpur-Shanghai: 5時間AirAsia


前日の下調べにより、KL Sentralからクアラルンプール国際空港へ向かう際、エアアジア利用者はエアポートエクスプレスには乗ってはいけないことを察した。ホテルをチェックアウトし、KL鉄道駅をほぼ始発に近い時間に出て、KL Sentralから真っ赤なAirAsiaの香り満載のバスに乗り込む。FAさんたちも普通に利用するようで、隣に座ったお姉さんは、がっつりお化粧タイム。1時間もあれば充分濃く仕上がります。

着いたところはLCCT (Low Cost Carrier Terminal)。要するにクアラルンプール国際空港をハブとする、AirAsiaの居城ともいうべきターミナル。大きな箱のような建物に雑踏と出国カウンターが並ぶ。荷物の多いアジア系ファミリーが多いなか、稀に一応ビジネスっぽい人や欧米系ファミリーもいた。おそらくオーストラリアの方でしょう。自分の行き先のカウンターでパスポートさえ見せれば発券してくれた。メールを見せる必要さえない。楽になったもんだ。


リンギットが余ったので、コーヒーとちょっと空きっ腹に入れてもよいものを摘みながら、自分の便が呼ばれるのを待つ。
聞き取りにくいし、表示板も怪しい(わかりにくい)ので、耳頼り。いよいよ呼ばれ、自分の足で飛行機まで向かう。あぁ久しぶりのこの感じ。自ら搭乗スタイルは、GermanwingsやAirBerlinではなく、Ryanairに通ずるものがあります。

そう、ヨーロッパのLCCに乗ったことはあったけど、アジアはなかったので単に乗ってみたかったのだ。それをも考慮して仕組んだ旅程でした。後からわかったけど、LCCTはクアラルンプール国際空港の、貨物地区につくられたターミナルらしい。あの設備の感じがとても納得。そしてテイクオフ。


座席は狭めでも、食事があるのでそれを最低限考慮した広さ。こんなモニタも付いてました。何かするには有料ですが。
チケットを買った時、朝も早いので食事をオーダーしておいた。ちなみにベジミール。が、しかし置かれた食事は濃い色の焼き飯に、焼き鳥のようになにか串に刺さった肉魂のようなものが一本。ベジにも種類があって、そのなかから選んだのに絶句。エアアジアの食に対する気の配り方を心得る。そんな私の横を、FAのお姉さんたちはToxicのブリトニーのように歩いていく・・・

そして始まる機内販売。事前に前シートのポケットに入ったリストを見ていると、AirAsiaキャリア型のUSBメモリを発見。
自分にもいいなと思ったけど、弟土産にいいかもと買う気でいたのだが。肉魂の串事件に対するショックと、前のインド人ぽいおじさんがやたらと長々注文しているので冷めてしまい、お姉さんを呼び止めることはなかった。そして上海、といっても杭州の空港に無事、到着。

(6. Mär. 2009)



2010年8月22日日曜日

KL: 夜、クアラルンプールの路上にて


この写真、お気に入りです。
ぶらぶらしながら偶然撮れた一枚。ペナン島もだったけど、マレーシアはこういう、屋外ぶら下がり照明が多かった気がする。気のせいだと思うけど。
インド人街に行きたかったけど、それはちょっと断念。そんなに遅い時間じゃないけど、辺りがしっかり暗くなったので帰路へ。歩いている途中モスクがあり、コーランが聞こえてきた。その建物へ吸い込まれていくのは男性ばかりなので、門をくぐるのは遠慮した。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月21日土曜日

KL: 24時間


翌日の朝8時10分の飛行機で旅発つため、KLに居られるのはちょうど24時間ほど。
私がチェックインしたのは、KL Sentralの隣のKL鉄道駅構内にある、The Heritage Station Hotel Kuala Lumpur という約100年の歴史をもつ、クラシカルなホテル(参考書情報)。この旅においては、ちょっと贅沢のつもりで、翌日の移動にも便利でホテル自体にも惹かれたので決めました。
早朝にも関わらず対応してくれて、シングルの部屋はなかったけど、ツインでも安い部屋があったので即断。一泊、日本のユースホステル並みのお値段でした。この湿気と暑さに耐えてきた木造の館内は、旧式なエレベーターや当時の意匠のある、夜がちょっと怖そうな洋館。外観も解釈に迷う不思議な出で立ちでした。


部屋のふかふかのベッドがとても嬉しい。ひと休みしてから、いざ外へ出てみる。
何せ24時間もないので、郵便局、モノレールに乗る、ツインタワーへ行く、くらいにゆるく目的を設定。まずはちょっと歩こうと、Sentral駅前のチャイナタウンを通過するとスタバを発見、そして逃げ込む。現金不足のため、カードの使えて(確かWifiも入ったような)カフェは私の味方。何せすごい湿気で、不快指数が高い。
気を整えたら、道に惑わされつつも郵便局へ到着、ポストカードを郵送し、土産用に切手を買う。そこからツインタワーの方を目指すつもりで、モノレールやLRT(と言っても高架鉄道)に乗るも、なんだか乗り換えや路線の連結がよくわからない。ただビルとビルの間を行く、近未来的な都市構造に驚いた。

本当はツインタワーに登りたかったけど、展望台へは整理券が毎日枚数限定で配られるそうなので断念。最寄り駅KLCCの人の多さにびびりながら、そのままの流れで地下の巨大なモールフロアへ進む。ISETANがあった。人にも酔うし、買い物にも興味がないので地上へ出る。


その近辺の店でちょっと早いけど、カードOK(確かWifiもOK)な店でVeg.のラザニアか何かを注文する。かなり待たされたけど、お兄さんたちの感じがよかった。腹ごしらえをしたら、またそのまま辺りをうろつく。現地で調達した地図を持っていたけど、どうも位置が掴みにくい。ハードロックカフェがある所や、色々な建物を手がかりに現在地を把握して、ぶらぶらする。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月20日金曜日

Butterworth-Kuala Lumpur: 9時間夜行列車


列車はButterworth発ではなく、タイのHat Yaiから来ているため、既に乗客があった。
私の座席は完全な寝台タイプで、カーテンを閉めればすぐに寝れてしまう感じ。二段式の下で上に乗客は来ない模様。通路挟んで向かいには、大人サイズと小さなサイズの靴があった。同じ車両のほとんどのカーテンは閉められているけど、向こうの方で上下段、向かい合わせで乗車している家族?か仲間の姿があった。

スーツケースを固定させ、カーテンを閉めてうずくまる。寝るにはいいけど、本を読むには暗い。
だから隙間を作って明かりを入れて、眠くなるのを待った。乗務員さんが通りかかる気配を感じたので、食堂車はあるのか聞いてみた。向こうのほうにあるとのこと、しかも何時までとか時間制限なしに、クアラルンプールに着くまで開いているらしい。今までどれだけの夜の移動をしてきただろうか。夜行列車もないことはなかったけど、夜に食堂車を求めたことはなかった。少しおとなしくしてから、いざ、貴重品と参考書を持って、食堂車へ行くことにする。

乗務員のような制服を着た兄さんたちや、おじさん、などとりあえず雄雌なら男ばかりだった。
そんなことはこの時気にしていないけど、とりあえずカウンターで何か暖かい飲み物でも頼み、唯一空いていた4人掛けに座る。夜だしなんだか落ち着かない。皆も暇をつぶしているのだろうが、ちょっと緊張した心持ちで私は座っていた。すると前に兄さんが腰掛けてきて、話をすることに。たしかクアラルンプールの近くで日本の車メーカーで働いていると言っていたような。長さのあるあご髭がねじねじとあごから垂直に下を向いていて、単純にそれが一番印象的だった。明らかに地元民ではない、アジア女が一人でいると、彼らにとっては格好の興味の対象となってしまう。それは仕方がないことだが、そういえばこのねじねじの兄さんは私が日本人だと問題なく当てた。職場が関係しているのか、クアラルンプールという街がそうなのか、マレーシアに入ってからは“どこから来たでしょうクイズ”の正解率が高くなった。

もうちょっと食堂車に居座るつもりだったけど、あの食堂車の怪しい雰囲気に負け、ベッドに入ることにした。
予定到着時刻は5:20。6時には列車を降り、KL Sentralの駅構内にいた。日本語が多い。高校のマレーシアやシンガポール帰国の面々を思い出す。
こんな早朝、開いている店は万国共通なのかマクドナルドに人が吸い込まれていいく。私もそこに座って、KLに着いたことに一息つき、参考書情報で決めていたホテルに向かうことにする。

(5. Mär. 2009)

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2010年8月19日木曜日

Pulau Pinang: Penang Island


ということで、さっそく鉄道の駅から看板が示す方向に進んでフェリーに乗車。
まさかのペナン島行き。行き先と旅程を完全に決めてかかった旅の中で、唯一思ってもみなかった地名。
もうひたすら流されている。常夏な気候だけど、フェリーは風をきるので気持ちがよい。イスラム教が国教なので、スカーフをした女性をちらほら見かけて新鮮に思う。

20分ほどでペナン島に着くと、参考書の地図を手がかりにして、街の中心の方へ向かう。
ジョージタウンという、この島で最も栄えているエリアにある、Komtar: コムタという巨大な複合ビルを目指すことにする。知らなかったけど、ここはマレーシア第2の都市で、リゾート地でもあり、実は世界遺産の街。その街並みは、確かに淡くカラフルな建物の色合いがさわやかで、この気候に似合っていた。

暑くて朦朧としながらも、パラソル付きの人力車には乗らずただ歩き、コムタ周辺に着いてスタバを発見。しかもどうやらwifi完備+電源が取れるようなので、3つ穴の接続部をその辺で買って、ちょっと居座ることにする。
もう、なんだか完全に守りに入っている。現地民の集わないスタバに留まること自体、敗北しているに等しいが、身体がそれを求めてしまった。そんな守りに入った自分を鼓舞して、マレーシアの「素食」レストランに行くことにする。


扉のない、道路に面した店構えで、自分の好きな料理を皿に盛る。量り売りだった。割と一人でふらっと食べにきているような客がいて、ベジタリアンレストラン特有の痛い感じがなかった。要するに食べ物の選択肢として市民権を得ているということ。この善し悪しで、その街の文化を汲み取ることもできるだろう。

長居する雰囲気ではなかったため、そこから近い、街の中心部の拡大図にもなるエリアをサラッと通る。安宿街で、もし自分がここに泊まるならあんな宿なんだろうな、ともしもを想像しながら軒先を拝見する。おもしろいことに、止まっている車、通り過ぎる車が結構いい車。昔のベンツとか。なんだったか、際立って多いなと思った車種があったけど、思い出せない。イギリス統治時代の名残を感じるような、そんな印象だけ残っている。


結局まだ時間があるので、Komtarに戻る。そのビルの展望台から(この時は無条件にあると信じた)ペナン島が見渡せればいいなと思い、上に登ろうとする。Komtarに隣接するビルも割りと高くて、広いフロアをうろうろしているうちに、どっちにいるかわからなくなった。私が最初にいた方は、Komtarではないショッピングモールのビルだった。Komtarに移り、それらしきエレベーターに乗るも、オフィスがあるばかりで、彷徨える旅人には完全に場違いなところだった。

そうこうしているうちに時間はやってくる。KL行きの列車は21時発だから、20時くらいから動けばいいと思っていたけど、案外時間がない。フェリー乗り場までの移動+20分フェリーに乗らなければいけないのに、時刻表というものを確認しておらず、かなり焦りながら時にはダッシュで暗い道を急いだ。ちょっと悠長にし過ぎた後悔と、この列車を逃すわけには行かない不安で息切れながら、滑り込むようにちょうど発車するフェリーに乗り込むことができた。ギリギリ21時前に着く時間だったから、ひとまず安心。最悪すべての計画が崩れることすら考えたほど、必死で走ったけど、こういう時の付きものなのか、列車がこなかった。待てど待てど来ないと、他の乗客たちも列車が来る方をずっと待ちわびた。ようやく列車が来たのは1時間ほどあと。完全な寝台タイプの自分の席を見つけ、寝床をつくった。


(4. Mär. 2009)

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2010年8月12日木曜日

Butterworth: 到着


予定通り、昼過ぎ13時頃、Butterworth到着。
前述の通り、マレー鉄道と呼ばれても、3国間を跨ぐ路線のため、BangkokではButterworth以降のチケットを買うことができなかった。取り敢えずまず、KLまでのチケットを確保。フアランポーン駅ではクレジットカードが使えなかったが、ここでは使うことができた。
21時の出発まで時間があるので、どこか街に行こうかと。そんな旅人を見兼ねてすかさず、駅で荷物を預かるよと駅員のおじさんが声を掛けてくる。ロッカーもなく、駅ならとりあえず大丈夫だろうと思い、高いか安いかわからないけど、一つあたりいくらと言われて荷物を預ける。Butterworthにはやはり特に何もなさそうで、駅の人にもフェリーですぐに行けるペナン島に行くことを勧められるので、そうすることにする。

(4. Mär. 2009)

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Bangkok-Butterworth: 22時間マレー鉄道


マレー鉄道に乗りたかった。
特にこだわりがあるわけではないが、“鉄道”、“半島”、“横断”という私の好きな3つを満たしてくれるのがそれだった。
一般的に言われるマレー鉄道は、タイ〜マレーシア〜シンガポールをつないでいるもので、全線を制覇するには最低2回は乗り換えなければならない。私はクアラルンプール(KL)まで行くので、BangkokからButterworth、ButterworthからKL間を2泊3日かけて南下します。

14:45にBangkokから出発すると、しばらくして乗務員さんが車内食の案内を持ってきた。
夜と朝ご飯の組み合わせで、4つの選択肢がある。欧米の旅行客も多いからかVeg.のものもあったので、これにすることにした。写真は晩ご飯。値段はちゃんと覚えてないけど、かなり安くてよい印象。
向かいの席の若い兄さんは、ご飯時に乗り込んで来たおばさんから、発泡スチロールの容器の入った食事を3つ買って、2つを食べていた。地元民に倣うも、単純に旅行者になっても、食いっぱぐれることはない。


車内の作りは、Nong KhaiからBangkokまで乗車した時と同じタイプ。
その時は上の段だったので、今度は下の段にすることにした。既に枕が作られて、皆、食後のおくつろぎタイム。
車窓からの景色は、なんだかどんどん暖かい所へ向かっていると、植物が教えてくれている気がする。バンコクより南のタイという国土を思い出し、ちょうどあの細い部分を走っているんだなと想像する。海が見えやしないかと期待するが、ゴムっぽい背の高い植物が続きは途切れの繰り返しだったような。
外の景色が全く楽しめなくなったころ、乗務員の兄さんが、上の段のベッドを手際よく作りにかかった。
既に年季の入った参考書を見直したり、音楽を聞いて、就寝。


起床。
朝食はフルーツやコーヒーなどを含んださわやかなラインナップ。
いつだったか通路を挟んで横の席のメンツが変わっていた。子供2人を含む家族連れ+いるべきところに収まったくま。マレー鉄道はそんなにスピードは速くなく、割と泊まる駅も多い。長旅に利用する人や、近距離を移動する人などいろいろである。


前のお兄さんはただ黙々と席に座っている。
私も黙っていままでここまで流れてきたことを思い返したりする。
色んな強い感情が起こったが、マレー鉄道に乗ってもなお、Wienに行き、Hundertwasserの生誕80周年記念展を見られなかったことを後悔する。悔やむ気持ちを押さえきれず、購入した図録をじっと眺める。


どうやらタイ/マレーシアの国境に差し掛かった模様。
ゆっくりと場所を定めて列車は泊まり、乗客は荷物をすべて降ろしてパスポートコントロールへ。
青いパスポートのタイパンツを履きこなす、感じのいい青年がいた。その子の後に続いて列に並び、順番がきて荷物検査を受ける。スーツケースを開けさせられたが、Freiburgで買った、ビールグラスに入ったビールのグミを見て、どこから来たのか聞かれる。割と好意的に受け止められたようで、他の人より早くそこを通過。今までの教訓に習って、忘れずにタイバーツをすべてマレーシアリンギットに交換し、列車に戻る。
マレーシアに入った後、もう少し列車は進み目的地に近づいて行く。
トイレに行ったり、歯を磨いたりして、降りる準備を整える。


(3, 4. Mär. 2009)

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