2010年6月29日火曜日

Freiburg: McDonald's


合間にFreiburgのマクド状況をチェック。
FreiburgにはHbfとMartinstor下にマクドがある。Hbf: 中央駅 は内装当時のまま変化なし。MartinstorはMcCafeが堂々お目見え。完全に店内でマクドとCafeが分かれている。入ってすぐにCafeがあるので、バーガー等を必要としなければ、Cafeだけの入退店で完結するようになっていた。ただ両方ともWifi環境に何故かない。時期待ちなのかもしれないけど、ちょっとそれが残念だった。それでもマクドで陶器の容器でお茶ができるのは、私みたいなマクドから遠ざかっていた連中にはウケがよい。

MünchenでもMarienplatzに近いマクドに行ったけど、そこではドイツの携帯番号を持っていれば、Wifi環境に入れた。旅行者には優しくない気がする・・ ドイツの中央駅には必ずと言っていいほどマクドがあるので、Freiburgへ向かう途中、Augsburgかどこかでも待ち時間に入ったけど、さすがに駅ではWifiが使えた(記憶虚ろだけど)覚えがある。

それにしても香港から通じて痛感したのは、マクドが猛烈な勢いで変わろうとしていること。Wifi + McCafe(使い捨て容器不使用)を整え、新たな客層を迎える準備がドイツに入ってから特に目覚ましかった・・・ 日本もいい加減、同様であって欲しいと思う。紙コップでコーヒーなんて、ナンセンスでしょう。

ちなみにMartionstorを下った所や駅にスタバができていて、ショックでした・・ Freiburgにスタバは一つでよい、と思ってしまう。

(19. Feb. 2009)

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2010年6月27日日曜日

Freiburg: Vauban


Vauban在住時代、水曜日と言えばHaus 037の前の広場で開かれるMarkt: 市場の日だった。
バイト先でもらう米に追われたり、あまりちゃんと自炊というものをしていなかったので、この市場をよく利用していたわけではないが、雰囲気なら多分に味わっていた。このVaubanという特殊なエリアにおいて、地元産の食材が集まるMarktというものが機能していることを、当時もこの時も確認したかったのだと思う。地元の写真家が撮ったポストカードの写真でしか、雪景色のVaubanは見たことがなかったけど、足を滑らせそうな状態ではあるが、新鮮できれいだった。

当時、今思えば私はものすごくアンバランスな状態だった。というより、ただ捻くれ怠けていただけかもしれないけど。大好きなVaubanに浸っている自分に浸っているというお粗末な留学生だった。自分が大好きな所に無条件に居られるということは、それだけで満たされた気持ちになるので、ものすごく危険である。どうにか自然な形でVaubanに入ろうすること自体、何重にも何重にも議論を続けて作り上げられたこの理想郷を前にすると、無意味で浅はかな行為だったことが今やっとわかる。むしろそれ以前に、「行って住む」という思いが強すぎて、その先の目的というものが見えていなかった。

当時、Vauban至上主義で現実に存在する理想郷だと思っていた私に、Vaubanが嫌いだと言った人がいた。子供向けの文房具屋で、遊び道具を時間でシェアするシステムがあったのだが、それを「馴れ合っていて嫌」だと。有名な制度であったわけではないが、それはドイツ人的な思考を否定しているわけで、陶酔している私を醒ましてくれる意見だった。そういう見方もあるんだと、少し引いてニュートラルに見れるようになった。
それでも今改めて、Vaubanはやはり理想郷だと思う。
今になってようやく、村上敦 著「フライブルクのまちづくり」を読んだけど、私が当初思ったことは間違ってはいない。"Vauban"を頭に浮かべただけで、目が潤むのはきっとそのせいだ。


夕方より、お好み焼きパーティーに参加。ドイツ、韓国、日本の哲学専攻の学生の会話が専門領域に入ると、ただ見守るしかできないのが辛い。

(18. Feb. 2009)

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2010年6月26日土曜日

Kyoto: Red and Blue


INODA COFFE 
Sakaimachi street

2010年6月25日金曜日

Freiburg: Freiburg


到着後、Stadttheaterの前のOnkel Wokで夕食。久しぶりの変わらない味がおいしい。その後初めてMitteのバーガーキングに入り、奴はデザート、私はコーヒー。お互いの予定を確認し、とりあえずまた明日ということで。今回私はKappelに住む友達に泊めてもらうので、Straßenbahnで途中から乗ってくるその子と落ち合い再会した。

宿にさせてもらうその子以外とはほぼ連絡を取らず、その子にも到着まで口止めしてもらっていた。ここに居るのは5泊6日のみ。風のようにやって来て、風のように去ろうと決めていたのだ。もしそれ以上、ゆっくりしようものなら、私は確実に出られなくなってしまうだろうから。ちょうど同じ時期からずっと滞在しているその子は、学びたいことを学べる学校に行き出し、他にも色んなことに恵まれ私がいた当時よりずっと生活を充実させていた。心から喜ばしく思うけど、全然違う方向に歩み出すことを決断した自分でも、やっぱり後ろ髪を引かれてしまう部分があった。まだまだ眠気が来るのが早い私は、寝床を確保させてもらい21時には就寝した。

翌日、山に囲まれるKappelは雪退けつつ快晴。ゆっくりと支度をし、街へ向かうためバス停へ向かうとバスは行った所だった。バスとトラムを乗り継がなければならない若干の不便さを思うも、ここの空気はさすがに気持ちよい。スキップしかけると、アイス化した地面に足を滑らせお尻を強打。MitteでStraßenbahnを降り、よく覗いていた本屋: Jokers へ行くと、昨日会っていた(今日会う予定の)友達が。Freiburgが狭いのか、私たちの行動パタンが似ているのか。どちらにせよ、これも愛すべきFreiburgの一面に変わりはない。そこから連れ立って行くのは、大学構内のcafe。昨日聞いてショックだった、私たちの故郷、UB: 大学の図書館 が老朽化による改装をするため立ち入れなくなってしまい、とても残念だがこちらは何事もなく健在。夕方また別のcafe で落ち合うことにして、私はVaubanへ。

(17,18. Feb. 2009)

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2010年6月22日火曜日

München-Freiburg: 7時間鉄道


ミュンヘン2日目の朝、この日も出勤前のMさんと出勤前という時間の割にはゆっくりお話をし、家を出るときのポイントを聞いて見送った。今日フライブルクへ向かう。同じく(というか私に合わせてくれて)フッセン辺りからフライブルクに向かう友達と連絡を取り、乗り継ぎで落ち合う予定だったが。まだドイツ仕様に身体がならないのでぐずぐずしてしまい、München Hbfから落ち合うのは無理だということを連絡すると、若干攻められた。私も楽しみにしていたから残念だったけどしょうがない。でもそう言われるのもわかる。ふたりから一変、約7時間、1時間強ごとの乗り換えを4回一人で黙々をしながら西を目指すのだ。

私の場合はたしか、München > Augsburg > Stuttgart > Karlsruhe > Offenburg だったような。Stuttgart以降はFreiburgに住む場合、避けては通れない軌道。州チケットでつなげる、RE、RB、IREの旅。徐々に近づくので、より一層こころに色んなことを思い巡らせる。
本当は、ドイツで出会ったすべての人に会いたかった。BremenのGastfamilieには、Freiburg時代会いに行かなかった。別れる時にもらったゴールドの華奢なネックレスを、その当時(高3)は大人っぽすぎて着けられなかった。でも好んで着けられるようになり、この旅の出発の直前、ケースにしまうのを失敗したのか折れてしまった。Bremenへ行くと決めたわけではなかったけど、このことがものすごくショックでまた足を少し遠のけてしまった。
当時オランダ・マーストリヒトにもいたVelotaxi仲間にも連絡を取っていたけど、悔しいけど断念して、ドイツで移動的要因外で滞在するのはフライブルクだけにした。
卒業後、全く違う世界に入り、喪に服すように働く意志を固めていた私のこの時の強欲さは凄まじかった。

色んな記憶を思い出しながら、Freiburgに近づくに連れて少し緊張する。いい思い出も嫌な自分も含めて、そこでだけで感じる感情や思いが甦ってくる。20:00少し過ぎた頃、予定通りにFreiburg到着。一足先に着いた友達が来てくれるのを待つ間、駅構内を見て回る。バイトしていたSushi屋がなくなった(追い出されて移動した)のは聞いていたけど、その後がSubwayになっているとは知らなかった。そのかつてのFuna Sushiの前にあった店も、違うお店になっていた。でもその他は変わらない。私の歴史の中にあるFreiburg。友達がやって来て、怒っているかと思いきや、丁寧に“おかえり”とドイツ語で迎えてくれた。

(17. Feb. 2009)

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2010年6月21日月曜日

München: 目的


翌朝、時差ボケもあってか割と早くに目が覚める。Mさんがちょうど出勤の準備をする音がする。水分を欲してキッチンへ行き、お茶を飲みながらほっこりする。外は相変わらずものすごく寒そう・・・ 近辺のスーパー情報など教えて下さり、夕方に会う約束をして見送った。

前回もそうだったけど、私がミュンヘンに来るのはRegensburgに行く予定をしているからである。そこに住む友人に会いに行きたいのだが、今回もそれは叶わなかった。4月に出産を控えた妊婦さんであり、ギリギリまで体調次第で会えるかわからないという状態。今回も残念ながら見送ることになった。私も行くならこの日に日帰りで、と思ってたけど気温差に順応するのが難しく、万全ではなかったからよかったのかもしれない。先送りにした楽しみは、その時きっと何倍にもなって返ってくるだろう。

二度寝とメールチェックを繰り返し、キッチンにあるエジプトの噛めば噛むほどやみ付きになるお菓子を摘みつつ、外へ出る覚悟をする。なんとなく土地勘のあるMarienplatz周辺に行き、かつて来た時の記憶を呼び戻す。Pommesを売っている店が目に入り、寒いときにはPommes: ポテト だと思い久々のボリュームに胃が驚きつつも付いてきてくれた。それでも寒さは変わらない。2日前まで暑くて外に出られなかったのに、今度は寒くて室内に入りたがる。凍てつくような寒さなのにおじさん4人組が弦楽器で路上演奏をしていて感心してしまう。
温かい場所を求めてFünf Höfeに行ってみると、本屋:Hugendubel の入り口にHundertwasserが!!(写真) 開催期間はもうちょっとあるけど、本屋にこんなに図録がを並べるとは・・・さすがHugendubel(フライブルクにはなかったので、ミュンヘン中心の大きな書店と想像)と思い、目を輝かせながらコーナーに吸い付けられる。店内にソファがあるのでそこで見入る。見るからにリッチなミュンヘンマダムも横目に、レジにて購入。嬉しい出費。荷物の重量が増えるなんて全く気にならない♫  Wienを諦めた自分をなんとか宥めることができてよかったと思う。

この日は元々Mさんがお友達と、同居人のカメラマンさんのスタジオを見に行く予定だったらしく、私も誘ってくださったのだ。3人連名のスタジオ。同居人さんではない2人はパートナーで、その赤ちゃんがハイハイしていてかわいい。写真の仕事の他に、オーガニックの調味料のラベルのデザインも手がけているそう。この時期ミュンヘンで(バイエルンで?)好んで食べる習慣のある甘いジャムパンを買ってきてくださっていた。他の地域ではBerlinerというのが一般的だと思うけど、ここでの呼び名が出てこない・・・ 気の合う仲間と共同でスタジオを持って、好きな写真を撮ってクリエイティブに仕事をするなんて、じんわりといいなぁと思った。

(16. Feb. 2009)

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München: -30℃


ミュンヘンにしても空港から鉄道への接続がとても良い。そこから地下鉄で移動できてしまうなんて、当たり前だけど京都じゃとても考えられない。1時間ほどして、今回もお邪魔させて頂くお家の最寄り駅に到着。地上へ出るとまだ17時半くらいなのに暗い、寒い。暖冬のドイツしか知らない私は、こんなに雪のあるドイツを初めて見た。道が広いので番地がどちらサイドにあるのか見るのも大変。なんとか建物を捉えてベルの名前を確認し、ピンポンをする。

日曜日だったのでMさんも同居人さんもご在宅。34℃のバンコクから来た人にとって、何よりこの寒さが辛かったので、室内の温かさがしみわたるように嬉しい。ミュンヘンに来る度お世話になっているMさんの前のお家も素敵だったけど、今回のこのお家はなお素敵。ある年代までの古い住宅ならではの天井の高さとイイ床板とゆったりした造りに、カメラマンの同居人さんのセンスが光る光る。ほんと毎度のことながら、居心地のよい所に泊めて頂けることに感謝する。

(15. Feb. 2009)

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