2010年6月22日火曜日

München-Freiburg: 7時間鉄道


ミュンヘン2日目の朝、この日も出勤前のMさんと出勤前という時間の割にはゆっくりお話をし、家を出るときのポイントを聞いて見送った。今日フライブルクへ向かう。同じく(というか私に合わせてくれて)フッセン辺りからフライブルクに向かう友達と連絡を取り、乗り継ぎで落ち合う予定だったが。まだドイツ仕様に身体がならないのでぐずぐずしてしまい、München Hbfから落ち合うのは無理だということを連絡すると、若干攻められた。私も楽しみにしていたから残念だったけどしょうがない。でもそう言われるのもわかる。ふたりから一変、約7時間、1時間強ごとの乗り換えを4回一人で黙々をしながら西を目指すのだ。

私の場合はたしか、München > Augsburg > Stuttgart > Karlsruhe > Offenburg だったような。Stuttgart以降はFreiburgに住む場合、避けては通れない軌道。州チケットでつなげる、RE、RB、IREの旅。徐々に近づくので、より一層こころに色んなことを思い巡らせる。
本当は、ドイツで出会ったすべての人に会いたかった。BremenのGastfamilieには、Freiburg時代会いに行かなかった。別れる時にもらったゴールドの華奢なネックレスを、その当時(高3)は大人っぽすぎて着けられなかった。でも好んで着けられるようになり、この旅の出発の直前、ケースにしまうのを失敗したのか折れてしまった。Bremenへ行くと決めたわけではなかったけど、このことがものすごくショックでまた足を少し遠のけてしまった。
当時オランダ・マーストリヒトにもいたVelotaxi仲間にも連絡を取っていたけど、悔しいけど断念して、ドイツで移動的要因外で滞在するのはフライブルクだけにした。
卒業後、全く違う世界に入り、喪に服すように働く意志を固めていた私のこの時の強欲さは凄まじかった。

色んな記憶を思い出しながら、Freiburgに近づくに連れて少し緊張する。いい思い出も嫌な自分も含めて、そこでだけで感じる感情や思いが甦ってくる。20:00少し過ぎた頃、予定通りにFreiburg到着。一足先に着いた友達が来てくれるのを待つ間、駅構内を見て回る。バイトしていたSushi屋がなくなった(追い出されて移動した)のは聞いていたけど、その後がSubwayになっているとは知らなかった。そのかつてのFuna Sushiの前にあった店も、違うお店になっていた。でもその他は変わらない。私の歴史の中にあるFreiburg。友達がやって来て、怒っているかと思いきや、丁寧に“おかえり”とドイツ語で迎えてくれた。

(17. Feb. 2009)

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