2010年6月15日火曜日

Bangkok: 1日目


参考書情報により、ランブトリ通りにあるゲストハウスに狙いを定めてトゥクトゥクを降りる。
ランブトリというのはカオサン通りと平行に走る通りで、カオサンを中心としてここはもはやタイではない。混沌とした歴史ある、いわいるバックパッカーの聖域です。さくらハウスと言うゲストハウス(日本人宿)を探していると、迷い人に助け人が。方向を逆に進んでしまった私を韓国人の兄さんが正しい方へ案内してくれました。エスカレーターでそのビルの4階へ上がり、宿を発見。ドミトリーに2泊することにする。1泊150バーツはまぁ安い。指定されたベッドは2段ベッドの上。回り全員男子だけど特に気にならず。まだ朝なので寝ているひと多し。

ちょっと近辺をうろつくことにする。ほんとにタイとは思えないほど、欧米人、韓国人、日本人などの観光客にタイ人たちが商売をしている。スウェーデン人が多いのがなんとなくわかる。香港も多かったけど、ここでもセブイレが多い。明後日乗る空港バスを調べにカオサンから少し下るとイギリスのドラッグストア:Bootsがあった。さすがというか、香港のMARKS&SPENCERの次はタイでBootsかと、日本では起こりえない光景にちょっと喜ぶ。カオサンの入り口でfalafelの屋台があったので、1つ注文する。ピタパンにfalafelボールが5つほど入れられ、あとは自分で好きに野菜を詰めソースをかけ、仕上げればよい。私が食べてきたfalafelの5本の指に入る美味しさ。なかなか旨い。70バーツの幸せに浸るも暑さにめげ、宿へ引き返す。

よく言えばラウンジみたいに集える場所に腰かけ、バンコクでの動き方を考える。食がこういう特殊な地域でないと、アジアは私に辛いということもわかり、2日後だけど早くヨーロッパへ飛びたくて仕方がなかった。序々に起きて集まってくる宿の住人たちにも、アジア無理宣言をしてしまったほどだった。唯一バンコクでの楽しみは、ワット・ポーでタイマッサージを受けること。昼間は暑くて行動する気が起きないので、翌日早朝マッサージに行くことに決めた。
宿の住人たちはおもしろい。クラブで自称無実なのに暴行され、保険に入ってなかったため、腕骨折治療に30万払った人。その人がブラザーと称する、ほとんど日本に住んだことのない若い青年。私とは逆にヨーロッパからタイまで流れてきた人。運送系の肉体労働で稼ぎここへ来たものの、なぜか身体が言うことを聞かず、精神的に参っている常連の人。整体師の兄さんは、濡れ衣を着せられ刑務所で拘留中(服役中?)の日本人に会ってきたそうだ。バンコクが東南アジアの中心であることは、旅行者にとっても変わらないらしく、この宿を拠点にしようと思わずも、そうしてしまう場合が少なくないようだった。どこから来てどこへ行くのかという問いから始まる会話を、日本では会えない日本人たちとできて興味深かった。


パタヤー帰りの青年とミャンマーで癒されたい兄さんと、Wat Arun:暁の寺へ行くことになった。マッサージだけじゃなくて寺院もちょっとは見たいなと思っていたので嬉しい。ランブトリを川の方へ進んで行くと船乗り場があり、割と頻繁に往来する船に乗り込みWat Arunを目指す。
夕方のチャオプラヤー川の水面がエンジンの振動を受けて揺れて行く。片道約20分、12バーツほどの旅は気持ちがいい。身近な交通機関が船だなんて、そんなアトラクションに高揚する。Wat Arunは川岸にあるので近づいてくると降りる場所だとすぐわかる。思い思いにWat Arunを鑑賞するが、兄さんのカメラ熱はすさまじかった。愛機のRICOH GRで一心不乱というか心奪われるままにシャッターを切っていく。それでも仕事で販売するCanonの機種を持つ他の観光客には進んで撮りましょうかと声をかける。タイ常連者で実は京都も大学時代休みの度に2週間ずつ滞在して、大徳寺の座禅に通ったらしい兄さんは、しきりにタイ人の子と付き合いたいと口ずさむ。パタヤーデビュー後の同い年の青年も兄さんも、転職する狭間の時期だった。時期としてもそうだったし、位置的にもタイという地は向かいやすいのかもと思った。

カオサンに帰り、お土産を探しながら、尋常じゃないほど同じ場所を右往左往してしまった。明日ワット・ポーに行くのも楽しみだけど、駐車場でおばちゃんたちによって行われている、屋外マッサージを試すことにした。足だけを30分くらいしてもらったけど、なかなか気持ちよし。この心地も覚えて、タイガーバームで南京虫の予防をして眠りについた。

(13. Feb. 2009)

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