2011年3月2日水曜日

嗚呼、私たち家族のパリ


先週、うちのおばあちゃんがパリに来ました。
おばあちゃんだけではなく、親戚と3人で。これは本当は5月に予定されており、私もこれに合わせて5月に休暇を取る予定をしていたので、急遽シフトを代わってもらい、どうにか確保した3泊4日、実際は中丸2日間、私もパリに行きました。

私がどれだけその時を待ちこがれていたかわからない。おばあちゃんとパリで会うことを想像しただけで、目が潤むくらいです。10年前、1度チャンスがあった。その時はおじいちゃんもいて、ちょうどクリスマスの時期で、私は翌月の受験を理由に一緒には行けなかった。それが私はものすごく悔しかった。
私たち家族にとって、パリはものすごく特別。東京、大阪、京都、北海道と散ってしまった父の家族が、パリの支部長と言うべき、私の伯母の指令によってつながれる。今回もそれにより、おばあちゃんは伯父と父に見送られ、まず京都から東京に動き、親戚2人と共にCDGに着いたのでした。

うちの母が呆れるほど元気というおばあちゃんは、なぜか時差ボケにもならず、早朝のRivoli通りに親戚2人と現れた。前日にパリ入りして、ようやく翌朝に会えた私はとりあえずものすごく嬉しかった。ほぼ飛び込みだったけど、幸運にもおばあちゃんと親戚2人に私と4人欠けることなく、モンサンミッシェル行きの日帰りツアーバスに乗り込むことができた。
片道4時間半、ガイドさんによれば東京−名古屋ほどの距離の往復バスの旅。回りがほぼ卒業旅行の学生で、あいにくの雨模様だったけど、これはおばあちゃんが晴れ女のためか、バスから降りるときはとりあえず雨はほぼ止んでいた。モンサンミッシェル、280段ある階段は、やはり辛かったので、私はおばあちゃんと一緒にいたかったので登らなくてもよかったけど、モンサンミッシェル3回目のN子さんの説得に負け、二手に分かれてヤングチームは上を目指す。私はどうしても、4人でモンサンミッシェルを背景に写真を撮りたかった。Mさんは写真のプロなので、ベストポイントを得るためのハングリー精神が流石。すれ違った家族連れのお母さんに写真を撮ってもらった。


泊まっているのは某5つ星のホテル。泣く子も黙る値段だが、私の従兄弟が働いているのでファミリープライス。そこに従姉妹から届く伯母と伯父のレストランの日本食デリバリーを夕食にするのは、我ら家族ならではのアレンジ。シャワーだけするつもりが、ちゃっかり泊まらせて頂き、まさかここでブラタモリ(赤坂編)を見ることになるとは思わなかった。
翌朝、オペラ界隈の伯母が薦めるクロワッサンのあるカフェで朝食を取り、伯母と伯父のレストラン近くのホテルに移動。昼食も従姉妹交えてヤングチームはガレットを食べに行った。伯母の用事で商工会議所へ行った後、移動中のおばあちゃんの発言に勢い付いて、バトームーシュ、セーヌ川の遊覧船に乗りに行く。
従姉妹と私は残念ながら来られなかった大阪の伯父に同じ内容のメールをもらっていた。
「おばあちゃんは今回のパリ行きのためにデジカメを買いました。写真を撮る練習はしましたが、まだ慣れていないので、たくさん写真を撮ってあげてください」と。私と従姉妹は船上で、前後から攻める。夕暮れの前、曇り空で少しの天候の変化で乗らない判断にも傾きそうなところ、寒くなく、乗ることができたのだ。1時間のクルーズのラスト、エッフェル塔の近くを回ったあたりで日が落ち、船を降りた頃には綺麗な夕焼けが見えた。

この日木曜日、オルセー美術館は夜10時まで開いていた。こちらに向かい、従姉妹と私は無料で、おばあちゃんたち3人は合わせて16.50€でチケットを買い入場。ひとまずカフェで足を休めた後、順路のない元駅舎である館内をゴッホから見始める。おばあちゃんに無理をさせまいと動いているのはN子さんだが、おばあちゃんはひょいひょいと絵から絵に視線を移し、「上手だわね〜」なんて言いながら楽しんでいる。私は無料なので欲が浅く、むしろ元駅舎という建築内に入っただけで満足だった。€を持たせてもらえていないおばあちゃんは、それまでに食べたいもの欲しいものなどを聞いても特になしとの返事しかなかったが、オルセーのショップでメダルとカバンが欲しいと言い、私が€で買うととても喜んでくれた。私は自分にもメダルをお揃いで買い、これを記念にできたことを嬉しく思った。

伯母と伯父のレストランに戻り、取っておいてくれたカウンターの席で夕食。最後の伯母と親しいお客さんたちが帰ると、皆で見送りをし、片付けをした。ホテルに歩いて着くと、私は自分の撮った写真のデータをMさんに託し、おばあちゃんに持たせてもらうことにした。おばあちゃんはお風呂に入るとすぐに就寝。あぁなんて健康な人なんだろう。私もこちらに泊まることになり、伯母と同室に泊まったが、翌朝寝坊をしてしまい、伯母宅にある私の荷物を取りに行けないまま、北駅からギリギリでThalysに乗り込んだ。あんなに必死に走ったのは久しぶりだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿