2010年12月4日土曜日

ふと、ここで我に返ろう

(こんな書き出し方もしたくないが)、こちらに来て早2ヶ月。
1ヶ月目、ようやくまた来ることが出来たドイツに少なからずとも喜び、
平和村やPraktikum: インターン自体にもまだ期待を抱いていた。
そしてパリに行き、何かに目が覚める。
2ヶ月目、仕事には慣れてきたものの、毎日同じタイムスケジュールで繰り返される子供の世話というものは、
パターン化してしまうものだと気づき、今後を危ぶむ。

だけれども、そんなこと、分かりきったことだったのだ。
平和村がきっかけで、「ドイツ」という国を選んだけども、決してここで働こうと思ったわけではなかった。
だけれども、そんな平和村という活動が成り立つことはすごいと思うし、
愚直な私はなんだかんだここに来てしまったわけだ。
大学卒業後のすべての行動を、会社を辞めてこちらに来ることに仕向けて来たけど、見切りを付けるのも早かった私は、
支出を押さえて生活のできる平和村のPraktikumを選ぶことになったのだ。
今、私に必要なことは、部屋に籠ってドイツ語の文字に浸かることで、それに適していると踏んで、ここに来たのだ。
初めて平和村を訪れた3年前、「無理かも」とたじろいだ程、恐ろしく自分が好む生活と遮断を余儀なくされる生活が、
ここでは出来るのだ。

だけれどどうだろうか。
どうも本調子ではない体調を理由に、仕事の疲れを理由に、なんだかんだ宜しくない。
人に指摘をされるまで、そんな認識はなかったけれど、外国にて非母国語の社会に属し、かつ子供を操ると言うことは、
すごくストレスのかかることらしい。
月400時間ほど働いたこともあった私からすれば、月の休みは少ないけれど、毎日ほぼきっちり8時間の就業で仕事が終えられ、むしろ自分が望んで来ている国にいるのだから、ストレスなんて減るものだと思っていた。
確かに国はそうだけど、全く好んだ生活が出来る場所ではない。

私を取り巻く環境を居住空間から見ていこうと思う。
2人部屋に同じくPraktikumをしている日本人♀と、この部屋のある宿舎の同じフロアに、同様の日本人10名とグルジア人1名、ウガンダ人1名と共同生活。宿舎と同じ敷地内にある、約200名の子供を収容可能な施設が私の職場。
子供は男の子、女の子、小さな子供の3つの部門に分けられ、私が担当している小さな子供は約30名。
彼らは1歳から4、5歳でアンゴラ、アフガニスタンなどの中東の戦争や紛争地域から来ている。この子供たちを3、4名の従業員が早番、遅番と交代で世話をする(深夜帯は業者、もしくはZivi:良心的兵役拒否者に委託)。
ドイツの団体なのだから、もちろん仕事上の使用言語はドイツ語なのだけど、会話が全く問題がないわけではないが、基本的には毎日似たり寄ったりの指示を正規職員から受ける。子供とも滞在が長い子供ほど、ドイツ語で問題なく意思疎通ができるが、最近は11月初めにアンゴラから来た子供ばかり担当していたので、彼らのポルトガル語ばかり聞いていた。
仕事外は宿舎がほぼ日本人なので日本語。と、言うように自分の動きようにも寄るが、基本的にドイツ語のコミュニケーションの向上を期待できるような環境ではない。

そしてオーバーハウゼンという街。
この人口20万人規模の中位中心都市は、かつてのルール工業地帯の中心都市のひとつだった。
だけれどその時代は私たちが生まれることには衰退し、今ではその工場跡地に巨大ショッピングレジャー施設が建っている。それに伴い、この労働者の企業都市にも一応あった旧市街地は復活不可能な打撃を受け、他のドイツの魅力的な都市に見られる旧市街地からすれば、あまりに悲しいことになっている。
オーバーハウゼンはその昔に3つの街が合併してできた街で、平和村が位置しているのは南北に広がる街の北部である。
ちょうどその北部の中心部の辺りでドイツでも主要なアウトバーンが交差し、南へぶったぎっているため、ものすごく、
アウトバーンやその軌道を利用する車が身近である。
公共交通手段と言えば専らバスで、平和村( Friedensdorf) というバス停からは1時間に2本、1路線のバスしか出ていない。
これを利用し、5駅先の小さな中心地で接続のあまり良くない乗り換えをしないと、乗車から40分後に中央駅へ着くことはできない。
路面電車も1路線のみあり、隣街(と言っても大きくはない)まで行くことができる。初めて試しに乗ってみた時、あまりに不愉快な乗客に対する騒音に、路面電車の利用率を下げるために運行しているのかと思ったほど、路面電車のイメージを覆す衝撃を受けた。
これらの街としての要素は全くもって私が望んでいるものではなく、むしろその相反である。

だから机に向かえるはずなのだ。

状況としてはかなり自分を追いつめているので、要は後は自分次第なのだ。

ようやく平和村について、自分の置かれている状況について少し書けたけど、
今まで書きたい欲求が特に起こらなかったのは、口頭で事を共有できたからだろう。
会社時代、私は常にアウェーだったけど、ここはどちらかと言えばホームなのだ。
皆それぞれ目的はあると思うけど、ほとんどのここにいる日本人は高校、または大学かワーホリなどで1、2年はドイツにいたことのある人なのだ。遠いか近いかで言うと、確実に近く、理解のできる範疇の同僚なのだ。
口頭で発散できることは多いが、だからこそ容易に流されてしまう。
それが紛れもなく注意すべきポイント。

いかに自分をほどよくコントロールできるか。
まさしく、それが今の自分から脱却するための鍵である。

2 件のコメント:

  1. メキシコのみさ2010年12月5日 6:02

    わかちゃん!!
    メキシコのミサです!

    っつーかいつの間にドイツ!?
    ブログなかなか読めへんかったんはあるけど、ついに・やっぱりドイツ行ったかーってのが感想です。笑

    あたしも、好きな土地で・我侭で来た土地で仕事できるって、もー本間に楽しくてしょーがないんやろぉと思ってたけど、そーじゃないのが現実やんな。
    ストレスを日本にいるときよりも感じてる自分に気づくときもあって、正直自分でもビックリする。
    あ、あたしハゲる。と思うこともある。笑

    まーあたしの場合、お客さんが日本人ってとこで違いはあるけど、やっぱ異国の土地は、いつの間にかストレス感じるね。
    でも、それでもやっぱり自分の意思で来たんやから、へこたれずに頑張ろうと思って何とか日本を離れて1年半が経ちました☆

    またドイツでワカちゃんがどんなことしてるんか、ブログ楽しみにしてんでー!

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  2. みさたま・・・ 
    ただいま貴方のコメントを発見しました・・・ 遅くなってごめん。
    なぜかスパムとして認識されていて、そのチェックをしていなかったもので。
    相変わらずお元気かな?
    こちらの冬というのは、というか特に去年はかなり暗くてどんよりしていたので、それだけが理由では全くないけど、なかなかずーんと来るものがありました。今は天気もいいので、もちろん色々な出来事があったけど、労働環境も割と改善され、残りの3分の1のここでの生活を色々考えて過ごしています。
    ストレス、日本にいるときより感じるってすごいね。どうかハゲないでね。
    まあドイツはラテンな国ではないので、楽しくてしょうがないと仕事で思えるのかわからないけど、それに近づければいいなと思うよ。
    とにかくへこたれはしないようにするよ!!
    ではまたね、懲りずにコメントをくれるととってもうれしいです♡

    わかこ

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