2011年2月17日木曜日

本番

夜8時頃、とりあえず今いる子供たちをベッドに送り、あとは新しい子供たちの到着を待っていたとき、
窓から外を眺めていると、一台の救急車が敷地に入って来たのが見えた。
新しい子供たちは空港からオーバーハウゼンの市営バスに乗ってくるはずなので、なんだろうと思っていたら、私が待っていた子供だった。その子はStuttgartまで日帰りで外来の診察に行っていた。そうした場合、普通はボランティアの人が自分の車を走らせてくれるのだが、この子の場合、救急車の方が適していると判断されたようで、救急隊員の人に救急車の備え付けの担架に乗せられた状態で帰ってきた。
その待遇と長時間の旅を無事にやり遂げたその子を、なんだか頼もしく思ってしまった。

その子もベッドに入れ、他の子のおむつチェックなどをしていると、予定より2時間遅れて一行が到着。
検査等が終わるまでは隔離されるため、子供のほとんどが収容される棟と、その一部が仮設のベッドが置かれた普段小さい子供たちが遊んでいる部屋に分けられる。私がいた後者は子供の人数も少なく、働き手も充分いたため、順調に作業が終了。
昨日"野戦病院"と書いたが、平和村ではリハビリテーション以外の医療行為は行わないので、基本的に身の回りの整理と病院に行く準備をするのがこの初日の仕事。
あとからほとんどの子供がいる別の棟に行ってみると、ほとんどの作業が終わっているものの、ものすごく慌ただしかった感が残る雰囲気が。残り作業として、足を支える固定器具等を洗っていると、その汚れ具合や消耗度合いからこことは違う現地の生活を垣間みる。上着のポケットなどをチェックしていると、内側のポケットにすっぽり収まる本のようなものを発見。よく見るとものすごく表紙も消耗して年季の入った、グルジア語/ドイツ語のよく使う表現集みたいだった。職員に確認してからそれを持ち主の枕元に置く。
離陸と着陸を繰り返したフライトの疲れは著しいようで、どの子もみんなよく眠っている。
0時30頃、職員に私たちインターン生は帰っていいとされたが、前回の半年前のアフガン方面の援助飛行は到着が遅れに遅れ、これくらいの時間に子供たちが平和村に着いたそうだ。
私もひさしぶりにコンタクトを付けたままばっとりと就寝。
今日はどうなることだろう。

2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。読んでいて私は、前回11月のアンゴラ援助飛行の時のことを思い出しました。11月の早朝到着も大変でしたが、子供たちのこと、スタッフのことを考えると、深夜到着も大変ですね。

    子供たちの診察と採血を思い出しました。
    平和ボケした日本人には想像できない現実(心と体のキズ)を見て、ショックであったと同時に、自分にできること、しなければならないことは何かを考えさせられました。今はその答えを見つけるために、日々の仕事をがんばっています。


    子供たちの為に、頑張ってくださいね。

    返信削除
  2. おひさしぶりです!
    私としては、フライトが大幅に遅れない限り、今回の方がやりやすいように思いました。
    KKの場合、子供たちをベッドに送って、到着後の対応に集中できるので。早朝着のアンゴラの場合だと、テンションのあがった子供たちの対応が本当に大変です。
    自分たちが普段遊んでいる部屋に新しい子供たちが来るので。
    チェルノブイリの影響か、核の恐ろしさを子供たちの身体を見てものすごく痛感します。
    子供たちの為にもですが、私自身の為にがんばらなければいけないですね。
    また続きを書きます。

    返信削除