2011年7月9日土曜日

ただいま休暇中


6月27日から7月19日まで休暇を取っています。気が付けばもう残り10日。
やりたいことが沢山あるのに、もうほんとに私が今いる環境というのは、そうしたことをさくさく片付けることに全く向かず、元の計画も倒れてしまって、一人焦り、苛々となることが多いです。書きたいこともたくさんあるのに(頭を整理する必要があるのに)、それすら追いついていない!
なぜこの期間に休暇をこんなに長く取ったかと言うと、ある語学のコースをDüsseldorfで受けたかったので。でもそのために必要な勉強を怠り、結局参加できず、7月4日より2週間だけ、普通のドイツ語のコースを取ることにしました。が、変なこだわりのある私的ドイツ語の発展を遂げいるので、もはや一般的に設けられる語学のコースというのに私は適せず、学ぶことがないわければないけど、なんだか物足りない感に、自分は一体何をしているのだろうという嫌気に襲われます。まあすべて自分が悪い。
OberhausenのDüsseldorfの往復は、帰り道が本当に苦痛。平和村は4年前に最初に来た時からわかっていたけど、本当に私からしたらもう住むにはあり得ない所に位置しています。移動に時間を取られるのも嫌だけど、去年11月に年間の休暇(1年働く人は42日間)の予定を出せと言われた時点で、考えて決めてしまったので、考えを変えることも難しかったけど、あまりいい計画ではなかったかなと思います。勉強するにしても、どこか場所を変えたほうが確実にいい。普通に生活をしている場にいると、皆に、今日は早番なの遅番なのとか聞かれ、仕事をしている場なので、全然休まらない。
それはそこまで推測していなかったけど、それでも自分が住みたい街とは真逆の、住んでいるだけでストレスが溜まるような街にいるのは、Düsseldorfまで通うことで、ここに住んでいる人たちのように生活をして、その人たちの感覚になってみたいと思ったから。またDüsseldorfという街がどんな街なのか、そこに集まってくる人というのは、どんな人なのかということにも興味があった。だからそうした決断なのだが、休暇という貴重な時間を利用してアクションをするには、いささかそれに見合わない感がある。でもこういう機会が無い限りは、そんなこともできないけども。

不満を溜めている今日この頃だけど、なんとか前に進んで行かなければいけない。
15日に両親が来るので、Oberhausenという街は観光するのに全く見合わないため、NRW州の街の中でマシなDüsseldorfを見せようと、語学学校主催の旧市街地案内に先日参加した。
街という概念自体が基本的に好きなので、待ち歩きのプロの説明や街の見せ方は興味深い。4年前までドイツ語の先生で、現在は街案内をしてDüsseldorfのシティガイド本も出している女性が担当してくれた。やはり一人でふらふらしていると行くとこに偏りが出るので、街の起こりからの説明も含めて、自分が行かないような所に連れて行ってくれるのは有り難い。1988に作成されたとても細工のある凝ったモニュメントもおもしろかったが、3つの異なる特色のある教会を見せてくれたのがよかった。
写真はそのうちのひとつ、Düsseldorfで一番美しい教会"聖アンドレアス教会"。この教会、南ドイツバロックスタイルなので、先に訪れたDüsseldorfで一番古いカトリックの教会との違いがよくわかり、何より"南"なのでとても癒された。かつて行ったノイシュバンシュタイン城からも近い、ヴィース教会の街中的規模の色なし版という感じ。一番綺麗だという教会が南のスタイルというのは、やはり南と北では建築物の作りが違い、南の装飾がしっかりとなされたそれの良さを、北の人が認めているということ。だと思っています。
南といえばバイエルンの色濃い雰囲気が思い浮かび、私の好きな南西とはまた違うと思うけど、南の暖かい装飾美に慣れた人は、北の無味な冷たさが辛くなると言われることに、私は全く当てはまる。北でも好きな街はあるけれど、NRW州、このルール工業地帯に私が向かないのは、また別の理由で、平和村がここにあることの利点と繋がる。
これに関してはまた今度。

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