2011年8月14日日曜日

Praktikumの終わりに見えてくるもの(4)



送迎会の際、Praktikant全員で一曲歌ったと書いたが、これはPraktikumを始めた頃には考えられないことであった。
当時、2つあるPraktikantが住む宿舎は、完全にドイツ人とそれ以外(ほぼ日本人)と分かれていて、ドイツ人の方の荒れようも酷かったけど(単に若い)、私はその状況から感じる"日本人隔離された感"が本当に嫌だった。その後、国籍を混ぜる案が上から提案され、当時の住人にアンケートを取った結果、「混ぜる」ことになり、半年の短期滞在者と1年など長期滞在者で振り分けられることになった。・・・
今ではほんとうまく混ざっており、非常に色んなことが改善され、よくなったと思う。

こんな日本人だらけの所に来ておいてなんだが、ドイツにいて日本人で集うのも何なので、休みの日に出かけるなら、自然に一人でふらふらすることが常だった(日本にいてもほぼ同じ過ごし方)。それは私の基本形だが、以前は日本人隔離から逃れたかったことが大きかったように思う。冬、極寒だったときは出かけること自体今より少なかったけど、暖かくなってきた3月、別の宿舎に引っ越したことが大きな転機だった。これによってドイツ人のPraktikantと過ごす時間が増え、ナチュラルにドイツにいる感覚に近づいて行けたのだ。それまでのように日本人隔離された感から解き放たれ、それを感じることはなくなったが、平和村自体が大きな隔離であるなと気付いた。

それはさておき、あの状態がずっと続いていたら、例えば昨日のように日本人4人でOLGASROCKに行ったりしなかったかもしれない。そうした変化をものすごく気付く今日この頃。
今日、今回の援助飛行の第一弾、3人の子供がアルメニアに帰国しました。9月2日まで続く長丁場、色んな場面を見れたらいいなと思います。

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